ナナハン時代(1970年代を振返り)Part1

「ナナハン」という言葉はCB750FOURの開発中に機密保持のために用いられていたと記されている。

1970年代国内バイクメーカーが世界に羽ばたく時期半ば私は16歳(高校2年)になり幸いにして、大型二輪免許(限定解除審査)が始まる前に16歳で大型二輪免許を手に出来たラッキー者であった(現在大型二輪免許は18歳?)
同僚達もナナハンに憧れる連中も多く高性能なバイクが多種有る中の事だった。
その高性能なバイクもまだ田舎では高速道路も無く国道がようやく二車線に整備され始めたばかりで今ほど快適に移動できる環境には、ほど遠かった。
法規もヘルメット着用義務は無く大型バイクに乗るにもノーヘルで(今考えると・・危険な事で鳥肌が立つ思い)免許取得から後の年ヘルメット着用義務(50cc以上)そして限定解除審査へと
私の高校在学中(当時の母校は交通事情が悪い所の生徒は原付125ccまでバイク通学が許可されてた)
バイクによる死亡事故は校内年間で7人と酷い事も有り、その年学校側は125cc以上のバイクを所有してる生徒に対しある日バイクに乗って来るように指示。・・・交通安全教育を学校側が警察と協力して校庭で白バイ隊員のもとで実践教育をした(後の数年後に高校生バイク三ない運動が始まった。)
驚く事に当日校内に集まったバイクは40台を超えた。
125cc以上となると250ccからのバイク・・・・・ナナハンは5台(GT750・DREAM CB750 FOUR2台・ZⅡRS750)自分は車検切れ寸前ヤマハRX350だった。
折しも、時代はCB72のカミナリ族から暴走族へと世代交代。
ナナハン時代は1970年代を示すと思うが・・・
既にその年代半ば大型2輪免許は限定解除審査となり大型2輪取得は至難の業となってしまう
バイク三ない運動により?若者のバイク離れが多くなり日本バイクメーカーが世界に羽ばたくと同時に反して国内バイク人口は減って行く奇妙な現象となる。

そんな1970年代の個性ある実際乗ったバイクや記憶に残るバイク達を振返ってみようと思う。




Part1ナナハン時代へ

60年代までの世界の大型スポーツバイクの市場は、英、独、伊、米などのメーカーが独占していた。小~中排気量バイクの実績しかないHondaが新規参入するためには、既存の大型バイクを大きく凌駕するモデルを開発する必要があったのだ。

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1965年に登場したCB450は、当時世界最高性能を誇っていた英国車をターゲットとしたバイクだった。650ccが主流だった英国車に対し、CB450の排気量は450cc。しかし、ホンダ初のDOHCを採用するなど、ライバル車に負けない出力を得ていた
並列2気筒DOHCエンジンのCB450('65年発売)が先兵になったが、高回転で出力を稼ぐという特性が北米市場などで嫌われ、欧米の大排気量車を乗り越えるには至らなかった。
(1966年カワサキからも650-W1が販売され、W1の原型は目黒製作所で制作してたk1と言う車両であったが、メグロがカワサキとの教務提携後624ccに拡大した車種の開発が行なわた。)

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CB450 SENIORは1965年に登場したCB450の進化バージョン(1971年)
当時、既にDREAM CB750 FOURもホンダのカタログにはラインナップされてた

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1974年12月CB450からCB500Tへホンダは個性豊かな2気筒マシンの最高モデルとして開発したもので、信頼性の高いDOHC ハイメカニズムエンジンを塔載、静かで、低中速でも扱い易く、落着いたデザインで発表したが
時代はすでにマルチエンジンのナナハンが主流で販売台数が伸びずに短命で終わったまさに希少車。



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1965年に登場したCB450から次にHondaが用意した回答。それがドリームCB750フォアである。
CB750は'69年4月からアメリカへの輸出を開始。高性能・高品質・低価格で年に6~8万台も売れる爆発的なヒットとなり、欧米メーカーを震撼させ、海外の大型バイクに引けを取らない巨大な車体。グランプリレーサーさながらの空冷4ストローク並列4気筒OHC・736ccのエンジン。そして誇らしげに伸びる4本のマフラー。当時、欧米メーカーの大型バイクの多くが2気筒エンジンを搭載していただけに、CB750の4気筒エンジンは非常にレーシーで、圧倒的なパフォーマンスをイメージさせるもので、日本のバイクメーカーが世界のバイクメーカーと肩を並べた時期でもあった
1970年代これを皮切りに日本国内で言うナナハン時代到来である。


1976年ヤマハRX350からCB500フォアへ乗り換える
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免許取得のお祝いで半年車検が残ってるヤマハRX350(2スト)を近所さんから譲り受け乗ってた。これも今から考えるととても希少な個性あるバイクだった
時代は若かりし頃ステータス4気筒4本マフラーに憧れCB750が欲しかったがバイト代で稼ぎCB500フォアに。
時代背景ながら当時はGT750・CB750・RS750(ZⅡ)の中古は結構な数が有った。

1970年各社750ccバイク

ホンダ
ドリーム CB750FOUR (空冷 SOHC ドライサンプ)

ヤマハ
2年遅れ1972年 TX750 空冷並列2気筒

スズキ
1年遅れ1971年 GT750 水冷2ストローク直列3気筒 日本最初の市販水冷車

カワサキ
750SS(H2)空冷3気筒(2サイクル)
2年遅れカワサキ・750RS(ZⅡ)







追記 ナナハン時代から時はさかのぼり

ナナハン時代夜明け前(バイクメーカー成長期)

それは軌跡的に残ってたホンダCB72/CL72の2台
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1960年自分が産声を上げ間もなく、この名車は生まれた。同年代のバイクに跨る
まさに日本二輪メーカーの成長期。

ホンダHP『思い出の名車コーナー』より抜粋

スポーツライダーの夢を実現してくれた
名前どおりのスーパースポーツ。
それがホンダCB72。


ホンダCB72が発表された時の、有名なキャッチフレーズをごぞんじだろうか。 それは、「トップで70km/h以下では走れません」という、 なんとも刺激的な言葉だった 。
1959年、 日本のモーターサイクルとして初めて、 この当時世界一名高いレースだった <マン島TTレース>に挑戦したホンダは、 翌1960年には、 マン島TTを始め世界2輪 GPでトップを争うまでに技術を急成長させていた。1961年11月、 満を持したように 発売したのが、 ホンダドリームCB72スーパースポーツである。 4サイクル250ccクラス では初めてのスーパースポーツの鮮烈な登場に、 ライダーたちの熱い想いが集中した。 その性能には、 世界GPマシンや、 日本の浅間火山レースで快走したマシンの技術が 注がれていることを予感したからであった。 事実、 この頃のホンダが少量生産した市 販レーサーCR71とこのホンダCB72は、 まったく同じパワー数値を持っていたのである。   空冷2気筒OHCエンジンの最高出力は24PS。 リッターあたりほぼ100馬力を、この時代に 達成している。 その時のエンジン回転数は9000rpm。 これまた、 驚異的な高回転であっ た。

■CB72の生い立ち。
CB72のエンジンのベースとなったのは、 1957年に発売されていたホンダドリームC70で ある。C70はスポーツモデルではなく、ツーリングからビジネスまでの万能車なのだが、 やはり画期的なホンダ車だった。 4サイクルの250クラスのエンジンは、 この頃単気筒 から2 気筒に移行しつつあったが、まだOHVが常識となっていた。だが、 ホンダは2気筒 、しかもOHCエンジンを造りあげて搭載したのである。

このホンダ初の2気筒エンジンは、 スーパースポーツ用に徹底的にリファインされた。 フレームは、 それまでホンダの特徴だったプレス鋼板のバックボーンに代えて、 CB72 のために新設計したパイプフレームのバックボーンタイプになり、 フロントサスペン ションも、 レース経験を生かした剛性の高いテレスコピックとなっている。 リアのスプリングは3段に調節できるものを、早くも装備していた。

キャッチフレーズこそ強烈だったが、 CB72は気難しく乗りにくいマシンではなかった。 CR71に匹敵する速さを持ちつつ、 一般道路での使いやすさをたっぷり持っていたのだ。

■CB72の魅力。
漆黒の塗装とクロームメッキの輝くタンク、そして高性能を象徴するようなみごとな 造形のエンジン。あたかも動物のような精悍さをただよわすその姿は、ホンダらしさ に満ちたグッドデザインで、現代人の眼にもむしろ新鮮である。ちなみに、輸出用モ デルには、赤い塗装のものもあった。そしてもちろん、その走りっぷりも、まさしく スーパースポーツだった。レーシングパーツも揃っていて、レースを楽しみたいアマ チュアライダーに喜ばれた。このCB72でレースを始めたと言う有名ライダーも数多い。

CB72には、性格の異なる2種類のエンジンが搭載されている。タイプ1と呼ばれるエンジンは180度クランク。タイプ2と呼ばれるほうは360度クランク。不等間隔爆発のタイプ1は高速型とされ、等間隔爆発のタイプ2は中低速優先型とされているけれど、 出力は同じである。最高速度はタイプ1が155km/h、タイプ2は145km/hとなっていた。 “走り屋”さんは、180度クランクのタイプ1を好んだが、外観からはほとんど見分け がつかない。 よく見ると、エンジン上部のポイントカバーに、小さくタイプ名があるだけである。

1959年に発売されたホンダベンリイCB92、そして1960年のこのCB72につけられたCBの2文字は、こののち現代まで、ホンダのオンロードスポーツ車の誇り高いイニシャルになっていったのである。

CB72の名声は海外にも響き、全世界に72ファンが生まれた。1960年から1968年まで、8年間も生産され続けたことは、CB72の先進性とすぐれた性能のなによりの証明であろう。いまなお道路で、 見事に手入れされたCB72が、 昔さながらの駿足で走っている のを見ることがある。そしてそのライダーが、 当時生まれてもいなかった年齢の若者 だったりすると、「CBナナニ(みんな愛称でこう呼んだ)の魅力は、永遠なんだなぁ」と、ムカシのナナニライダーは、嬉しくなってしまうのである。


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数少ないタイプ1の証

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CL72
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エンブレムからして前期のCL72か?

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軌跡的に残る名車2台




次回Part2ナナハン時代の名車達へ

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Comment

藤浪直也

還暦ライダーの藤浪です。
興味深く読ませていただきました。
年代がほぼ同じなので、若い頃のことを思い出しました。
YAMAHAのRX-350は、免許を取って初めて乗ったバイクです。
私も自動二輪免許は限定解除なしで、何でも乗れました。
1956年生まれ、18才で取得しました。
ノーヘルOKを少し知っています。
過去記事もこれから読ませていただきます。
  • URL
  • 2015/11/06 18:10
  • Edit

まっこう

懐かしい思いで読ませてもらいました。

70年代前後のオートバイは個性がありどれも捨てがたい物ばかり。

私も高校時代(16歳)に免許を取り、CB450、マッハⅢで通学してましたが
現在では考えられない高校生でしたね。

現在まで現役で、何時もオートバイが傍にあります。

歳はとってもオートバイへの思いは高校生です(笑)
  • URL
  • 2015/11/10 13:44

kazu親父



藤浪さんへ
あの頃のバイクはとても個性豊かに感じます。
高校時代に乗り始めたRX350
大型バイクに高校生が乗れる時代、同年代の仲間達も例外無く4気筒4本マフラーの750ccに憧れたものです
そんな750ccに乗る同級生や先輩達に冗談で「楽器屋のバイク音がいいなぁ」と冷やかされる事も有りましたが・・・
軽いRX350は田舎の細い峠道で仇を取ったりしました
後にCB500フォアに乗り4ストロークや2ストロークそれぞれの特性を知る事が出来ました
バイクは乗って見ないと解らないですね!

  • URL
  • 2015/11/11 09:05
  • Edit

kazu親父

まっこうさんへ
あの頃のバイクは印象に残る個性豊かなバイクが多いですね
ましてや青春時代憧れや印象深さがより一層でしょう

現在も雨以外バイクで通勤してます・・・一日一回バイクに乗らないと気が済まないらしいです(笑)
  • URL
  • 2015/11/11 09:16
  • Edit

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