寒さに負けR1200RT却下・・・

当初バイクで行こうと・・・・
しかし、道中の安全を考えると手軽で早いバイクはこの時期あまりにも危険
普通自動車で行けば良いのだが・・・・あえて軽CARでと考えた変わり者
(今日も寒い朝フロントガラスは真っ白)
DSC02899_R.jpg
タイヤも交換時期だったので早速替えて準備OK

寝袋でも積んで一人ゆっくり旅をと思ってたら息子も行きたいらしい・・・・
そんな訳で息子が学校から帰ったら出掛けよう。


目的
◎奈良県桜井市小夫の庚申塔
天正11年(1583年)賎ケ岳の戦…秀吉、柴田勝家を破る年
庶民の間に庚申信仰が浸透し始めた時代 この早い時期の庚申塔は、中心に捉える本尊は、阿弥陀如来・地蔵菩薩・大日如来あるいは、阿弥陀三尊など各種で、それらが彫像や文字、種子で彫られてる
小夫の庚申塔は、磨崖仏として彫りつけられていた庚申塔。近年道路改修で道幅の拡張に伴い、かつての崖も開削され道路の中央に大きな岩の塊として遺されてる

後の庚申待や講に由来する庚申堂
◎大阪四天王寺の庚申堂または、小泉庚申堂(大阪と奈良の間)


先人の人達の民間宗教には多様な要素を含み日本古来からの民族的宗教で庚申塔を造立した
○道教でいう「三戸(さんし)の虫」を封ずるため
○仏教思想に基づいて現世・来世の安楽を願うため
○神道思想によって猿田彦神・道の神に対する信仰による
○陰陽道思想に基づいてる
○「作神・田の神」など農民が古来から持つ五穀豊穣を始め諸々の祈願を込めて祀る風習と重なっている
が挙げられる庚申塔

庚申堂
中国の神仙思想から道教につながる「三戸(さんし)の虫」の難を避けることから始まった上流社会での「庚申守」は、室町時代頃から庶民の世界に浸透するとともに、守庚申としての集まりが次第に「庚申待」「猿待」と呼ばれるようになった
この庶民の世界に入り込むのは修験道などの行者が各地にもたらしたと言われ、それらと併せて仏教ともつながって行く
室町時代後期から江戸時代になり、各地に庶民の講が組織されその拠点ともなったのが主な地域にできた「庚申堂」とも考えられる。
特に江戸時代に入る頃からはこの「庚申堂」への参詣者が増えたり、仏教とつながる「庚申縁起」なども発行され、流布すると日頃の生活が地縁的な面が強い庶民の間では、農民における「作神」・「田の神」信仰などと結ばれながら次第に地縁的な集まりを中心的にして村の幾つかの「講」が組織され、庚申信仰はこの「講」が主体となり展開するようになる
庚申信仰の仏教的色彩はさらに拍車がかかり、今も賑わう庚申堂の周辺には庚申信仰の一端を垣間見ることができる
古くからの「庚申堂」として有名なのは、大阪大阪四天王寺庚申堂・大和郡山の小泉庚申堂・京都八坂の庚申堂などがある
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このように中国からの民間道教や仏教の考え方が溶け合って進むうちに、江戸時代中頃から神道の
「道の神」とされる「猿田彦神」の信仰が加わり、庚申信仰がますます複雑な様相をしめしていく





追記

資料豊かな境遇にて

幼少の頃から、日頃目にしてた庚申塔
田舎に生まれ、まだ小学校に上がる前の記憶が微かによみがえり、80歳になるお袋に電話を入れた
俺『俺が小さい頃、村では庚申塔にまつわる何か行事をしたかい?』
答えは昭和30年代までその集まりを隣組で行っていたそうだ・・・・・・
その後40余年以上は何も無く、ただ一回河川工事で庚申塔を移設する際におこなったと聞く

年月が過ぎ・・・人生の半分以上を過ぎた今、道に数多く残る庚申塔を見て興味を持ち調べ始めた
もっと早ければと思いつつ調べると我が郷土で30年間に及ぶ歳月を費やし足利市内に於ける
庚申塔2300基以上の調査を続けられ、これを優しく敬虔な目で学問的に説かれた
(我が母校の田村 允彦先生)著の足利の庚申塔の本があった

今回の近畿地方に行き新たに一つの始まりとしたい
そして先代達の足跡 庚申塔・道祖神(石仏)風と共に探訪の整備を



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今まで巡る庚申塔は数多いが精査が十分に済んでないのが殆ど・・・・
↓次回はこれを精査しよう


主尊には文字と像が刻まれ、像に関しては青面金剛像の他「如来」「観音」「菩薩」等がある

今回の小さな発見とは、推測であるが群馬県太田市近辺しかない庚申塔である。と言っても過言ではないだろう

発見場所は太田市金山近辺で二対。主尊は袈裟を着た僧侶
上側には日と月と雲 中段に鳥 下段には2拝猿 庚申塔特有の彫り物

金山大光院の近くにある庚申塔 金山山麓にある庚申塔

太田市金山の大光院

大光院は、慶長18年(1611)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられました。

 上人は、弘治2年(1556)4月、武蔵国埼玉郡一の割村(埼玉県春日部市)に生まれ、元和9年(1623)8月9日、大光院で入寂した名僧です。

 大光院に入山した上人は、看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が大光院には多数集まり、周辺農民も上人の教えを受け入れたので、寺運は栄えました。一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育いたしました。このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、今に篤い信仰を集めております(太田市HPより)

これは正に民間宗教が融合した結果で主尊は他に類を見ない呑龍上人の像で有るに違いない

大光院
DSC02809_R.jpg

金山山麓に有る浅間神社
神社に合祀されてる


では行って来ます

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ロンゲのオヤジ

到着されましたか?
バタバタでなんのお構いも出来ず、申し訳ございませんでした。
例の話、煮詰めて行きましょうね。
楽しみにしております。

kazu親父(a soft breeze)

先日無事午後6時前に帰宅しました
忙しい中お邪魔してしまいましたが・・・
また性懲りも無くお邪魔します (笑

神奈川の方には打診して後日ともさんに連絡します

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