BMW ボクサーDOHCと直列6気筒が今。そして甦る青春

既に御存知の方も多い事でしょう
BMWのボクサーエンジンを積むRTやGSが来年本国ドイツでDOHC化したエンジンで発売になる
http://www.bmw-motorrad.de/de/de/index.html←こちら
今回のDOHC化は、完全新型移行までの繋ぎでは?
気になる所でエンジン出力はR1200RTの場合、現行のSOHCカムチェーン駆動4バルブと変わらない

現行SOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,500rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm

新型ボクサーDOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,750rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm


R1200Rv.jpg

圧縮比は共に 12.0:1で同じ
新型DOHCは現行エンジンより僅か250rpmの高回転で110psにトルクは変わらず

車体はグリルやメーター周りの変更で、ほぼエンジンのみ変更した感じ。

R1200RT2010.jpgR1200RTf.jpg

エンジン知識に乏しい親父はDOHC化により何が優れて変わったか疑問が残る所だ
現行のSOHCと変わらぬ出力今後に期待を。。。


6気筒

イタリアのミラノで11/10から始まったヨーロッパ最大のモーターサイクルショー「EICMA」で、直列6気筒エンジンを搭載したバイク「コンセプト6」を発表したBMW 並列6気筒、1600cc。

bmw-concept.jpg


パワーは定かではないが、二輪では久しぶりの並列6気筒という点で注目を集めたらしい

並列6気筒といえば、すでにレトロバイクの部類に入ってしまう「HONDA CBX」「KAWASAKI Z1300」

親父の若かりし頃を思い出す。



1973年ヤマハTX500 DOHC4バルブ 親父15歳

70年代の夜明け前。当時、世界で最も優れたバイクという評価を得ていたのは、現在でも人気が高い英国製マシン達だった。そのトップモデル達は500cc前後の排気量を持つシングル、あるいはツインモデルで、OHVがほとんどである。しかし、ホンダが放ったCB750Fourは世界中のライダーを驚嘆させると同時に、その後の国産マシンの行く末をも決定づける事になった。ホンダのOHC4気筒に始まり、スズキの水冷トリプルを、カワサキも同じく2サイクル空冷トリプルをリリースする。さらにカワサキは決定打となるDOHC4気筒を打ち出すなど、その勢いと多彩さは今にしても驚異的であった。

しかしヤマハは決して多気筒化の流れに乗じようとはしなかった。しかし、ナナハンという言葉がブームとなるほどの急激な時代の流れの中では、ツインモデルはごく少数派に受け入れられる事は有っても説得力を欠いたのである。そんな中TXシリーズが生まれる。その第一弾となるTX750は'72年にリリースされ、当時の市場ニーズを満たす排気量でありながら、異色のOHCツインだった。翌'73にはXS650を大幅にリファインしたTX650をシリーズラインアップに加え、更にシリーズの末弟にあたるTX500もリリース。

しかし、この末弟は単なる弟分ではなかった。それどころか兄たち以上の熱いハートとポテンシャルを秘めていたのである。国産量産車としては、初の1気筒あたり4バルブを持つDOHCエンジン。当時それは、まさに画期的なメカニズムであったのだ。にもかかわらず、熱病のような勢いで浸透していた多気筒化、大排気量崇拝とも言うべきブームは、そこに正当な価値を見出そうとはしなかった、いや、見るべき視野と判断力さえ失っていたのだった。中でも500は当時でさえも見かけることはまれだった。かくしてTXシリーズは、その勇姿を静かに'70年代の波間に静めていったのだ。

TX500.jpg


以下に過去ログ抜粋

三十数年前の高校時代、我々同年代はナナハンに憧れ誰もが自動二輪免許を取った時代。
既に自動二輪免許を取得すれば大型二輪が乗れる時代だった(二輪の免許制度は二種類、小型二輪と自動二輪の区別)
大型2ストロークエンジンも全盛期時代(スズキGT750、カワサキマッハⅢ等々)

1970年ナナハン時代の幕開けと共にバイクマルチ時代が訪れる
親父は高校生のバイク乗り(当時の高校生は誰もと言う程バイクに乗ってた)
国内バイクメーカーが世界に羽ばたく時期でも有った

親父が高校時代の愛車達
ヤマハRX350 2サイクル2気筒350cc
ホンダCB500フォア 4サイクル4気筒500cc
yamaharx_R8.jpgcb5_R8.jpg



実は、BMWは1970年後半に「モーターサイクル生産を継続するかどうか」の決断を迫られている。空冷ボクサーの需要が年々下がり、業績が悪化していたのだ。その影にあったのが、日本車の存在と将来確実に厳しくなるだろう「規制」。BMWは、1960年代まで英国車の「トライアンフ」や「BSA」などとビッグバイクの主要マーケットであったアメリカで大きなシェアを誇っていた。しかし70年代に入り、日本からホンダの名車「CB750フォア」やカワサキ「Z1」が登場し、状況は一変した。その圧倒的な性能と、低価格はBMWをはじめ「トライアンフ」や「BSA」との差を決定的なものとし、みるみる業績を悪化させていく。結局、3気筒などのエンジンで対抗しようとした「トライアンフ」や「BSA」は日本の技術力に屈し、瞬く間に倒産に追い込まれてしまった。



当時、我々高校生の間ではHONDA DREAM CB750 FOUR (K1.K2)を代表としカワサキZⅡRS750等4気筒4本マフラーが憧れで(スズキに於いてはまだ(GTシリーズ)2サイクル絶頂で3気筒2サイクル4本マフラーであった)

総排気量350cc以下(原付2種を含み)に於いてはホンダ車を除き(エルシノアはホンダ初の2サイクル)全て2サイクルエンジン。

2stオイルの焼ける匂は青春の香りでバイクと共に親父の青春(高校時代)はそこに有った

1970年代前半、街中の高校生は皆バイク、女子に於いても多数原付に乗ってた
携帯電話も無い時代、仲間の所へ行くにもバイク。
『奴は居るかなぁ・・・・家に行って見れば解るんべぇバイクが有れば居るぜ』
こんな感じで有る。高校生のバイク集団は珍しく無い田舎
ヘルメットに於いても着用義務違反が無く勿論皆ノーヘル
ただし、高速道路に乗る場合はヘルメット必須だったが、その時代、まだまだこの親父の住む田舎では高速道路が無い

大型二輪は、高価で手に入らない高校生。有る者は一生懸命バイトをして中古のバイクを買った

そして、我々の乗るバイクは原付は少なく、原付二種(黄色やピンクナンバーが多く)
ホンダダックス70・ヤマハミニトレ80・スズキバンバン等だった

ノーヘルで二人乗りの移動・・・現在そんな光景は無い

ステレオはレコード。洋楽はビートルズやカーペンターズそしてキャロルや矢沢永吉。フォークはかぐや姫、井上陽水、吉田拓郎・・・・・・LP版を貸し借りしバイクで移動

砂利道の多い県道や国道は沢山有った
砂利道をロードスポーツで・・・・・・・思い出せば面白い光景

バイクが何台か集まればその場で仲間と近所の赤城山や春名山へツーリング
そして警察に止められると免許証の検査よりタバコ所持検査 (笑

我々の仲間はむしろ勉強よりバイトがメイン
朝新聞配達や牛乳配達、夜は鮨屋の出前 みんなバイク絡み・・・・

そうそう高校時代の彼女もヤマハチャッピー(2st)に乗ってたなぁ(笑

そんな短い高校時代の青春は終わり殆どが就職
親父も例外無く仲間と別れ上京する

今でも短い高校時代とバイクの事は鮮明に覚えてる





この時代から暴走族問題、二輪事故の急増で
二輪免許制度の3分割化、ヘルメット着用義務違反と情勢が変わり

1970年代、実はこの頃第1次2サイクル規制の波が既に押寄せた
アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。

4サイクルナナハンが出揃った国内は(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
この時既に限定解除時代で中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移り、またナナハンの絶頂期である1980年代中ばからは排気量の制限を受けない逆輸入車に押され、更に750cc「自主規制」がなくなった1990年代以降はリッターマシン(排気量1000cc程度以上の大型車)に押されナナハン時代の終焉となる



上京した親父は、まだバイクが忘れられず二十歳頃でCBXに乗る
二十歳代の親父CBX1000に乗る箱根にて二十歳代

高校時代バイク好きだった影響で、後に5年半歳が離れた弟もバイクに乗り始め
上京した東京までバイクで遊びに来る
既にバイクと高校生の関係は『三ない運動』に移ろうとしてる時

ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった

弟はこの後直ぐRS400から、そのRZ250に乗換えた

10代の頃の実弟と彼のSR400 そしてCBX実弟のSR400 俺のCBX

後に三ない運動が始まる

三ない運動(三無い運動)
1982年の全国高校PTA連合会仙台大会で「『免許を取らない』『乗らない』『買わない』の趣旨の徹底」が決議されて以降、全国規模で展開された

『三ない運動』が日常となり禁止する事から拍車が掛かるバイク氷河期。

二輪車は社会からまともに扱われていなかったのである。しかも、二輪車事故多発地点や暴走族出現地点の道路では通行禁止規制が行われ、それが当然という雰囲気が全国に蔓延していた。
二輪車をあたかも交通社会の構成メンバーではないかのように社会は見ていた。
かつての日本において、二輪車とは、いずれ消え去る運命になる乗り物、若者の遊びの道具で社会にとって役に立たない乗り物と見られていたのである。
この時期400cc以下の全盛期であり三ない運動が盛んに成り始めた



この運動から30年の月日が経過してる 息子の青春高校時代

実際この理不尽な運動は今も続いてるが

かながわ新運動 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/ken/pta/sankou5.pdf こんな運動も生まれた

それでも殆どの学校が今や二輪免許取得を禁止してる
親父の住む群馬県も例外では無い

単車に乗る親達の気持ちはどうだろう?

理不尽な三ない運動が有る為、学校に内緒で免許を取得させてしまう方も多いだろう
そんな行動を取る親御さんの気持ちは痛い程解かる。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

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Comment

松井大門

オッ帰り~~~~~!!!
  • URL
  • 2009/11/26 19:45

ともさん

まいど~~~~~!!!!

先日は遠路遥々群馬から京都までお疲れ様でした。
親父さんも去る事ながら息子さん凄いですね~

私もいつかはBMWって思いながら貯金してますので今回のGSは気になってるんですよ。
また次回お会い出来る日を楽しみにしています。
  • URL
  • 2009/11/27 00:21

kazu親父

> オッ帰り~~~~~!!!

帰りました。
  • URL
  • 2009/11/28 19:49

kazu親父

> まいど~~~~~!!!!
>
> 先日は遠路遥々群馬から京都までお疲れ様でした。
> 親父さんも去る事ながら息子さん凄いですね~
>
> 私もいつかはBMWって思いながら貯金してますので今回のGSは気になってるんですよ。
> また次回お会い出来る日を楽しみにしています。

短かった時間ですがお会い出来良かったと思っております
息子も帰着ご余り疲れた様子も無く今回初めての長距離往復を楽しんでたようです

また来年暖かくなったら京都に出没致します
一緒に走れたら幸いですね!

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