16歳の子を持つバイク乗りの親としての責任

私立高校に通う息子は18歳に、16歳で普通自動二輪の免許を取得させ学校側と様々な事が有った。
今、息子の通う学校側は黙認する形で息子はバイクに乗る日々である

この地方、県教育委員会は『3ない運動』推進。
-二輪車の免許を取らない-
-二輪車に乗らない-
-二輪車を買わない-

上記が三ない運動

視点を変え学校側から、その三ない運動について考えて見る。

三ない運動とは
1982年の全国高校PTA連合会仙台大会で「『免許を取らない』『乗らない』『買わない』の趣旨の徹底」が決議されて以降、全国規模で展開された推進運動。
バイク事故多発により、保護者側から、学校でバイクを禁止してほしいという要望があり運動が始まった

実際、三ない運動の可否は難しく、妥協か努力かの選択肢になってしまう
学校側と保護者が努力し徹底した交通安全教育が出来れば『三ない運動』は必要ないだろう
しかし今現在、学歴社会に於ける学校教育が 『交通安全教育』のカテゴリーを加えるには相当の教育改革が必要。親は『三ない運動』を妥協するしか無いだろう
(数少ないが交通安全教育カテゴリーを取り入れてる学校も有る)

そして最も重要な事は、生徒が在学中に事故に遭わない事が大前提。
もし、学校側がバイクを容認し事故でも起こったならば責任の糸口が学校になってしまう現代保護者事情にも有る(保護者が学校に責任を転嫁する等)

学校は『三ない運動』を推進する事で多くのリスクを避ける事が出来る

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親父の理論

「社会あるところ法あり」という法諺があり、とりわけ、その社会が特定の目的を持つ団体である場合、その内部で特別なルールが規定されることは社会経験上当然そのため、各学校はその目的を達成するため必要な事項を定めて、学生を規律することができる。したがって、高校が校則を制定することは許されるが

校則による私生活規律の可否については問題がある

家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない


何故、今だにこの古い理不尽な『三ない運動』が改められないのか?
それは私生活指導までを期待する親が増えてる為の産物に過ぎない事等々・・・・学校の苦悩も解らない訳でもない
(学校側は生徒の命を守り大勢の生徒を指導しなければならない為、全国PTA連合の議決『三ない運動』は極めて都合の良い運動である)


しかし、親(保護者)の明確な責任があればバイクは乗せられる  その責任や義務を果たせない親が多いから三ない運動は有る
与えないではなく、教えるということが教育ではなかろうか。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

三ない運動は大半の県で今も行われているが、運動に入った時点で、実はバイク以外のものも、取り上げたり捨ててしまったとも思える
この時捨てられたのは、生徒達に向けるべき、教育や愛情の一部 例えば三ないと言いながら免許取得者も居る こうした公然の事実から目を逸らさない、人間としての勇気や行動等である
運動は誠実さを教師と学校と家庭から取り上げてしまった
奇妙な事だが、生徒とバイクに関する現実を見ない眼は、人間としての生徒の生活部分を見る眼とも関わって来る・・・そして罰則中心へと

三ない運動は教育だろうか?
禁止する事からは何も生まれず、矛盾を生み育ててしまう
取り組む事を忘れてしまう『三ない運動』。


三ない運動の拘束力

今年入学の娘の県立高校は勿論『三ない運動』がある
親父の甥(娘からすると従兄)も今年中学を卒業し群馬高専へ入学(国立5年制)

この時点で一つの矛盾が浮かび上がる
群馬高専は免許取得に関し一切関与はしない自己責任で判断させ、2学年からは125cc以下のバイクなら校内まで乗り入れOKである
大きな要因は県教育委員会の範疇外なのである

本来、義務教育中学を卒業すれば社会人ともなる年齢であり、ある程度は自分の責任に於いて行動しなければならない
ある意味『三ない運動』とは自己啓発も疎外するものでもあり
車社会に於いて交通安全とは自己の責任をもって成るもので交通安全教育は実践で学ぶ事に勝るものは無い
(過去ログより)
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息子はバイクに乗り始め、今だに事故を起こした事が無い(運が良いとも言えるだろうが・・・)
運転を見れば親父より慎重な所があり、モラルある運転をしてる



16歳の子を持つバイク乗りの親としての責任

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今年、娘(長女)は16歳の高校生
親父はバイク乗りで有るが故、学校側の『三ない運動』に対し有る種、危惧の念を抱く
『親父や兄がバイクに乗る』その行動が『三ない運動』により悪いものと洗脳される事。

強いて望むなら、娘に学校側の立場を理解し、自分の意志を毅然と持つ事を娘に臨み、そしてバイクに乗る乗らないは娘自身が自らの自分の意志で有る事を。

娘の入学にあたり、法務局確定日付の意見書を送り親の教育権を主張し、『三ない運動』が正当だと教え込む教育や洗脳に対処したい

『三ない運動』に眼を逸らす事無く信念を教え毅然と親の責任を果たす考えである








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ASPCA

犯罪による殺人も、交通事故による死亡事故も
人様の命を奪うのは同じなのに
何故か結果に対する扱いが違うのは何故?

法律で因果の中断と云う項目が有ります。

バイクで事故を起こしました。
事故を起こしたバイクを販売したメーカーが
売らなければ・・、国交省が許可しなければ・・
国が国交省を管理していれば・・・。

三無い運動は責任転嫁の何ものでも有りませんね。
足利事件の冤罪で誰か責任執りましたか?

オイラはバイクに乗るとき父親に念を推されました!

「人様を危めるならお前が死んで来い!」
諦めがつくと・・。

責任を取れない大人に、子供の教育が出来るのだろうか?

今の自分に出来るのは任意保険に加入し、
万が一の時は、最低限でも被害者の方に生活の保障をする事しか出来ませんので
義務>権利と思って居ります!

  • URL
  • 2009/06/15 22:35

kazu親父

犯罪による殺人も、交通事故による死亡事故も
人様の命を奪うのは同じですが、故意に因るものか事故に因るかで大きく変わります。
従って我々は運転する以上、責任として任意保険に加入するべきでしょう
そして、この親父は因果関係の中断はあり得ないと思います。それぞれの目的が有ったもので、結果的に枝分かれ進行した結果ですから。

足利事件の免罪は検察や裁判官の無責任な判断や、教条主義的仕事の遂行によって引き起こされた問題に他なりません

ある意味、あの理不尽な『三ない運動』も同じ事が言えるとも思います・・・難しい所がありますが。

学校や教育委員会を批判する言い方ならば『三ない運動』は責任逃れの布石に過ぎません
しかし、これは仕方無い事で多くの問題は保護者側に有る事を直視しなければ解決に至らないでしょう
極端ですが例えば、給食費を払わない親達、自分達の事しか考えられぬ親が多い事も事実です
甘さが周りを考えられず自分中心に幼く大人に育ってしまった親達・・・

しかし、世間に責任を転嫁する親ばかりでない
それを、信じたい親父です 


最後に
>「人様を危めるならお前が死んで来い!」
>諦めがつくと・・。

この言葉は単純ですが深い親の教育が込められてると思います

はおはお

諸般の事情により親父さんと同じ道で闘うことがなくなってしまいました

よく考えれば2年後に下の子が高校に行きます
今のところ彼は免許取得するつもりらしいので
その時はまたご指導ご鞭撻いただきたいと思います

しかし世の中免許持ってる親があれだけいるのに未だに三ない運動がなくならないのも情けないですね…
親も先生も責任取るのがいやなんでしょうね
  • URL
  • 2009/06/16 13:23

ASPCA

親父様のコメントを読み返し、自問自答の心境です!
インスタントラーメンに驚愕した世代ですが

現代の親御さんがインスタント化されている事が問題なんでしょうね。

便利で簡単に物事が達成出来る事は・・?

座右の銘は「温故知新!」で御座います!

  • URL
  • 2009/06/16 19:37

Gun

突然の書き込み失礼いたします。
興味を持って、いつも見させていただいております。
私は、社会人になってから二輪免許を取得しましたが、理由としては、母親が反対していたからでしたが、
多くの子を持つ親としては、「バイクは危険・悪」=「乗せたくない」という気持ちが強いのではないのではないでしょうか?
それが「3無い運動」に現れているのでしょう。
その気持ちは十分理解できますが、何をもってそう感じているのでしょうか?
暴走族に象徴されるバイクのイメージの悪さの問題、バイクと言う乗り物をよく知らないのもあるかと思います。
(猛スピードで走るライダーは車・歩行者から見れば危険と感じますし、渋滞路で逆走するライダーなぞ問題外で、バイクに乗らない人はそれがよく目に付くのでしょう。)

まずは、ライダーが紳士な運転を心がけること、爆音を轟かせるような改造の禁止など、
バイク=悪のイメージを変えていく事もまた、今バイクを楽しむ大人たちの責任ではないでしょうか。

それと同時に、安全教育・モラルの向上を行っていく事も、大人の責任と思います。

そういった意味では、息子さんはいい環境でバイクを乗られているようで、中年の私から見てもうらやましい限りです。

「3無い運動」が正しいか否かは論じませんが、
バイク問題通じて、「教育の在り方」「親の在り方」について問題定義していく事は、いい事かと思います。

影ながら応援しております。


  • URL
  • 2009/06/16 20:06
  • Edit

kazu親父

例えば
明治維新と共に、教育勅語が
これは、西洋の学術・制度が入る中、軽視されがちな道徳教育を重視したもので、もちろん、西洋文明にも宗教(キリスト教)を背景とした道徳教育は存在しますが、それを直接日本人に適用するわけにもいかず、かといって伝統的に道徳観の基本として扱われてきた儒教や仏教を使うことも明治新政府以降の理念からすれば不適切でした。このため、伝統的な道徳観を天皇を介する形でまとめたものが教育勅語です。こうした道徳観は、伝統的な儒教とは異なるものであり、江戸時代の水戸学からの影響が指摘されています

日本の終戦となり
初期の連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の教育勅語改訂構想もあり、教育勅語の廃止は元々決定されていたものではなかったそうで、その後GHQは、廃止の方針を決定し、また、教育基本法の起案者の1人であった田中耕太郎も、教育基本法では教育精神的な規定を設けずに、教育勅語を初めとする文書類との棲み分けを図ろうとしていた時期もありましたが、後に田中耕太郎は、自己の著書の中で、教育基本法が教育勅語の代わりとなったことを記してます

なお、教育勅語は、神聖的なとりあつかいや朗読が既に止められていたが、1948年6月19日に衆議院では排除、参議院では失効確認が成されました

後に教育は学問だけの教育なり、間違った個人主義が台頭し
道徳は疲弊してしまい

そんな情操教育(道徳)を辞書で引くと 真・善・美・聖などの人間の価値感情を養うための教育。

学歴社会に於いて暗記偏重の知識の教育が最も重要視され、真の道徳教育が無くなった影響なのでしょうか・・・・・。。

kazu親父

権利と責任を主張し
今後ま頑張ろうと思います

ただバイク乗りの親として『三ない運動』の影響で子供達が(バイク=悪い物)と教えられる事が心配なだけで
親として堂々と対処して行きたいと思います
そして尚、自分の意志で毅然と歩む事を望んでます

微力ながら応援出来る事はします


kazu親父

始めまして、書き込み有難う御座います
最近は高年齢化した、珍走族や
二輪事故の高年齢化が目立ちます

些細な事ですが、高速のSAやPAの二輪駐車場のゴミも年々多くなりバイク乗りのモラルを疑う所です
そんなモラル無きライダーばかりでは有りませんが。

まだまだ、バイクの認知度が低い日本です

まず、我々ライダーが紳士的モラルある運転を心がけること
これが大事だと思います




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