ナナハン時代からの2サイクルそして終焉

1998年10月1日から行われた未規制車(2輪車)への排ガス規制が施行され2サイクルは勿論、4サイクルまで大きな影響を及ぼした
実質的にこの時期から2サイクルエンジンは終焉を迎える事になる
この時期から約30年前
1970年代、実はこの頃第1次2サイクル規制の波が既に押寄せた
アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。

それでも、まだ2サイクルエンジンは顕在な時期であり小型バイクやオフロードは2サイクル主流だった
(懐かしい高校時代)
1969年カワサキマッハⅢ500cc 1971年スズキGT750 いずれも3気筒2サイクル
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高校時代初めて乗ったバイク 1970年ヤマハRX350 2気筒2サイクル R1~R3の血筋を引く
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4サイクルエンジンの大御所ホンダが世に2サイクルバイクを送り出した 1973年エルシノア 単気筒2サイクル
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 2サイクル・エンジンは4サイクル・エンジンに比べて、比出力(単位気筒容積あたりの出力)が大きく、構造が簡単で安価(バルブが不用なため)などの利点があるが、燃料消費率が大きい、構造上オイル消費が多く、そのオイル燃焼にもとづく種々の障害が発生するなどの欠点も。

例えば40年前のHS1やHX902サイクル2気筒エンジンは現在の125cc4サイクルエンジンより出力は同等もしくは大きい。(ヤマハHS1最高出力 10.5ps/8000rpm 最大トルク 0.96kg-m/7500rpm)
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90cc2サイクル2気筒エンジンは2サイクルメーカーだったスズキにも
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後に2サイクル名門であるスズキは2サイクルからの脱却を図ろうとしたのか定かでは無いが、2サイクルより燃費の良い出力のあるエンジンを開発したと思われるロータリーエンジン
1973年夏、秋のモーターショーの発表を前に量産試作車が完成し、谷田部のテストコースで走行テストが行われた。高速走行時でも、バックミラーが少しもぶれない程の振動の少なさや操安性のよさに、開発スタッフは改めて驚かされた。それに、走地燃費は水冷2サイクルの750車よりも20パーセントいい数値(しかしどうしても4サイクルに劣る)を出した。同年秋のモーターショーは、シングルローター式バンケルRE搭載、ジユジアーロ・デザインの”スズキRE5″(497cc、最大出力62psの話題でもちきりとなった。
1975年1月、スズキは「RE5」の量産態勢に入った。しかし、排気量(当時の日本国内市販車の排気量の自主規制値であるを超えてしまう)の問題が解決されず、ついに国内販売を断念、輸出のみにしぼらざるを得なかった。
RE5の海外での評価はすこぶる高かったが、1973年10月、第4次中東戦争が勃発。中東産油国が石油戦略を発動し、世界的に”石油ショック”が起り、翌1974年3月、日本国内は石油製品の大幅値上げから、省エネが叫ばれ、1975年9月にも、再び産油国は原油価格の大幅値上げを通告、世界を揺さぶった。
1977年スズキは、発売2年目にして「RE5」の生産中止を決定。
RE5は生産中止されたものの、この開発で得た技術はその後のスズキ車に数多く利用された。

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2サイクルメーカスズキも1976年には4サイクルに移行し2サイクルGTシリーズからGSシリーズに変わる

4サイクルナナハン時代が出揃った国内は(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
この時既に限定解除時代で中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移った

1980年代再び成熟した2サイクル時代へ


6歳下の実弟が免許を取得しバイクに乗り始め再び2サイクルマシンに乗る事になる
RZ250。
ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった
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2サイクル専門メーカーだったスズキもメーカーの威信をかけRGV-250Γを開発し
ヨーロッパメーカーのアプリリアRS250はスズキ・RGV-ΓをベースとするV型2気筒の250ccエンジンを搭載し、最高馬力は85psの発生も可能とされていた。ガンマのエンジンタイプは、VJ22A型式のヨーロッパ仕様が元になっており、RS250発売開始当初はベースの62psのガンマより8psアップした70psの出力がある事になっていた
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日本メーカーが2ストロークレプリカバイクの生産を終了してからも、アプリリアはRS250を生産しつづけていたが、環境規制とスズキからのエンジンのデリバリーが終了したことにより2003年に生産終了となり、このオートバイが世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなってしまった。


バイク2サイクルエンジンそれはまた違った感動を与えてくれた
2009年現在、原付バイクから大型まで2サイクルエンジンは完全に姿を消した

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Comment

はおはお

わ~い
2STの記事だw
環境に悪いって言っても排気量が小さいんだから
トラックなんかに比べたら大したことないのに…
タイに行った時なんか2STだらけでしたよ
日本だけ貧乏くじ引いたみたい
メンテも簡単でいいのに…
また乗りたいよ~
  • URL
  • 2009/02/02 16:17

kazu親父

ネタが無くて
はおはおさんのブログからヒントを得て
書いてしまいました(笑)

それにしても2ST良かったねぇ~

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