新型3気筒MT-09からXS750Specialを思い出す 

30数年前ヤマハからGX750やXS750Specialが登場し
再び3気筒マシンMT-09が登場した

高校時代ヤマハRX350からCB500Fourを経て
1979年所有したXS750Special(二十歳の頃)
3気筒独特のパルス感が有り回転の上昇と共にマルチの様相が楽しめたマシン
'81年に3気筒・GX750やXS750Specialは5年間の生産に幕を降ろす。
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1970年代後半既に大型二輪限定解除制度となり若者のバイクは400ccへと移行するが
現在はその規制も緩和され教習所で大型免許が取得可能となり男女問わず大型二輪の人口が増え喜ばしい事だ。



今や3気筒は英トライアンフの象徴でMT-09はトライアンフの二番煎じかと思われるが・・・そうでも無いと思う

1970年後半日本車の存在と将来確実に厳しくなるだろう「規制」1960年代まで英国車の「トライアンフ」や「BSA」などとビッグバイクの主要マーケットであったアメリカで大きなシェアを誇っていた。しかし70年代に入り、日本からホンダの名車「CB750フォア」やカワサキ「Z1」が登場し、状況は一変した。その圧倒的な性能と、低価格は「トライアンフ」や「BSA」との差を決定的なものとし、みるみる業績を悪化させていく。結局、3気筒などのエンジンで対抗しようとした「トライアンフ」や「BSA」は日本の技術力に屈し、瞬く間に倒産に追い込まれてしまった。

大型モーターサイクルには4サイクル化の流れが押し寄せた。ヤマハも「2サイクル&4サイクル」の打ち出しの元、'70年XS-1に続いて'72年TX750、'73年TX500を投入したが、4サイクル技術で先行するホンダCB750やカワサキ750RS(ZII)との差を埋めきれず、市場の評価は国内・海外ともに厳しさを増すばかり。GX750の開発は、そうした危機的な状況を打開するプロジェクトとして、'73年夏からスタートした。
ヤマハらしさのこだわりが生んだ3気筒
最初から750cc・3気筒に決まっていたわけではない。すでに海外でホンダGL1000、カワサキ900Super4(Z1)などが人気を博していることを考えると、少なくとも国内最大排気量の750ccは必須条件だった。さらに、レイアウトをどうすべきか。 まずTX650ベースの900cc・2気筒を叩き台としながら検討が重ねられ、排気量は750ccと決まった。しかし問題はそこからだった。本社エンジン開発スタッフは、他社モデルと真っ向勝負の4気筒。アメリカの商品企画担当者は、他社にない3気筒エンジンによる差別化を主張して譲らない。さんざん議論を尽くした末に、担当役員の判断も加えられ3気筒とすることで決着した。
4気筒に比べて横幅が狭くコンパクトな3気筒エンジンは、車体のバンク角を十分に確保しながらエンジンの搭載位置を低くして低重心化することができ、操縦性の面でもデザイン面でも有利に働く。そうした「軽量・スリム・コンパクト」に対するこだわりと、4気筒に負けない高性能・高品質な3気筒を創るというチャレンジスピリット。それが「他社とは違うヤマハらしさ」につながるという判断だった。
翌年には、3into2マフラーの採用、燃焼室形状やバルブタイミング、キャブレター変更などで最高出力を67PSにアップした。この時マフラーを変更した理由はもうひとつある。3気筒分を1本にまとめる太いマフラーでは右コーナーでの深いバンク角に影響を与え、また重量バランスのわずかな偏りが左右のハンドリングの違いに微妙に影響を与えたからだ。3気筒ツアラーとは言いながら、ハイパフォーマンスを売り物にして得意げな4気筒750ccモデルに負けまいとする、対抗心の表われであった。
そして'78年以降、GX750の3気筒エンジンとシャフトドライブはますます熟成が進み、アメリカン的なデザインを取り入れて海外モデルの名称“XS”を冠したXS750スペシャル、排気量を拡大した海外向けモデルXS850、XS850ミッドナイトスペシャルなどさまざまなバリエーションモデルを生み出していく。
'81年に新しい時代を担う4気筒モデルXJ750Eがデビューすると、3気筒・GX750ファミリーはそのまま主役の座を譲り、5年間の活躍に幕を降ろす。その後現在に至るまで、ヤマハモーターサイクルのラインナップに4サイクル3気筒モデルが登場することはなかったが、今回ヤマハから発売されたMT-09はライダー達にどんなインパクトを与えるだろか。

追悼の思い鳥海山へ

  • 2014/03/30 17:25
  • Category: 日記
私が長期中国出張の間で表明する機会が出来ず24日で半年が過ぎました。


ブログを通してツーリングでもお世話になった「バイクに乗ったおやぢ」の管理人でいらっしゃるmAm23様が去年9/24に永眠されました。
百か日を控えmAm23さまのご冥福を心からお祈りいたします



mAm23さんは闘病のなか最後までバイクをこよなく愛し、家族との団欒も大切にされてました

東北方面ツーリングでは何回かお世話になり家業の老舗旅館を利用させて頂き
時間を惜しまず一緒に走り鳥海山や法体の滝、等々案内頂き思い出を沢山残せました

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私が怪我で3年間大型バイクに乗れずに過ごした間
(治ったら秋田に来て下さい!)と・・・


必ず行きます!雪解けした鳥海山ブルーラインへ

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最後までバイクをこよなく愛したmAm23さんあなたの分も走り続けます。

下駄のようなスーパーシェルパ

暖かくなると通勤に使うシェルパは軽く、オフロードながら足つきも抜群。


下駄のような手軽さ万能バイクと言えばスーパーカブ
最近スーパーカブも110ccになりクロスカブも面白そうだ
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日本は第二次大戦後の復興と高度経済成長の中、1960年代からの数十年は「世界の工場」と呼ばれる程に製造業が躍進しその中でもMade in Japanのスーパーカブも有名で良質なバイクだった
近年は国内外の各企業はより人件費の安い中華人民共和国やタイへ生産拠点の移転を進めた。
その為Made in Japanで名を馳せたスーパーカブも今や中国生産に
海外進出の日本企業は今まで培った技術や生産管理などそのまま現地で展開してる品質はMade in Japanと同等だろう

クロスカブは原付二種で税金や保険がお得(任意保険は乗用車に付属するファミリーバイク保険)。一般道は法廷速度で走れるので景色を楽しみながらの長距離ツーリングも難なくこなせるだろう。



話を戻しスーパーシェルパ。このバイクは街乗りでもワイディングやOFFでも無理なく走破してしまう
原付二種から比べると明らかに任意保険は高くなるが車検は無い。

シェルパで山道OFF(夏)
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シェルパで山道OFF(残雪の残る春さき)
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オンロード
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下駄感覚で普段は通勤バイクとして街中を走る。。。



シェルパのシート高は830㎜とオフ車にしては低く乾燥重量111㎏車両重量128㎏
其々250cc以上のオフ車のシート高はこれより50㎜程高くなり重量も増して行く







そして気になった・・・・・Enduro









G 650 GS
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エンジン
タイプ
水冷4ストローク単気筒DOHC4バルブ、ドライサンプ式潤滑
ボアxストローク
100 mm x 83 mm
排気量
652 cc
最大出力
35kW(48ps)/6,500rpm
最大トルク
60Nm/5,000rpm


寸法/重量
全長
2,140 mm
全幅(ミラーを含む)
890 mm
全高(ミラーを除く)
1,310 mm
シート高、空車時
770mm(オプション ハイシート:820mm)
インナーレッグ曲線、空車時
1,750mm(オプション ハイシート:1,850mm)
空車重量、走行可能状態、燃料満タン時 1)
196kg
乾燥重量 2)
175 kg
許容車両総重量
380 kg
最大積載荷重(標準装備時)
184 kg
有効燃料タンク容量
14.0リットル
リザーブ容量
約4.0リットル



シェルパと比べデータを見る限り重量は50㎏増しになり車格は少し大きくなるがなんとシート高が50㎜も低い・・・
シート幅にもよるが足付が良いのでは?

気になる一台だがまたBMWかよ・・・・・
排気量も650cc
車検も有る・・・どうなんだろう・・・・・・

実車が有れば跨いで見たいっす(笑

桜開花予想・スーパーシェルパで寄り道偵察

暖かくなりバイク通勤を始め
朝のニュースでは東京の桜開花予想は今日で満開は日曜位

地元花見シーズンで賑わう裏山の沼へUターンし寄り道
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親戚の叔父さんが居たので会釈で挨拶し
俺『もうそろそろ桜は咲くかねぇ』

叔父『菅塩の桜は遅咲きだから、あと12日ぐれえだんべぇ』

俺『ちょっと見てくらぁ』

叔父『バイクで山には入らなかんべぇ?』
藪蛇である(笑
3年前シェルパで山に行き怪我をし一晩遭難し村中大騒ぎ・・・
(大型バイクに3年乗れなくなった)

俺『山は行かねえよぉ』(笑)

叔父の笑顔を後に退散し沼に向かう
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桜はまだ開花してない
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シーズンになると綺麗な桜で様相が変わります
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枝を見ると
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偵察をすませ暖かな日差しの中寄り道をしながら出勤
暖かくなり園児も先生と外のお散歩
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やしろに参拝し
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遅刻出勤!

明日は雨模様・・一雨毎に暖かくなるだろう
バイクは置いて車で帰宅。。

ツーリングの思い出

  • 2014/03/24 16:26
  • Category: 日記
今日は、息子が就職で名古屋に巣立った
一時帰郷してた大学3年の長女も東京へ帰る
残るは末娘一人に
家の中が少し寂しくなるかな

三人の子供に囲まれツーリングを楽しんだ日々
2007年17歳の息子と13歳の末娘
2007年の11/4息子と末娘
2008年FJRで長女と
タンデムで一緒
2008年FJR1300/VTR250
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2010年R1200RT/VTR250
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今度このVTR250とツーリングする日はいつになるだろうか・・・・
息子と35540kmの道のりを走ったVTRを彼は取に来るだろうか?
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息子は今日この車で旅立った
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ブログタイトル風と共に FJR1300 VTR250 (雑感)はこのままに

R1200RT 2014 納車4月3週~4週目決定

今日ディーラーから相談の電話が有り5月連休後納車予定が4月に早まった。(勿論早い方が良い!!)
話によるとRTを先約してたお客さんが、どうしてもGSに乗りたくなったようだ・・GS人気ありますねぇ!

色はクオーツブルーメタリック
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ディーラーの話では最近フルモデルチェンジした車種に対してかなりの商談が有るらしい。
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ソロでもタンデムでも乗り易いバイク 子供みたいに早く来ないか、早く来ないか・・・と
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もう一台友人のBMW R1150R Rocksterも3/28にやってくる
ツーリングシーズンもそろそろだぁ!
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日曜出勤も終わり

今日は暖かい!車は置いてバイク(カワサキLEOse)で帰ろう!!

Rrockster

最近R1200RTの事ばかりなのでRD125やTDR125ついても書きたいが・・・・


ロックスター?・・・・・・・・
最近友人S君がリターンライダーとし乗りだす中・・・バイク物色中に見つけ気に入ったバイク
免許も中型二輪から大型にと頑張ってる。









BMW R1150R Rockster
そしてまた・・・・・ボクサーエンジンを積むバイクの事。


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これ個性的で良い!BMWらしからぬ形?
販売台数からすると、Rocksterはとてもレアなモデル
ベースはロードスターと思う

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エンジンは80年以上の歴史あるボクサー
Rockster(R1150R-F)ツインプラグ仕様でロードスター(R1150R)はシングルプラグ
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バイクはそのエンジンにより大きく特徴が変化する
Vツインの好きなハーレー乗りの人、またドカティ90度L型ツインを好む人
単気筒、パラレルツイン、パラレル3.4.6気筒・・等々様々。

最近ライダーの年齢層は広がり多種多様なバイクが走る
この親父が1970年代350ccの二輪車の試験で大型二輪免許が貰えた時代から既に40年近くが過ぎ
その間、大型自動二輪免許の取得が非常に難しい時期も有ったが
現在はその弊害も緩和され男女問わず多くの大型二輪ライダーが居る



1970年代高校生の親父はヤマハRX350からホンダCB500Fと乗り継ぐ
まさにマルチに憧れマルチ時代と言っても過言でなかった(ヤマハは当時4サイクルエンジンはパラレルツイン)

1970代後半マルチ最高嶺CBX1000(生産期間が短く短命に終わった)
20代の親父。。。若いでしょ(笑
二十歳代の親父CBX1000に乗る 箱根にて二十歳代
6気筒バイクは実にスムーズでジェット機のような音で加速した


そのパラレル6気筒モーターサイクル(CBX)は短命に終わり

30年後再びBMWから6気筒がデビューを果たした。

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BMW
コラム

実は、BMWは1970年後半に「モーターサイクル生産を継続するかどうか」の決断を迫られている。空冷ボクサーの需要が年々下がり、業績が悪化していたのだ。その影にあったのが、日本車の存在と将来確実に厳しくなるだろう「規制」。BMWは、1960年代まで英国車の「トライアンフ」や「BSA」などとビッグバイクの主要マーケットであったアメリカで大きなシェアを誇っていた。しかし70年代に入り、日本からホンダの名車「CB750フォア」やカワサキ「Z1」が登場し、状況は一変した。その圧倒的な性能と、低価格はBMWをはじめ「トライアンフ」や「BSA」との差を決定的なものとし、みるみる業績を悪化させていく。結局、3気筒などのエンジンで対抗しようとした「トライアンフ」や「BSA」は日本の技術力に屈し、瞬く間に倒産に追い込まれてしまった。

もともと乗用車メーカーとしての母体があり、創業事業がモーターサイクルであったことから、モーターサイクル事業を継続していたBMWだが、日本勢の多気筒化、DOHC、水冷化によりボクサーとの差は開く一方であった。BMWも「ボクサーでは、到底日本車には勝てない」と判断していた。それでも、モーターサイクルは原点であったことを重視したBMWは継続を決断するが、年々厳しくなっていく規制を鑑みれば、ボクサーでは満足するものが作れない。ならばまったく新しいエンジン、つまり「空冷ボクサー」とは異なる「水冷DOHC4気筒(Kシリーズ)」の生産を決める。もちろん、日本勢のモノマネではなくBMW哲学を貫く。つまり、ボクサー同様にミッションから駆動系までを一体成型する。そう、水冷版のコンパクトドライブを目指したのである。

この革新という言葉を詰め込んだようなエンジンとともに、ボクサーエンジンは消えていくはずだった。ところが、その予測は完全に覆されるのである。なんと、この最新エンジンKシリーズが発売されても、ボクサーは相変わらず売れていたのだ。当初は、なくなるかもしれないボクサーを惜しんだファンが殺到しているのだろうと思われていた、いつまでも売上は落ちない。BMW社がファイナルモデル宣言をすると、バッグオーダーが殺到。しかたなく延命措置をとるも、ファイナルモデルの発表をするたびにバックオーダーがたまるという状況が続く。ユーザーはすでに性能だけでモーターサイクルを選ばなくなっている。BMWはそう判断し、それならば、とボクサーエンジンを改めて改良、新型ボクサーとして新ためてデビューさせたのである。

私たちが今、乗っているボクサー。決して性能を重視したわけではない。しかし、ボクサーエンジンの原点ともいえる「パワーだけを求めず、総合的な性能を追及する」という原点、哲学が貫かれ、そしてそれはライダーに評価されて80年以上を生き抜いてきている。BMWのエンジニアたちの情熱と、ファンの愛情に囲まれたボクサーエンジンを改めて見てみてはどうだろうか

ボクサーは決して速くはないがそれを補って余りあるものがある




リターンするS君R1150R Rockster良いね!ツーリング行こうぜ。



風と共にVTR250

2007年高校2年からVTR250に乗る息子と走り続け7年8ヵ月
今月大学を卒業し24日就職のため名古屋へ巣立つ
高校から大学と走り続けたVTR250は一旦終止符を・・
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VTR250 35540km旅で終止符を
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高校生(バイク三ない運動)と対立しながら高校生ライダーを経て大学へと
結果として今、乗せて教育の方針は間違ってなかと確信する
22歳無事故でゴールド免許取得は結果だろう
息子は親からバイクを与えられ恵まれた環境で育った


親父はシェルパで出勤
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暖かな日差しの中、冷たい風が吹いてた朝。息子の巣立ちの様相だろうか?

晴れの日
雨の日・・・
人生は様々な気候が有る





アンネの日記事件からVisas for 6,000 Livesを思う

  • 2014/03/21 18:57
  • Category: 日記
今朝のニュースで
 安倍晋三首相は、オランダでの核安全保障サミット出席に合わせて「アンネの日記」の作者であるユダヤ人少女アンネ・フランクを記念する「アンネ・フランクの家」博物館を23日、訪問する。日本でアンネの日記や関連書籍が破られた事件に心を痛めていることを博物館関係者に直接伝える方針だ。
上記はアンネの日記破損事件を踏まえた問題で訪れるのだろう。

この事件は日本国内だけでなく、BBC、ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポスト、ガーディアン、ハーレッツなど、海外の主要メディアもこぞって報じている。
米国のユダヤ人権団体「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が緊急の声明。
・ヴィーゼンタール・センターは、日本の図書館で『アンネの日記』が大量に冒涜されたことに衝撃を受け、深い懸念を示します
様々な国際的反響をもたらした事件と言える


1952年12月に日本語に翻訳された「アンネの日記」は、1953年にベストセラーリストで1位になり日本国民に大変親しまれてる書籍。
また、日本は東アジアで唯一、アンネ・フランクの像や博物館を有しており、毎年約3万人の日本人観光客がアムステルダムのアンネ・フランクの家を訪れている

まして日本には反ユダヤの土壌の一切ない国で、こんなことをしても意味はない
この事件が日本人の感情を代表していないことは一目瞭然だし、筋道だった何らかの思想に基づいた犯罪でなさそうなことは、誰もが感じるだろう




映画で「シンドラーのリスト」は有名である
日本にも杉浦千畝氏(日本のシンドラー)と言われる人が居る
是非「六千人の命のビザ」(新版) 杉原幸子著 大正出版を読んで頂きたい
【六千人の命のビザ】
1939年,フィンランド外交官だった杉原千畝(ちうね)は,リトアニアへの転勤命令を受け,首都カウナスの日本領事館に赴任した。
リトアニアは,バルト海沿いの小国で,在留日本人はおらず,直接の通商関係も無く,日本とは無縁の国だった。したがって,千畝に期待されていた役目は,ポーランド情勢が切迫してゆく中での,最前線でのソ連・ドイツの情報収集であると思われる。すでに,ドイツは,ポーランドとの不可侵条約を破棄し,ソ連と不可侵条約を結んでいたからだ。
そして,千畝が着任して,わずか4日後,ドイツ軍は電撃的にポーランドに侵攻。続いて,ソ連が東から攻め込み,ポーランドは,ドイツとソ連に分割占領された。
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「1939年9月,西ポーランドに侵攻したナチス・ドイツ軍が,その占領した地区の住民に対して示した凶暴ぶりは,日に日にその熾烈さを増してゆき,そのうちでも,とりわけ猶太(ユダヤ)に対する残虐さは目をそむけしむるものがあった。それ故に,仮に今日のところはまだその難を免れ得たとしても,明日のわが身はどうなるかは,誰一人予測できない状況にあったので,三々五々相集うようになり,同年末頃からは,早くも北へ向かって民族移動の様相すら帯びてきた。この民族大移動の大部分は,途中,言語に絶する困難を乗り越えて,遠くバルチック海に臨むリトアニアの首都,カウナスに流れ着いた。当時私は,リトアニアのカウナス領事館に領事として在住していた」(杉原千畝の手記より)

そして,翌年の1940年7月18日の早朝。
千畝は,いったん事務室に下りていった後,再び戻ってきて,妻幸子の部屋をノックした。

「ちょっと窓から覗いてごらん」

幸子はカーテンを少し開けて,外を覗いて驚いた。建物の周りをびっしりと黒い人の群れが埋め尽くしているのだ。

領事館前でビザ発給を訴えるユダヤ人たち
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当時のリトアニアの日本領事館
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「いずれもポーランド西都市からのユダヤ系であって,ナチス・ドイツ軍による逮捕,虐殺の難を逃れ,唯一の逃れ道としてのヴィルノ(現リトアニアの首都ビリュニュス)を目指し,晴雨を問わず幾日もかかって,ある者は鉄道線路沿いに痛む足をひきずりつつ,ある者は運良く行きずりの荷馬車に乗せてもらうなどして,辛うじてヴィルノにたどり着いたわけである,とにかく,ソ連,日本を経由してそれ以遠の第三国に移住するための日本通過ビザを発給してもらいたい,ということだった」(同手記より)

時折,窓を覗くと,顔の汚れた幼い子供が父親の手も握っているのが目に入り,胸の奥に鋭い痛みを覚え,幸子は思わず目を閉じてしまった。

当時,キュラソービザというものがあった。受入国の無いユダヤ人へビザを発行するために,入国ビザを必要としない南米キュラソー(オランダ領スリナム,キュラソー島など)を受け入れ先として利用する方法である。千畝は,この方法を,ユダヤ人に同情的なオランダの領事ヤン・ツバルテンディクから聞いて知っていた。そして,領事の権限で,少数のビザなら発行できると判断し,一日に3,4件のビザを発行していたのだ。そのため,カウナスに行けば日本行きのビザが取れるという情報が広まり,ユダヤ人逃亡者たちが,いっせいに日本人領事館に押し寄せてきたのである。

数日中には数千人にまでなるだろうと聞かされ,千畝は本省宛にビザ発給の許可を求める請訓電報を打った。
二度打ったが,二度とも,本国は拒否してきた。
当時,日本はドイツと軍事同盟を結んでいた。ユダヤ人を逃がすような行動は,ヒトラーへの敵対行動にあたる。また,仮に許可が下りたとしても,ビザ発給の行動がゲシュタポに知られれば,襲撃される恐れすらあった。千畝は苦悩した。

「最初の回訓を受理した日は,一晩中私は考えた。考えつくした。回訓を文字どおり民衆に伝えれば,私は本省に対し従順であるとして,ほめられこそすれ,と考えた。仮に当事者が私でなく,他の誰かであったとすれば,おそらく百人が百人,東京の回訓どおり,ビザ拒否の道を選んだであろう。(中略) 苦慮,煩悶の挙句,私はついに人道博愛精神第一,という結論を得た」(同手記より)

日本では,ユダヤ人に対するナチスの残虐行為について,その実態が知られていない。ナチスの非道を,現地ユダヤ人から確認した千畝は,ユダヤ人をその生き地獄から救うべく,決意を固めた。ソ連領事館を訪れ,日本のビザを持った者に対し,ソ連内の通過ビザが下ろされる,ということを確認すると,日本政府の訓令を黙殺し,独断でビザ発給を行うことを決めたのだ。

7月29日の休館明けの月曜日から,千畝は,猛然とビザを書き始めた。

「かくして,忘れもせぬ,1940年7月29日からは,一分間の休みもなく,ユダヤ難民のための日本通過ビザ発給作業を開始した次第です」(同手記より)

その日,千畝が表に出て,鉄柵越しに「今からビザを発行する」と告げたときの,民衆の歓喜のさまを,妻の幸子は窓から見ていた。最初に,人々の間に電気が走ったような一瞬の沈黙があり,その後の,どよめき,抱き合ってキスし合う姿,天に向かって手を広げ感謝の祈りを捧げる人,子供を抱き上げて喜びを押さえきれない母親。

整理券を配り,一人ずつ面接を行い,名前を間違えないように,しかも手書きでビザを書くという,手間のかかる作業が始まった。1日300枚が目標である。記入するのは千畝でなければならない。知らず知らずに手に力がこもり,万年筆が折れてしまい,ペンにインクをつけて書くという日が続いた。一日が終わると,ぐったり疲れてベッドに倒れこむ。痛くて動かなくなった腕を,妻がマッサージしている,ほんの数分のうちに寝入ってしまうような状態であった。

外には大勢のユダヤ人が順番を待って朝から晩まで立っている。 やっと順番が巡ってきて、ひざまづいて杉原の足もとにキスをする 女性もいた。夜はもう寒いのに、近くの公園で野宿して順番を待つ人もいる。
最初は,採番した番号を記入していたが,2000枚あたりでそれも取りやめた。手数料の徴収も停止した。
朝から,晩まで,休むことなくビザを発給し続ける毎日が20日ほど続いた。
そんな中,8月3日には,リトアニアはソ連に強制されて独立国を放棄し,ソ連の一共和国として加盟した。そのため,ソ連は領事館の閉鎖を求めてきた。千畝は8月28日までビザを発給し続けたが,ソ連からの,激しい退去命令がくりかえし行われ,やがて外務省からも,「ただちに領事館を閉鎖して,ベルリンへ行け」との,有無を言わせない強い指令が来るにいたり,千畝もついに引き揚げを決意した。

領事館から車で出たときに見た,数人のユダヤ人が呆然と佇んで見送る姿を,忘れることができないと,妻幸子は回想録に残している。

疲労困憊した千畝は,そのまま汽車の長旅に出れるような状態ではなく,ホテルで休むことにしたが,ここにもユダヤ人がビザを求めてやってきた。千畝が行き先を領事館の扉に貼り出していたからだ。領事印や用紙は既にベルリンへ発送されていたため,ありあわせの紙で,正式なビザに代わる許可証を発行した。退去期間のぎりぎりまでホテルで逗留していた千畝だが,ホテルにも,外務省からの電報が届き,一刻も早くベルリンへ移動しろとの訓令が来る。国境が閉められると,国外脱出ができなくなるからだ。

9月5日の早朝,カウナス駅でベルリン国際列車を待っている間にも,ビザを求めて何人かのユダヤ人が来ていた。千畝は,汽車が走り出すまで,窓から身を乗り出して許可証を書きつづけた。やがて,汽車が走り出した。もう書くことができなくなった。

「許して下さい。私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」

夫は苦しそうに言うと,ホームに立つユダヤ人に深々と頭を下げました。呆然と立ち尽くす人々の顔が,目に焼き付いています。

誰かが叫びました。
「スギハァラ。私たちは,あなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」

列車と並んで泣きながら走ってきた人が,私たちの姿が見えなくなるまで何度も叫びつづけていました。



【後日談】
ビザを受け取ったユダヤ人達は、数百人毎の集団となって、身動きができないほど詰め込まれた列車で、数週間をかけて、シベリアを横断した。ウラジオストックの日本総領事は、千畝をよく知っていて、杉原の発行した正式なビザを持つ人を通さないと海外に対する信用を失うことになると外務省を説得した。

日本郵船のハルピン丸が、ウラジオストックと敦賀の間を週一回往復してユダヤ人達を運んだ。船は小さく、日本海の荒波で激しく揺れ、ユダヤ人達は雑魚寝の状態で船酔いと寒さに耐えながら日本に向かった。それでもソ連の領海を出た時は、ユダヤ人の間で歌声が起こった。シベリア鉄道では歌を歌うことさえ許されなかったのだ。

新天地カナダへ向かう「日枝丸」船上で開放感にみちた表情のアン・ニューエルトさん
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横浜から「氷川丸」に乗ってアメリカに向かうユダヤ難民
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昭和15年10月6日から、翌16年6月までの10ヶ月間で、1万5千人のユダヤ人がハルピン丸で日本に渡ったと記録されている。敦賀から神戸に向かい、神戸のユダヤ人協会、キリスト教団、赤十字などの援助を受けた。「日本人はやさしかった」と、あるユダヤ人は後に幸子に語っている。神戸と横浜からユダヤ人達はイスラエルやアメリカに渡っていった。


一方,杉原一家は,敗戦後、ブカレストでソ連軍に拘束された。それから先,杉原一家は,収容所を転々としながらシベリアを横断して日本へ送還される過酷な日々を辿る。
半年もの長い旅を終え,ようやく故国の国を踏んだ杉原一家であったが,しかし,日本に戻った千畝は、外務省を退職させられることになる。占領軍総司令部から各省の職員を減らすようにという命令が出ていたのだが、「やはり命令に背いてビザを出した事が問題にされているのか」とも思った。千畝は黙って外務省を去った。

その千畝にイスラエル大使館から電話があったのは、昭和43年8月の事だった。千畝に救われた一人、ニシュリという人が参事官として在日大使館に勤務していた。ユダヤ人達は28年間も千畝を探していて、ようやく見つけたのであった。

ニシュリは、千畝に会うと、一枚のぼろぼろになった紙を見せた。 千畝からもらったビザである。そして千畝の手をかたく握って、涙を流した。

翌昭和44年、千畝は招待されてイスラエルを訪問した。出迎えたのはバルハフティック宗教大臣,領事館でユダヤ人代表として千畝と交渉した人物である。

バルハフティ宗教大臣と29年ぶりに対面
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バルハフティック大臣は、千畝をエルサレム郊外にあるヤド・バシェムという記念館に案内した。ホロ・コーストの犠牲者を追悼するとともに、ユダヤ人を救った外国人を讃えるための記念館である。 杉原はそこに記念樹を植え、勲章を受け取った。その記念館には「記憶せよ、忘るるなかれ」という言葉が刻まれている。


昭和60年1月、千畝はイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられた。日本人としては初めての受賞である。すでに病床にあった杉原の代わりに、夫人と長男がイスラエル大使館での授賞式に参加した。杉原は病床のまま、翌昭和61年7月31日に亡くなった。

参考文献:
「六千人の命のビザ」 杉原幸子著 大正出版
「自由への逃走-杉原ビザとユダヤ人-」 中日新聞社会部編 東京新聞出版部


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2014年 R1200RT 納車待ち

BMW R1200RT(2008年式)から新型に乗り換え決定。
クオーツブルーメタリック
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エボニーメタリック
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クオーツブルーメタリックかエボニーメタリックにシルバー系が無いのでどちらでも良い。

パニアも装備
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ETCとナビ装備
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この春から新しい相棒と共に走りだします。
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納期は一ヶ月位との事です

BMW R1200RT (2008)VS(2014)

落ち着かない日々を過ごす・・・・
3年間冬眠をさせてしまったR1200RT(2008年式)を車検に入れ乗り出すか、下取りに出し(2014式)に・・・・思案中


2008年当時のR1200RT (OHCエンジン)ノルウェーのツーリングプロモーションビデオで、素晴らしい景色が満載

このビデオでも現れてるが、その巨体にも拘らずタンデムでもコーナーを難なくこなす挙動はR1200RT(重心の低いボクサーエンジン)だからだろう
アンチBMWの親父が乗り換えた理由もその一つ。シルキーなボクサーツインの鼓動と共にどこまでも走りたいそんな気持ちにさせるバイク。


先日ディーラーに行き新型のR1200RTが有り試乗を勧められたが、足の怪我からまだ一度も大型バイクに乗って無いので取り敢えず辞退、跨って見ると脚付性が良くなってる・・・試乗すれば良かったと後悔。

動画にてレビューを見てみる
【映像制作・配信】
MotoBasic
http://motobasic.com/



記憶によると2008年RT購入時から2年後にボクサーユニットはOHCからDOHCにリビジョン
2008年R1200RT
SOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,500rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm
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2010年R1200RT
DOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,750rpm 
最大トルク 120Nm/6,000rpm
2012 BMW R1200RT - 6

2014年R1200RT
空液冷フラットツインエンジン、4ストロークダブルカムシャフト、バランサーシャフト
最大出力 92kW (125ps)/7,750rpm
最大トルク 125Nm/6,500rpm
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2008年ボクサー
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2014年ボクサー
空液冷でエンジンヘッド部分だけ水冷。シリンダーの吸排気が90°に移動してる
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「レイン」「ロード」「ダイナミック」3つのドライビングモードを備えたASC が装備。

右側から左に移動されたシャフトドライブは(シフトアシストPro)クラッチやスロットルバルブを用いることなくシフトアップやシフトダウンを可能にする装置の為の変更?

電子サスペンションBMWダイナミックESAは、刻々と変化する路面の状況にコンマ秒単位で対応。

フレームも変更がありその他の新しい変更も多く
更にその乗り易さは向上してるようだ。

従来のクルーズコントロールも健在
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フルモデルチェンジとなったR1200RT
乗りたいな・・・・と思う親父。

スーパーシェルパでバイク通勤再開

暖かくなって来たのでスーパーシェルパで通勤
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シェルパは取回しも楽でとにかく手軽。
もう少し暖かくなると出勤前に寄り道しながら通う事もしばしば
ツーリングも難無くこなせるし悪路も走れる事が最大の魅力。
★カワサキ スーパーシェルパ ←当ブログのカテゴリー
残念ながらスーパーシェルパは2007年で生産終了となってる
250ccクラスのオフロードの分類でシェルパやセローはトレッキングタイプと言うのだろうか?
見た目の車体はオフロードの車格で車高が高く見えるがシート高810mmでオフロードにしては低い。
カワサキ 250TRは775㎜ともっと低いが、先のシェルパやセローよりオフ走破性が若干劣るだろう

オン オフ問わずバイクは楽しい乗り物。



2007年新車購入のシェルパも7年を過ぎ走行距離は22707kmを刻んだ
凡そ2万キロ/7年の走行でライトが切れた意外に長持ちなのか?
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早速H4の60/65Wを購入しバルブ交換
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ライト下のボルトを外し引っ張ればOK
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バルブを交換しもとに戻し
交換後キーをONにして点灯確認で終了

簡単な整備だった。

BMW R1200RT (2014)  (カワサキ レオ周遊記)

部品取の為丸裸にされたLEOse
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部品取車体から部品を移植する
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暖かさに誘われLEOseの様子を見ようと乗り出す

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先日R1200RTを車検に預けたディーラーの整備工場に向かう
R1200RT 車検に旅立つ←過去ログ
BMW整備工場にて
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まだ預けたままのR1200RTがありました。
2008年11月新車で納車されたR1200RTは今回初めての車検。
3年の放置期間があるので一通り状況を見ての車検らしい・・・来週に見積もりが出るそうで。

ついでなので・・・何気なくディラーのショールームへ向かう

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土曜の為かバイクを見に来てるお客さんが何人か居ました。

そこには最近話題になったK 1600 GTL(6気筒)等が置いて有った
パラレル6気筒バイクには若い頃CBX1000を乗ってたので6気筒バイクのフィーリングは解ってるつもり・・・
もう30年程前になるのでそのポテンシャルはまるで変ってると思うが、基本パラレル6気筒と解釈してる・・・
ボクサーエンジンのフィーリングとは全く違うだろう・・・まぁ人それぞれの嗜好があるのでこの辺で。

それより目に止まったバイクが・・・・

それはフルモデルチェンジされた2014年式R1200RT

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カウルの形状など少し変わったかなぁ等・・・何気なく見てたら
まずシャフトドライブが右側から左側に変更されオイルクーラならぬ水冷と見られるラジエターが有るではないか
それにしてもこのボクサーエンジンは空冷フィンが付いてるが・・・
話を聞くとは空水冷式の新型ボクサー・エンジン(排気量1,169 cc)
ヘッド部分だけ水冷にしてるらしい
エンジン出力も最高出力92kW(125ps)/7,750rpm、最大トルク125Nm/6,500rpmと大幅に変わってる
ボクサーエンジンがDOHCになった事は知ってたが・・
BMWボクサーツインDOHC←過去ログ
2010年のこの記事を見るとDOHCになったもののエンジン出力は
現行SOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,500rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm

新型ボクサーDOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,750rpm 
最大トルク 120Nm/6,000rpm
と若干トルクが上がってる所でまだ空水冷式の新型ボクサー・エンジンには至らなかった

今所有する2008年式から色々なところが大きく変わった
2014年R1200RT
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【BMW】 新型R1200RTを3/7発売←詳しくはバイクブロスへ

アホな親父は早速2008年R1200RT車検無と車検有りの下取りで見積もり依頼をしてしまう・・・・

FJR1300

2013年12月からFJR1300が国内仕様として販売されてるようだ
今まで逆輸入車としてしか販売されていなかったヤマハの大型ツアラーFJR1300
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2006年~2008年まで乗ってたFJR1300
最高出力 105.1kW(143.5PS)/8,000rpm
最大トルク 134.4N・m(13.7kgf・m)/7,000rpm
二年間で約36000kmを走破した
ロングツアラーとして申し分無い性能と乗りやすさを備えてた
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2008年のある日アンチBMWの親父(私)があるきっかけでR1200RTに乗りFJR1300にも遜色無く劣らぬ乗りやすさに魅了され(R1200RTは車体に似合わないシルキーな走りで峠や高速コーナーで自分のライディングテクニックが上がったと錯覚する)乗り換えを決意。
愛着あるFJR1300は友人に譲渡し、今も一緒にツーリングに出かける
勿論FJR1300はR1200RTに勝るエンジン出力である
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FJR1300の新たな装備として
・クルーズコントロール
・電動調整サスペンション
・トラクションコントロール
・グリップヒーター
et cetera

06型FJR1300は当時逆輸入車として主にプレストコーポレーションから(2009年まで?)販売されてた



一方気になる点は,06年逆輸入車(南アフリカ仕様)FJR1300はスピードメーターがアナログで280kmまで振ってある
当時FJRは最高速度260kmと言われてたが今回国内仕様はデジタルメータ。
自主メーカー規制により4輪車と同じくスピードリミッターカット装備なのか?
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06年FJR1300は直線の長い高速道路で覚悟してスロットを開くと軽く200キロを上回った
(日本の道路事情やビビりリミッターに依り、まずそんな速度を出す事は滅多に無かったが・・・)


2013年国内販売FJR1300はロングツアラーの快適装備を充実させ日本人ツアラーの魅力的なバイクとなるだろう
なかなか見かけないFJR1300はメーカー国内販売によりユーザーが増える予感がする

難問抱えるカワサキLEOse

タイカワサキで生産され2000年位で生産終了か?
純正部品調達は皆無の状態で希少が故に情報も極少ない

排気量118.6cc・2サイクル・22.5PS/8500rpm
エンジンはケースリードバルブ・チャンバー仕様で早いがうるさい・・・親父が乗っても楽しい
ブレーキは17インチのホイールに290mmという、過剰な大径のディスクローターを採用まるでレーサー並で効きは十二分。ちな みにリヤは220mm。
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先日フロントフォークのオイルシールを交換したが、また・・・・
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もう1台の個体(レオ)
去年の6月オークションで落札し京都方面まで引取りに行き後から調べると非常に程度の悪い物でした
酔った勢いの結果(京都の旅へ)
この経験から個人売買は覚悟をして買うべきと肝に

地元に戻り健在なレオと比べると・・・・・
①ステアリングダンパー欠品
②チェーンカバー欠品
③ウインカー社外品両面テーブで固定
④チャンバーリベット止め不良
⑤ブレーキレバー/クラッチレバー(切落とし短く加工)
⑥フロントフォークオイルにじみ
⑦ミッションオイル不足(無いに等しい)
⑧バッテリーケース破損
⑨シート破れ
⑩グリップエンド欠品
⑪ステップ止めボルト欠品
⑫センタースタンド欠品

引取りに行き⑤⑨は確認して指摘はしたものの、この位なら仕方ないかと諦め支払いをして戻ってしまった
現車確認にも甘さが有ったので当方のミスとして諦めてる。
その他の不具合は後から発覚

一時期は不具合の多いバイクも直そうとしたが・・・・


中古チャンバーとダンパーを落札して直そうとする勇者!
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勇者君・・・この二台をプレゼントしよう!
部品取車に決定。
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面白いバイクだからたまには貸してな~

追記
ブレーキパットが限界なので(EV-250D TZM50R TZR50R XTZ750)のパットで流用出来るそうで注文済み
無事装着出来ましたらUPします
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追記2 3/14
ブレーキパット交換完了で、前後共通。上記のパットで使用出来ます。

R1200RT 車検に旅立つ

2008年11月初期登録R1200RT

本日車検に旅立ったRTは最初の車検となる実に車検切れから3年が過ぎてる
車検切れまじかに足の怪我をし事実上運転困難と判断したからである
新車購入時の走行距離は最初の2年で2万キロ以上走破しその後仕事の都合やらで
2010年一泊二日秋田男鹿半島のロングツーリング(往復1320km)以降は距離が伸びて無い状態だった


2009年09月 鳥海山へ日帰りソロツーリング(一日/922.8kmの旅) 
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2010年一泊二日秋田男鹿半島のロングツーリング(往復1320km)
息子とロングツーリング
高校2年の頃からVTR250と共に走った息子・・・・
今年名古屋へ就職する息子と今後は一緒にツーリングする事は少なくなるだろう
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R1200RTは3年の冬眠から目覚めるため、整備/車検に引き取られた
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息子とツーリングは減るが・・・・カミさんとタンデムツーリングが始まる予感がする少し暖かな日だった。

タンデムデビュー?

2月の大雪から3月になってもまだまだ寒い日が続く早く暖かくならんかな~

季節の流れも速く直ぐに春が訪れ夏となることだろう
そんな季節の流れの中で3人の子供達の長男は大学を卒業し今年は就職で名古屋へ
下の2人姉妹は大学の3年そして末娘は今年高校卒業で専門学校へ後残す2年で皆巣立ちの予定。

最近カミさんが「名古屋行くのも遠いし東京の娘の所行くにも駐車場やら距離があるので大変」と言った言葉に
親父はバイクで行けば早いぜの一言から「それなら乗せて行け・・・」と
どうやらタンデムデビュー?・・・・・・・・乗るらしい。。。

子供達3人は既にタンデム経験者だったが最近特に娘達は親父とタンデムする気はなさそうだった
(息子は既にVTR250にのってる)

親父も足の怪我から3年になろうとして良くなってきた!また大型に乗れるだろう・・・・・たぶん。
そろそろ車検を切らしたR1200RTを車検に入れ再出発しようとしてた
ディーラーに車検の予約をし行動開始。

大型バイク乗り始めますぜ!旦那

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まず近場のツーリングコースからカミさんを調教する予定。。。

スーパシェルパ シートの張替

2007年最終型キャブ仕様スーパーシェルパ

排ガス規制で多くの2輪車がキャブレターからインジェクションへ移行したがシェルパはイグニッション化せずに2007年を最後に生産中止となる


平成18年排出ガス規制で、4ストと2ストの区別はなくなり、同じ規制値が掛かるようになったため、2ストは全滅して4スト250cc以下のバイクはイグニッションへと仕様変更して生産される


2007年に新車で購入したシェルパは過酷な条件(屋外)で保管されシートの劣化も早々に訪れた
このシートの張替を機会にその他、劣化した部品も更新し大事にに末永く乗ろうと思う
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スーパーシェルパ シート張替

年式の割には早く劣化してしまったシート
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劣化した表皮を剥がす(表皮を止めてるステープルをマイナスドライバーかラジオペンチで抜く)5分程度の作業で終了。
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水分が浸透してシミが出来てる純正表皮
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シートあんこ(ウレタン)に相当の水分を含んでる
シートの劣化でヒビやキレツが出たら早めの表皮張替が必要と感じた
水分によりウレタンの劣化が進む事、必須だろう。変色はしてるが弾力性は残ってた
取りあえずは乾燥を!
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今回使用する表皮はヤフオクに出品されてる『Peace Craft』さんからオーダーメイドで購入すべり止め効果が有る表皮で作りも良い感じです
縫い目はきちんと防水加工がされてます
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一日ウレタンの水分を乾燥させ早速表皮貼り作業
用意する物は(スプレーのり)(タッカー&ステープル)ドライアー等も有れば良いかも
貼り方の説明書が入ってたのでそれに従い作業開始
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スプレーのりを使い防水ビニールを張る
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説明書通りにステープルを打ちながらドライアーで皺を伸ばしながらの作業
最初は難儀したが慣れると結構楽しい!
40分位で終了しました・・・素人ながら良い出来栄えと納得
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なかなか良い感じになりましたが・・・・バイクが汚い。
暖かくなったら洗車して通勤に使います。

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kazu親父

Author:kazu親父
★お知らせ★
2008年12月よりFJR1300Aから BMW R1200RTに乗換えました。
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