2人の思い乗せ輝くCB750FOUR K1

大光院「呑龍様」の表参道に有る金子九一郎商店そこには2人の思いをのせ輝くバイクCB750FOURが店内に飾ってある。
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ホンダCB750FOURが店頭に飾られることがある
店を切り盛りする西岡正一朗さん(32)が亡き父忠正さん=享年(57)=から受け継いだ往年の名車だ


上毛新聞(もの語り-絆のかたち-より)

忠正さんは若い時からバイクが好きで、倉庫には形見の単車が多数保管されている。
忠志さんが25年ほど前に入手したCB750には特に思い入れがあったようだ。
配達のたびにバイク談義に花を咲かせたなじみの男性客の遺品。男性の妻が葬儀の後に「是非忠正さんに」と託したのだという。
3人の息子の子育てや稼業に追われ、またがったのは数回だけだったが、手放そうとしなかった。
母の美知恵さん(59)は「仲の良かった人のバイクだったから。きっと持っていたかったんだよね」と振り返る。
正一朗さんが航空自衛隊を除隊して実家の戻ってきたのは5年前。倉庫の中で長いほこりをかぶっていたCB750の車体は錆び付き、ほとんどのパーツが故障していた。「子供のころから気になっていた単車を動くようにしたい」とすぐに整備に取りかかった。

「バイクが治ったらまた行こうよ。」正一さんが切り出すと、父は相好を崩した。高校時代は互いに距離を置くようになってしまったが、1度だけしたツーリングの道中は会話が弾んでいい思い出を増やしたい-。2人の共通の思いだった。
業者に修理を依頼し、友人の力を借りて色を塗り直した。時間はかかったが、作冬ようやく作業も終わった。
父の体に癌が見つかったのは、それから間もなくの事だった。
「きれいになったなぁ」と目を細める顔が脳裏に焼き付いている。亡くなったのは癌の告知からわずか1か月後だった。
正一朗さんは週に一度エンジンを掛けて、晴れた日には店頭に飾るようにしてる。
「親孝行じゃなかったけど、このバイクを大切にすことで、おやじの供養になると思う」。
CB750が親子の絆を強くしてくれたとかんじている  (上毛新聞掲載より)


お昼に参道にある(くいちの門前焼きそば)を食べに行った
ふとテーブルを見るとこんな記事が書いてあり胸が熱くなる思いだった

呑龍様表参道
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焼きそばと絵
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今日も一つ何かを見つけたようだ
そして雨も上がり晴れた日だった

排ガス規制 2サイクルエンジン終焉(前出)記事より

2012年施行。全てのオートバイの試験モードが世界統一二輪車排出ガス試験手順 (WMTC) に変更される。
2007年施行。小型二輪車、第二種原付の試験モードが冷機モードへと変更される。
2006年施行。軽二輪車、第一種原付の試験モードが冷機モードへと変更される
1999年施行。250ccを超える普通自動二輪車(二輪の小型自動車/小型二輪)及び第二種原動機付自転車(125cc以下)に対する規制も開始

1998年10月1日から行われた未規制車(2輪車)への排ガス規制が施行され2サイクルは勿論、4サイクルまで大きな影響を及ぼした
実質的にこの時期から2サイクルエンジンは終焉を迎える事になる
この時期から約30年前
1970年代、実はこの頃第1次2サイクル規制の波が既に押寄せた
アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。

それでも、まだ2サイクルエンジンは顕在な時期であり小型バイクやオフロードは2サイクル主流だった
(懐かしい高校時代)
1969年カワサキマッハⅢ500cc 1971年スズキGT750 いずれも3気筒2サイクル
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高校時代初めて乗ったバイク 1970年ヤマハRX350 2気筒2サイクル R1~R3の血筋を引く
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4サイクルエンジンの大御所ホンダが世に2サイクルバイクを送り出した 1973年エルシノア 単気筒2サイクル
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 2サイクル・エンジンは4サイクル・エンジンに比べて、比出力(単位気筒容積あたりの出力)が大きく、構造が簡単で安価(バルブが不用なため)などの利点があるが、燃料消費率が大きい、構造上オイル消費が多く、そのオイル燃焼にもとづく種々の障害が発生するなどの欠点も。

例えば40年前のHS1やHX902サイクル2気筒エンジンは現在の125cc4サイクルエンジンより出力は同等もしくは大きい。(ヤマハHS1最高出力 10.5ps/8000rpm 最大トルク 0.96kg-m/7500rpm)
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90cc2サイクル2気筒エンジンは2サイクルメーカーだったスズキにも
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後に2サイクル名門であるスズキは2サイクルからの脱却を図ろうとしたのか定かでは無いが、2サイクルより燃費の良い出力のあるエンジンを開発したと思われるロータリーエンジン
1973年夏、秋のモーターショーの発表を前に量産試作車が完成し、谷田部のテストコースで走行テストが行われた。高速走行時でも、バックミラーが少しもぶれない程の振動の少なさや操安性のよさに、開発スタッフは改めて驚かされた。それに、走地燃費は水冷2サイクルの750車よりも20パーセントいい数値(しかしどうしても4サイクルに劣る)を出した。同年秋のモーターショーは、シングルローター式バンケルRE搭載、ジユジアーロ・デザインの”スズキRE5″(497cc、最大出力62psの話題でもちきりとなった。
1975年1月、スズキは「RE5」の量産態勢に入った。しかし、排気量(当時の日本国内市販車の排気量の自主規制値であるを超えてしまう)の問題が解決されず、ついに国内販売を断念、輸出のみにしぼらざるを得なかった。
RE5の海外での評価はすこぶる高かったが、1973年10月、第4次中東戦争が勃発。中東産油国が石油戦略を発動し、世界的に”石油ショック”が起り、翌1974年3月、日本国内は石油製品の大幅値上げから、省エネが叫ばれ、1975年9月にも、再び産油国は原油価格の大幅値上げを通告、世界を揺さぶった。
1977年スズキは、発売2年目にして「RE5」の生産中止を決定。
RE5は生産中止されたものの、この開発で得た技術はその後のスズキ車に数多く利用された。

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2サイクルメーカスズキも1976年には4サイクルに移行し2サイクルGTシリーズからGSシリーズに変わる

4サイクルナナハン時代が出揃った国内は(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
この時既に限定解除時代で中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移った

1980年代再び成熟した2サイクル時代へ


6歳下の実弟が免許を取得しバイクに乗り始め再び2サイクルマシンに乗る事になる
RZ250。
ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった
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2サイクル専門メーカーだったスズキもメーカーの威信をかけRGV-250Γを開発し
ヨーロッパメーカーのアプリリアRS250はスズキ・RGV-ΓをベースとするV型2気筒の250ccエンジンを搭載し、最高馬力は85psの発生も可能とされていた。ガンマのエンジンタイプは、VJ22A型式のヨーロッパ仕様が元になっており、RS250発売開始当初はベースの62psのガンマより8psアップした70psの出力がある事になっていた
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日本メーカーが2ストロークレプリカバイクの生産を終了してからも、アプリリアはRS250を生産しつづけていたが、環境規制とスズキからのエンジンのデリバリーが終了したことにより2003年に生産終了となり、このオートバイが世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなってしまった。


バイク2サイクルエンジンそれはまた違った感動を与えてくれた

現在、原付バイクから大型まで2サイクルエンジンは完全に姿を消してる

2年前怪我の真相(12時間遭難)

  • 2013/06/20 18:51
  • Category: 日記
8月上旬お盆前の出来事だった。風呂から上がりシャツ1枚とステテコ姿で晩酌を始め酒も進み夜風に当たろうと素足のまま靴を履き外に出て涼む。夜9時を回った闇夜の中に駄犬とスーパーシェルパが・・・・・

(昼間の駄犬ゴンタ)
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ここからが悲劇の始まりで酒が5合近く入った親父は自制心も無く信じられない軽装でシェルパに乗り駄犬と共に闇夜の裏山(八王子丘陵ハイクングコース)へ突撃・・・・・

(昼間のシェルパと案内板)
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正気なら絶対に来る事の無い闇夜の林道(ハイキングコース)・・・
昼間でも薄ら暗いそんな場所もある。
しかしアルコールの力により・・・・そんなの関係ねぇ!の乗り。

(しつこいようですが昼間の写真です)
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まだ途中振り返ると駄犬(ゴンタ)も後を走ってる

(写真は前に撮った昼間です・・・)
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そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ!
の勢いで奥へと・・・・


もう我が愛犬の姿は無く・・・・呆れて帰ってしまったのか。。。
そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ!

酔いが最高潮に達したか何を血迷ったか・・・・・

林道(ハイキングコース)に飽き足らず・・・獣道へ突入!

もう何処を走ってるか解らん!

愛犬が居なくなった時点で帰れば何事もなく戻れたかもしれない・・・・
しかし そんなの関係ねぇ!

そんな時!体が地面に叩きつけられた感触と左足に強い衝撃を受けた。
ん!足が突っ張れないぞ?もしや怪我したかな???
アルコールにより麻酔され痛みが解らんバカ親父。
ヘットライトに照らして足を見ると左右のくるぶし左から右にかけ深い傷があり外傷によりアキレス腱を切ってるではないか!

幸いにもシェルパは起こしやすい山側に倒れてたので何とか起こして再び獣道を下ろうとするが・・・
麻酔に犯され思う様にシェルパを操れずにまた転倒。。。

もう谷側に倒れ込んでバイクを起こせない

流石に麻酔の効いてるバカ親父でも・・・少しは冷静になったか。
作戦を考えシェルパを山中に捨てる事を決意して月明かりが見える所まで尻を引きずり両手で前進(カヌーを漕ぐような恰好)で・・・・・

もう10時を回った時刻だろうか周りは漆黒の闇。
とりあえず明け方まで待つとする。
出血のほうは血管が少ない所なのか出血多量で死ぬ事はなかった

ステテコとシャツ一枚の親父はそこで寝る事にする
耳元で蠢く虫の音や這って来る虫と戦いながら夜を明かすのである
幸いにして蛇ヤマカカシや猪に遭遇せずに夜を過ごした


一方我家では駄犬は無事帰ったが主が帰って来ないので大騒ぎ・・・
親父は自殺でもしたのではないか・・・とか。。
とにかく尋常でない親父の行動に戸惑うばかりだった

そんな思いから夜が明け心配で俺の実弟に電話して相談する
実弟「バイクで行ったなら心配無い何処かですっころんでるから捜索願いを出したほうが良いぞ」の助言。
女房はその朝警察に行き色々と事情を聴かれ・・・酒を飲みバイクで山に消えた事を話す
警察には「何か悩み事でも有りました?」等諸々。

子供達は駄犬を連れもしや親父の所へ連れていくかと期待するが無理だった(犬にも見放された・・・・)


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午前4時頃空がしらじらと明け周りが見えるようになった
携帯電話も無く助けを呼ぶ事も出来ない・・・・
前日の酒の影響か喉が渇いてどうしようもない・・・

小便で喉を潤す事が出来ると思い口にするが酒の飲みすぎで小便まで苦い!!
喉は潤す事が出来ない

とにかく歩こうとするが・・・・無理!
カヌー漕ぎ歩きでやっとの思いで山の尾根を探しそこから下山を選んだ
約4時間喉が渇き死ぬ思いでカヌー漕ぎで・・・・

水の音が!!

尾根から10m程下がった所に沢の水がぁぁ有る
カヌー歩きで30分以上時間をかけて水場に辿り着く

おお!これで3日は生きられる!・・・・
なんと旨い水だったろう

沢の上にはハイキングコースが見えた
しかし平日のハイキングコース通る人も居るはずがない

太陽が上り暑さが次第に増す。遊歩道の木陰に移動して横になる事1時間だろうか・・・

通る人も居ない所に人の声!

親父「おーい助けてくれ~~~」

すると「〇〇さんですか~」

俺の名前知ってるぜ!!助かった・・・婦警さんと刑事さん!

早速携帯で俺が見つかった旨を話してる
丁度上空には警察のヘリコプター
あと10分遅ければ捜索隊が出てしまう所で

人のありがたさをしみじみ感じた親父だった

救急車を手配したが当然現場まで来られない消防署から4駆が参上し応急手当をして救急車まで・・・・

その頃村でも大騒ぎになり沼をさらう準備だった
その沼は過去に車が水没して何人か死者が出た所で今回も沼にハマった恐れがあると村中総動員。。


(桜の綺麗な時期の沼)
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遊歩道に入る前実は漆黒の闇の中、沼の周りを何周かしてた。。。恐ろしい

この場所で4駆から救急車に乗せてもらい病院へ・・・

二時間の縫合手術も終わり交通課の警察官の方が来て
「話は聞いてますお酒を飲んで運転してたそうで・・・」
「決まりなのでアルコール検査しますので」
早速検査の結果アルコールは検出されず検査品にサインをして終了。

「子供達にバイクを載せて指導する立場でこんな事してはいけません」
「バイク乗りらしく行動してください」

肝に銘じました。

後に山中に置き去りのシェルパは村の消防の方に無事届けていただきました(感謝)

こんな事件で親父は反省の日々。

皆様には大変ご迷惑かけました

酔った勢いの結果(京都の旅へ)

  • 2013/06/17 17:47
  • Category: 日記
6/14(金)社内の家族やらで飲み会が始まり
宴も盛り上がった頃、相棒(健くん)がスマホを取出し気になってたヤフオクを閲覧してた
カワサキレオ120のオークション確か5万円からの出品だった。安ければ部品取車でも良いかなそんな思いしかなかったので66000円になった時点で諦めてた・・・・・
酒の勢いも手伝い次第に気になり(健くん)に俺のIDで「6万8千で入れてみろや!」と・・・
とりあえず最高入札者となる。
宴会も益々盛り上がりオークションを忘れれば良かったのだが・・・・・・
結果は吊り上げ競争に火が付き最終価格は内緒ですが落としてしまい、なおかつ取引連絡に6/16京都に取に行く旨を表明をする始末。

時間的に大きなトランスポーター用意出来ず社用の軽バンで京都まで
日帰り往復(1120km)6/16午前2時 帰着午後6時30分

奇遇にも京都八幡市にあるタコ焼きいっちゃんのご近所なのでロンゲのオヤジさんに逢いに行く
LEO京都

待合せの久御山町でカワサキレオ120を確認・・・・
出品者の方には罪が無いが・・・はっきり言って値段の割に程度の良い物ではありませんでした
(ましてや中古で買った時の値段は落札価格より低く半年のり続けたバイクだった)
酔った勢いは恐ろしいと良い歳した親父の反省。。。
詳しくは言えないが・・・今怪我により大型バイクに今乗れない理由も酒が絡んで・・・

とにかく反省!

リハビリを真面目にして大型バイクで長距離ツーリングしたいと思う日々。


日帰り行程なので急いでバイクを引き取りロンゲのオヤジさんの所へ
3年振りの再開だった
唯一の楽しみであったので来て良かった

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京都まで軽バンを走らせた親父が帰りも運転を買って出る
相棒(健くん)はタコ焼きを摘みにビール3本開けた(笑)

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そのうちに・・・これまた奇遇!

なんと(hanaちゃん)が来店
大事に乗って貰ってるバイク。きっとバイクも幸せだろうな
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まぁ結果として懐かしい人に逢えたので良しとしよう!



TDR125国産ヨーロッパ仕様(ファーストインプレ

125cc原付二種にしては大柄で250ccに間違われる車体。
東京から100キロ程自走してTDR125を持ち帰る。感想・・・・非力さをはっきり感じた
昔の2stエンジンのピーキーさは無く出足の低速トルクまで失ってるように思え
かつてのハスラー125やDT125とは比べ物にならない程
排気ガス規制により2stエンジン終焉最後の生き残りTDR125
(YAMAHAのイタリア現地法人であるベルガルダヤマハ製はそのボディに27馬力のエンジンを積んで販売されたと言われるが、後に日本国内で製造される)
2スト絶滅のきざしは排ガス規制の厳しい欧州から先に訪れていたようで、赤男爵で扱われていたTDR125(Eu)というかスイス仕様?はノーマル8psと悲しいほど抑制されていて、各種リミッタを解除してもEU仕様15psほどと、フルパワー27ps出ていた前期型の伊ベルガルタヤマハTDR(3SH)の半分程度。最高出力はYBRとあまり変わらない。

東京から帰ったTDR125とその車台番号
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次回TDR125(フルパワー化の道へ)めざせ25PS


TDR125 EU

先週カワサキレオ120ESが養子に来たにも拘らず・・・
6月8日 ヤマハTDR125 EU (逆車)が養子に。
2st単気筒水冷125cc(デュアルパーパス)
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今回TDR125を養子縁組するにあたり色々と家庭事情が有るので作戦を立てた(笑)
自宅には連れて行かず我が実家(実弟宅)に当分の間住んで貰う、既にHS1は実家にお世話になってるので最良の判断とした

息子と車で東京江東区に有るサイレン・モーターサイクルズさんへ
偶然に俺が若かりし頃(20代)CBX1000を乗って頃住んでたご近所(1970年後半)。

北関東自動車道⇒東北自動車道⇒首都高中央環状線

渋滞の首都高環状線で
完成した東京スカイツリーを初めて見る親父・・・
「東京も変わったなぁ・・・」とつぶやく
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サイレン・モーターサイクルズの小松さんだろうか?実直そうなお人柄でバイクの説明をして頂きました
帰りはTRD125で自走し一般道路でて群馬まで、息子は車で高速道路。
TDR125嫁入り経路

帰路は109km
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ファーストインプレは次回にて



あの時は、そして(バイク3ない運動終焉か?)

  • 2013/06/05 11:20
  • Category: 日記
あの時2007年高校生だった息子に中型自動二輪免許を取得させ親子共有の趣味を持たせた。
しかし、免許の取得が学校側(息子も親父と同じ高校へ進む)高校に知れると息子は無期謹慎(2週間停学)の処置を受る。

1970年代16歳だった俺(親父)は勿論その頃から大型自動二輪を取得し大型バイクに乗ってた、いわゆるナナハン時代でクラスの半数以上は免許所有者だった。(ノーヘルでも違反にならない時代で後に三ない運動が始まりヘルメット着用義務も始まる)当時高校生のバイク死亡事故も多く学校側は免許取得者を対象とし県警から白バイ隊員をよび講習を開た記憶も残る。

このブログの発端はその(三ない運動)に対する疑問や不当性を記述することから始まった。


交通事故や非行の防止を目的に、高校生のバイク利用を原則禁じた「三ない運動」が、三十年にして大きな転換点を迎えた。
全国高等学校PTA連合会は八月下旬に開かれた全国大会で三ない運動の宣言文を出さず、今後は自転車や歩行者を含めたマナーアップ運動に衣替えする方針を決定した。「事実上の運動終結」に、メーカーも協力して交通安全教育に力を入れる考えだ。 (藤川大樹)

 「免許を取らない」「乗らない」「買わない」の三ない運動は、交通事故急増を背景に愛知県教育委員会が一九七五年、「特別な場合を除き、生徒をバイクに乗せないように」と各校に通達したのが発端で全国に広がったとされる。

 その後も暴走族の活動が盛んになるなど、青少年の非行が社会問題化。全高P連は八二年の全国大会で、高校生のバイク利用について「原則として全面禁止とする」との「特別決議」を初めて採択。
五年に一度見直すことが確認された。
 
 一方、保護者からは「規制するのではなく、乗せて指導すべきではないか」などの声も上がり始め、九七年の全国大会では、特別決議よりも拘束力の弱い「宣言」の形が取られ、二〇〇二年、〇七年と踏襲されてきた。
 
 今回の宣言見送りは、高校の統廃合が進み、定期運行バスや鉄道のローカル線廃止など公共交通機関が減る地方の山間部などでは、バイクが通学の足になりつつあるという社会環境の変化もある。
 
 また、近年は高校生らの自転車による事故が目立つようになった。自転車事故でも刑事と民事で重い責任を問われる。全高P連は「バイクに限らず、自転車や歩行者を含めた包括的なマナーアップ運動が必要になった」と運動の衣替えを説明する。

 ただ、スピードの出るバイクは一歩間違えれば、大事故につながりかねない。二輪メーカー四社が加盟する日本自動車工業会も事故防止に向け、教師を対象にした実技講習会や交通安全教育教材の普及などに取り組む方針だ。

ソース 東京新聞


2008年親子でツーリング高速PA
地図で目的地を探す

無邪気に座りPAで休む少年 バックからお菓子を取りだす少年

あの時から5年以上過ぎ去り息子は21歳でゴールド免許を取得してる
ゴールド免許講習では最年少だとか・・・・・・・

「高校生バイク三ない運動」←三ないカテゴリー。。もうこのカテゴリーは書く事がないだろう。

kawasaki leo 標高1400mトライ

前日のガス欠ツーリングで思う様にカブリ現象を把握出来なかったので今回はソロ&ショートツーリング赤城山検証ツーリング。
開曲線距離(110km)
あかぎ
赤城山麓下にある赤城神社に参拝し県道16号(大胡赤城線)で山頂小沼(標高1420m付近)を目指す
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休日とあって狭くカーブの多い道(カーブ標識No1~104か所)でも車の往来が多く15~6台は遭遇したと思う
カーブは車のすれ違いが不可能な道。遅い車の後に走り停車されもし、すれ違う為に車のドライバーはオートバイにバックの要請をされると・・・大型バイクの場合絶対に無理な道で、譲って貰い先に進むしかない選択肢だ。
とにかく大型バイクやシェルパでも1速で回り込まないと難儀な道。

様子を見ながら何台か遅い車を追い越し山頂へ
やはり山頂に近着くとカブリ気味になるので回転を上げる、上げすぎると車体が軽いleoはウイリーし兼ねない状況になるので慎重に。

覚満淵山頂にてこの日は眼下に広がる山々が見えず霧に覆われてる
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快晴時シェルパにて覚満淵山頂
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赤城山から下山コースは県道4号(前橋赤城線)で標高が500m以下になるとreoは水を得た魚のように快調な走りを見せた。

今回も携帯予備タンクを携行し補給をしながら無事帰路に。
次回のツーリングは携行タンク2個(2リットル)を持って行こう!

カワサキレオ120SEと付き合って行く上で難題が数多く残ってる
まず部品の調達が難しい
フロントフォークやブレーキパットに関してはレオに乗る先輩方のブログ等で解決した

フロントフォークのオイル漏れ。近々にシールとオイル交換を
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カブリ現象を解決するためキャブを分解してメインジェット105⇒100に変えるが
ジェットニードルの開度調整が出来ない構造となってた
(↓通常は頭の部分で4段階位の調整が可能)
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クランクやピストンもこれと言った情報が無い上に日本国内に於いては絶対的に台数が少ない
何等かの方法で解決できるだろうか??
まぁ少しずつ気長に付き合ってみよう kawasaki leo120ES


消え行く2st カワサキレオ120SE VS ヤマハHS1

5月31日 埼玉県さいたま市のBeeBrosさんにLEO SEを取りに行き自走で群馬まで帰る

かつて日本から中古で大量に輸入されたスーパーカブの影響があり後に日本バイクメーカーがタイに進出しそのバックボーンタイプフレームを主流としたバイクが生産された。
現在に至っては日系タイ工場生産バイク(小型)は日本国内からタイ生産と各メーカーはシフトしてる
タイカワサキ製で今は希少となった2st120cc
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約90キロ走り無事群馬まで。
印象はタイのお国柄に合わせストリート仕様だろう低速から中速かけて少しカブリが感じられるが・・とにかく早い!
カラーリングやスタイルはタイのお国柄なのか?
この車体のホイールの色はオレンジ色だった形跡が残る。きっとあまりにもド派手な色だったので前オーナーが塗り替えたのだろう
早速キャブを分解してメインジェット105⇒100に変えると一段と良い加速をするようになった
機関も不具合はなさそうなので翌日ヤマハHS1&LEO SEで日光ツーリングを決行する


6月1日

走行距離236km(およそ燃費25~28km)

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LEO SEの燃料タンクは満タンで4リットル位なので1リットル携行タンクを持って行く 出発時(8016km)
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希少バイクツーリング(ヤマハHS1)90cc2st気筒(タイカワサキLEO SE)120cc2st単気筒
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途中休憩草木ダム
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草木ダム展望台には様々なバイクが集まる
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本物リジットフレームのハーレーが。ハレー乗りの方と暫しバイク談義 錆びた様に見えるが、すべて塗装!
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草木ダムを後にし国道122号線を北上し足尾⇒日足トンネル⇒日光いろは坂⇒半月山山頂へ
REOガス欠
日光いろは坂でHS1は8000rpmのパワーバンドを活かし、45年前に生産されたバイクとは思えない程早く普通車を追い越し登り流石リトルツインの異名を持つバイクだと感心する一方タイカワサキLEO SEは、排気量が大きい分多少の余裕を持ってHS1に追従する。
いろは坂を上り中禅寺湖から半月山へ
半月山を登り始めるとタイカワサキLEO SEは顕著に標高の影響を受け中速でカブリ気味になりHS1から離される・・・・(中禅寺湖は標高1300mm地点にあり、その後平地に戻るとタイカワサキLEO SEはHS1より早く走る事が出来る)

半月山頂上にて
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半月山頂から見る根利倉沢。足尾銅山の伐採や煙害により今も禿山が残るが植林により幾分緑が回復してる
この向こうには松木川地区で最も酷かった煙害地区で、かつて有った村が今は消えてる

風光明媚な中禅寺湖から少し隔てたこの半月山には対象的な自然破壊の傷跡がある。
DSC03954_R.jpg

さて、起点から既に103km走ったLEO SEの燃料計はEを下回り燃料は空状態。(ガソリンタンク内は100cc以下になってた)
1ℓ有ればスタンドまで持つだろうと此処で携行タンクのガソリン補給
DSC03951_R.jpg DSC03949_R.jpg

記憶に依ると中禅寺湖を過ぎ竜頭の滝近くにスタンドが有ったので安心。
半月山を降り奥日光へ

走る事しばらくして戦場ヶ原まで来てしまいスタンドを見落としたかそれとも閉鎖?
二人して見逃したのか・・・・
此処まで走り続けて距離感覚が麻痺したのか二人して「金精峠超えればスタンド有ったから そこで給油するべぇ」
そんな事で走り始めた。

戦場ヶ原⇒日光湯元温泉⇒金精峠⇒・・・・
無事金精峠を通過したが。。。丁度菅沼前にてガス欠!
前を走る実弟(HS1)気づかずに行ってしまった
電話も圏外。まぁそのうち気づいて引き返してくれるだろうと根性を決める
携行タンクガソリン補給から丁度30km走った地点
DSC03960_R.jpg DSC03961_R.jpg

待つ事10分・・・・助かった
HS1のタンクから800cc程抜く携行タンクが活躍
LEO SEのツーリングは厳しい1ℓの携行タンクを2本持たないと恐ろしい事になる!!
DSC03963_R.jpg DSC03966_R.jpg



LEO SE
ストリートバイクとしては小さく早いが標高の高い峠は不向きと見られる(検証要する)
ロングツーリングは充分計画が必要(燃料)

*6月2日追記
標高が高くてもHS1はポイント点火なのでアバウトな設定らしくあまり標高に左右されないとの事(実弟より)
今冷静に考えると中速のカブリが発生してもそれ以上回転を上げる事で解決します。
燃料等の心配が有ったので思う様なインプレが出来ない状態。次回は万端の用意をしてトライを。







 

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