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BMW ボクサーDOHC再考

先日遅ればせながら
BMWのボクサーエンジンを積むRTやGSが来年本国ドイツでDOHC化したエンジンで発売になる記事をUP
BMW ボクサーDOHCと直列6気筒が今。そして甦る青春
現行R1200RTのSOHCエンジンの出力とトルクは変わり無いがDOHC化は若干高回転型となる

現行SOHC4バルブエンジンは1100ccからその形式を15年間変化を続け1200ccで現在に至る
そのDOHC化に付き素人ながら想像してみる

話は1970年代に戻り、親父が青春時代
国内バイクメーカーが世界に羽ばたき好評を得名実ともに世界第1位生産国となった(ナナハン時代)
ナナハン時代幕開けの立役者HONDA DREAM CB750 FOUR
そのCB750 FOUR 当時のレーサーに使用していた高回転対応のDOHCではなく、低回転からの乗りやすさと生産性を勘案し、あえてSOHCを採用したと言われ
エンジンの排気量と馬力は、同業他車のエンジンを比較する形で決定された。このエンジンはもう少し性能を上げることも可能だったが、乗りやすさを優先したことから、当時の市販オートバイすべての最高値を上回る出力程度に抑えられていたが、それでも200km/hのスピードを出すことも可能な性能は確保されていた。
後にカワサキから1969年9月にホンダが発売した「CB750」に対抗するため、1973年2月に、「Z1」の国内仕様として「カワサ 750RS(Z2)」を発表。「Z2」は「Z1」を上回る高バランスを実現するとともに、宿敵ホンダの「CB750Four」から国内最速の称号を奪還。数々の伝説とともに、現在でも多くのユーザーを魅了してる。これがDOHC

高校時代の親父の周りにはこのCB750やZ2の仲間が居た(親父はCB500)
当然仲間同士互いに貸し借りして乗りあう事になる
もう昔の事だが・・・・記憶を辿ると確かにZ2は早かった気がする。あの「ヒューン」と聞こえるメカノイズと共に加速する。一方CB750はあの細やかな重低音で加速する乗りやすさはCBに上がった
しかし、その比較は当時の道路事情から最速を試みる事も不可能。2-3速程度で終わってしまう(一般公道)

共に4気筒エンジンでSOHCとDOHCの比較だった
スペックを比較すると

CB750 SOHC
最高出力 67ps/8000rpm 
最大トルク 6.1kgm/7,000rpm

Z2 DOHC
最高出力 69ps/9000rpm 
最大トルク 5.9kgm/7500rpm

かなり昔の感覚とスペック表だけでアバウトだか・・・・(笑

結論として新型ボクサーエンジンDOHCは加速が若干良くなったのか・・・・?
実際乗って比較しないと解らない。

もう一つ
同じBMWのDOHCボクサーエンジンで比較

スポーツタイプニューHP2 Sport
最高出力 98kW(133ps)/8,750rpm
最大トルク 115Nm/6,000rpm
圧縮比 12.5:1

新型R1200RT
最高出力 81kW(110ps)/7,750rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm
圧縮比 12.0:1

RTやGSはその用途により乗りやすく設定したものと考えられる

しかし現行SOHC4バルも15年の歳月をかけ変わった
今後RTやGSもそのエンジンスペックを変えながら乗り易くハイパワーなエンジンに変わって行くのか?今のボクサーエンジンは日本車マルチから比べると決してハイパワーとは言えないがあのツインで滑らかな味の有るバイクらしい鼓動そしてどこまでも長距離を走れるバイクで有って欲しい。

最後に高校時代最も早く感じた(加速)バイクはカワサキマッハⅢ500cc3気筒だった。

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寒さの中で・・・・

季節の移り変わりは速いもので・・・・歳を取るのも早いなぁと
バイク通勤も寒さに耐えながら、車で通勤すればなんて事は無いがバイクに乗ってしまう
2月の一番寒い時期は、まだまだ先で徐々に尚寒くなる
この時期の雨や雪は流石に車で移動になりますが。。。

今朝は日差しが出て通勤は楽だった

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親父の住む北関東は関東平野の隅っこで寒い時期も雪は数回しか降らず1年間バイクに乗れるが、からっ風が冷たく辛い『上州名物からっ風とかかあ殿下』で有名?

寒さの中でバイクに乗ると必ず高校時代のツーリングを思い出す
防寒着の下に新聞紙を入れてバイクに乗る・・・・・
今程その防寒着や手袋は保温性が良く無く寒かった(気温も低かったのだろう)
手が寒さで痺れるとCB500のエンジンに手を当てて暖を取った思い出・・・・

親父の時代、多くの高校生男子は16歳になると皆バイクの免許を取ったと言っても過言で無い
まさに時代が高度成長期で交通事情も今程多くは無かった

時が流れ交通事情や人其々の個人的考えが変わり
ティーンエイジャーの乗るバイクは極めて少なく・・・・改めて時代は変わったと親父は思う。

そう、時代は流れてる。

感性豊かなティーンエイジャー頃のバイクは自走し旅する事によりその感動を多く受け止めた。

先週、息子は自ら走り遥か京都までの距離に感動したに違い無い
小さな感動それで良い。向かう途中親父の目にはそんな息子が感動してる様子が窺われた

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寒さで辛かった往復の距離は彼のティーエイジャー時代の感性に刻まれ思い出として残るだろう

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BMW ボクサーDOHCと直列6気筒が今。そして甦る青春

既に御存知の方も多い事でしょう
BMWのボクサーエンジンを積むRTやGSが来年本国ドイツでDOHC化したエンジンで発売になる
http://www.bmw-motorrad.de/de/de/index.html←こちら
今回のDOHC化は、完全新型移行までの繋ぎでは?
気になる所でエンジン出力はR1200RTの場合、現行のSOHCカムチェーン駆動4バルブと変わらない

現行SOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,500rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm

新型ボクサーDOHCカムチェーン駆動4バルブ
最高出力 81kW(110ps)/7,750rpm 
最大トルク 116Nm/6,000rpm


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圧縮比は共に 12.0:1で同じ
新型DOHCは現行エンジンより僅か250rpmの高回転で110psにトルクは変わらず

車体はグリルやメーター周りの変更で、ほぼエンジンのみ変更した感じ。

R1200RT2010.jpgR1200RTf.jpg

エンジン知識に乏しい親父はDOHC化により何が優れて変わったか疑問が残る所だ
現行のSOHCと変わらぬ出力今後に期待を。。。


6気筒

イタリアのミラノで11/10から始まったヨーロッパ最大のモーターサイクルショー「EICMA」で、直列6気筒エンジンを搭載したバイク「コンセプト6」を発表したBMW 並列6気筒、1600cc。

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パワーは定かではないが、二輪では久しぶりの並列6気筒という点で注目を集めたらしい

並列6気筒といえば、すでにレトロバイクの部類に入ってしまう「HONDA CBX」「KAWASAKI Z1300」

親父の若かりし頃を思い出す。



1973年ヤマハTX500 DOHC4バルブ 親父15歳

70年代の夜明け前。当時、世界で最も優れたバイクという評価を得ていたのは、現在でも人気が高い英国製マシン達だった。そのトップモデル達は500cc前後の排気量を持つシングル、あるいはツインモデルで、OHVがほとんどである。しかし、ホンダが放ったCB750Fourは世界中のライダーを驚嘆させると同時に、その後の国産マシンの行く末をも決定づける事になった。ホンダのOHC4気筒に始まり、スズキの水冷トリプルを、カワサキも同じく2サイクル空冷トリプルをリリースする。さらにカワサキは決定打となるDOHC4気筒を打ち出すなど、その勢いと多彩さは今にしても驚異的であった。

しかしヤマハは決して多気筒化の流れに乗じようとはしなかった。しかし、ナナハンという言葉がブームとなるほどの急激な時代の流れの中では、ツインモデルはごく少数派に受け入れられる事は有っても説得力を欠いたのである。そんな中TXシリーズが生まれる。その第一弾となるTX750は'72年にリリースされ、当時の市場ニーズを満たす排気量でありながら、異色のOHCツインだった。翌'73にはXS650を大幅にリファインしたTX650をシリーズラインアップに加え、更にシリーズの末弟にあたるTX500もリリース。

しかし、この末弟は単なる弟分ではなかった。それどころか兄たち以上の熱いハートとポテンシャルを秘めていたのである。国産量産車としては、初の1気筒あたり4バルブを持つDOHCエンジン。当時それは、まさに画期的なメカニズムであったのだ。にもかかわらず、熱病のような勢いで浸透していた多気筒化、大排気量崇拝とも言うべきブームは、そこに正当な価値を見出そうとはしなかった、いや、見るべき視野と判断力さえ失っていたのだった。中でも500は当時でさえも見かけることはまれだった。かくしてTXシリーズは、その勇姿を静かに'70年代の波間に静めていったのだ。

TX500.jpg


以下に過去ログ抜粋

三十数年前の高校時代、我々同年代はナナハンに憧れ誰もが自動二輪免許を取った時代。
既に自動二輪免許を取得すれば大型二輪が乗れる時代だった(二輪の免許制度は二種類、小型二輪と自動二輪の区別)
大型2ストロークエンジンも全盛期時代(スズキGT750、カワサキマッハⅢ等々)

1970年ナナハン時代の幕開けと共にバイクマルチ時代が訪れる
親父は高校生のバイク乗り(当時の高校生は誰もと言う程バイクに乗ってた)
国内バイクメーカーが世界に羽ばたく時期でも有った

親父が高校時代の愛車達
ヤマハRX350 2サイクル2気筒350cc
ホンダCB500フォア 4サイクル4気筒500cc
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実は、BMWは1970年後半に「モーターサイクル生産を継続するかどうか」の決断を迫られている。空冷ボクサーの需要が年々下がり、業績が悪化していたのだ。その影にあったのが、日本車の存在と将来確実に厳しくなるだろう「規制」。BMWは、1960年代まで英国車の「トライアンフ」や「BSA」などとビッグバイクの主要マーケットであったアメリカで大きなシェアを誇っていた。しかし70年代に入り、日本からホンダの名車「CB750フォア」やカワサキ「Z1」が登場し、状況は一変した。その圧倒的な性能と、低価格はBMWをはじめ「トライアンフ」や「BSA」との差を決定的なものとし、みるみる業績を悪化させていく。結局、3気筒などのエンジンで対抗しようとした「トライアンフ」や「BSA」は日本の技術力に屈し、瞬く間に倒産に追い込まれてしまった。



当時、我々高校生の間ではHONDA DREAM CB750 FOUR (K1.K2)を代表としカワサキZⅡRS750等4気筒4本マフラーが憧れで(スズキに於いてはまだ(GTシリーズ)2サイクル絶頂で3気筒2サイクル4本マフラーであった)

総排気量350cc以下(原付2種を含み)に於いてはホンダ車を除き(エルシノアはホンダ初の2サイクル)全て2サイクルエンジン。

2stオイルの焼ける匂は青春の香りでバイクと共に親父の青春(高校時代)はそこに有った

1970年代前半、街中の高校生は皆バイク、女子に於いても多数原付に乗ってた
携帯電話も無い時代、仲間の所へ行くにもバイク。
『奴は居るかなぁ・・・・家に行って見れば解るんべぇバイクが有れば居るぜ』
こんな感じで有る。高校生のバイク集団は珍しく無い田舎
ヘルメットに於いても着用義務違反が無く勿論皆ノーヘル
ただし、高速道路に乗る場合はヘルメット必須だったが、その時代、まだまだこの親父の住む田舎では高速道路が無い

大型二輪は、高価で手に入らない高校生。有る者は一生懸命バイトをして中古のバイクを買った

そして、我々の乗るバイクは原付は少なく、原付二種(黄色やピンクナンバーが多く)
ホンダダックス70・ヤマハミニトレ80・スズキバンバン等だった

ノーヘルで二人乗りの移動・・・現在そんな光景は無い

ステレオはレコード。洋楽はビートルズやカーペンターズそしてキャロルや矢沢永吉。フォークはかぐや姫、井上陽水、吉田拓郎・・・・・・LP版を貸し借りしバイクで移動

砂利道の多い県道や国道は沢山有った
砂利道をロードスポーツで・・・・・・・思い出せば面白い光景

バイクが何台か集まればその場で仲間と近所の赤城山や春名山へツーリング
そして警察に止められると免許証の検査よりタバコ所持検査 (笑

我々の仲間はむしろ勉強よりバイトがメイン
朝新聞配達や牛乳配達、夜は鮨屋の出前 みんなバイク絡み・・・・

そうそう高校時代の彼女もヤマハチャッピー(2st)に乗ってたなぁ(笑

そんな短い高校時代の青春は終わり殆どが就職
親父も例外無く仲間と別れ上京する

今でも短い高校時代とバイクの事は鮮明に覚えてる





この時代から暴走族問題、二輪事故の急増で
二輪免許制度の3分割化、ヘルメット着用義務違反と情勢が変わり

1970年代、実はこの頃第1次2サイクル規制の波が既に押寄せた
アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。

4サイクルナナハンが出揃った国内は(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
この時既に限定解除時代で中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移り、またナナハンの絶頂期である1980年代中ばからは排気量の制限を受けない逆輸入車に押され、更に750cc「自主規制」がなくなった1990年代以降はリッターマシン(排気量1000cc程度以上の大型車)に押されナナハン時代の終焉となる



上京した親父は、まだバイクが忘れられず二十歳頃でCBXに乗る
二十歳代の親父CBX1000に乗る箱根にて二十歳代

高校時代バイク好きだった影響で、後に5年半歳が離れた弟もバイクに乗り始め
上京した東京までバイクで遊びに来る
既にバイクと高校生の関係は『三ない運動』に移ろうとしてる時

ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった

弟はこの後直ぐRS400から、そのRZ250に乗換えた

10代の頃の実弟と彼のSR400 そしてCBX実弟のSR400 俺のCBX

後に三ない運動が始まる

三ない運動(三無い運動)
1982年の全国高校PTA連合会仙台大会で「『免許を取らない』『乗らない』『買わない』の趣旨の徹底」が決議されて以降、全国規模で展開された

『三ない運動』が日常となり禁止する事から拍車が掛かるバイク氷河期。

二輪車は社会からまともに扱われていなかったのである。しかも、二輪車事故多発地点や暴走族出現地点の道路では通行禁止規制が行われ、それが当然という雰囲気が全国に蔓延していた。
二輪車をあたかも交通社会の構成メンバーではないかのように社会は見ていた。
かつての日本において、二輪車とは、いずれ消え去る運命になる乗り物、若者の遊びの道具で社会にとって役に立たない乗り物と見られていたのである。
この時期400cc以下の全盛期であり三ない運動が盛んに成り始めた



この運動から30年の月日が経過してる 息子の青春高校時代

実際この理不尽な運動は今も続いてるが

かながわ新運動 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/ken/pta/sankou5.pdf こんな運動も生まれた

それでも殆どの学校が今や二輪免許取得を禁止してる
親父の住む群馬県も例外では無い

単車に乗る親達の気持ちはどうだろう?

理不尽な三ない運動が有る為、学校に内緒で免許を取得させてしまう方も多いだろう
そんな行動を取る親御さんの気持ちは痛い程解かる。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

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バイクと高校生達 教育委員会とバイク乗りの親 そして権利の責任

このブログを始めた切欠は息子が高校生になり普通自動二輪免許取得から『バイク三ない運動』に於いて様々な出来事が有ったからである

ブログの訪問者から偶然にも『バイクに乗る高校生』のブログと埼玉県教育委員会『三ない運動』の意見を綴った方々が訪れてくれた。

まず最初に『バイクに乗る高校生』は神奈川に住む16歳の高校生。
三ない運動から26年余りが過ぎ現在神奈川県はかながわ新運動として すでに『三ない運動』を廃止し新運動展開中である
その運動を廃止したいくつかの学校(徳島 生光学園等々)は『三ない運動』実施中に増してさらにその数倍の研究と努力を図ってバイクを中心にした交通安全教育に真剣に取り組んでる少数派

反面、多数派に属する『三ない運動』推進の埼玉県
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埼玉県教育委員会方針
かながわ新運動
上記異なる方針が有る

一方、親父の甥で今年1年生が通う「独立行政法人国立高等専門学校機構国立群馬工業高等専門学校」を略して「群馬高専」では、高校と同じく中学を卒業し入試を経て入学出来る5年制
この高専のバイクに対する特徴は免許取得に対し自由である
その免許が有れば通学に学校まで乗り入れ出来る国立高校で教育委員会の範疇で無い
(現在その甥は二輪免許取得の為教習所に通ってる)

同じ高校生で普通自動二輪の免許取得の可否が異なる事は矛盾である

前にもこのブログで親父の持論を書いた所を抜粋


親父の理論

「社会あるところ法あり」という法諺があり、とりわけ、その社会が特定の目的を持つ団体である場合、その内部で特別なルールが規定されることは社会経験上当然そのため、各学校はその目的を達成するため必要な事項を定めて、学生を規律することができる。したがって、高校が校則を制定することは許されるが

校則による私生活規律の可否については問題がある

家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない


何故、今だにこの古い理不尽な『三ない運動』が改められないのか?
それは私生活指導までを期待する親が増えてる為の産物に過ぎない事等々・・・・学校の苦悩も解らない訳でもない
(学校側は生徒の命を守り大勢の生徒を指導しなければならない為、全国PTA連合の議決『三ない運動』は極めて都合の良い運動である)


しかし、親(保護者)の明確な責任があればバイクは乗せられる  その責任や義務を果たせない親が多いから三ない運動は有る
与えないではなく、教えるということが教育ではなかろうか。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

三ない運動は大半の県で今も行われているが、運動に入った時点で、実はバイク以外のものも、取り上げたり捨ててしまったとも思える
この時捨てられたのは、生徒達に向けるべき、教育や愛情の一部 例えば三ないと言いながら免許取得者も居る こうした公然の事実から目を逸らさない、人間としての勇気や行動等である
運動は誠実さを教師と学校と家庭から取り上げてしまった
奇妙な事だが、生徒とバイクに関する現実を見ない眼は、人間としての生徒の生活部分を見る眼とも関わって来る・・・そして罰則中心へと

三ない運動は教育だろうか?
禁止する事からは何も生まれず、矛盾を生み育ててしまう
取り組む事を忘れてしまう『三ない運動』。


そしてこの『三ない運動』を真っ向から反対してる親父で無い事も上記の文面から窺っていただけるだろうか?

権利とはその責任の上に於いて生まれるもので現代社会の構図から『三ない運動』を推進し利用する事が学校に好都合な事実も認識しなければならない
簡単に言ってしまえば在学中その生徒達がバイクに因る事故に遭遇しなければ良い事で時間が解決してしまう。
卒業後の責任は無いから・・・・・・

例えば埼玉県教育委員会方針に有るバイク事故の責任賠償問題にも触れてるが
責任賠償は高校生だけの問題ではない大人達にも言える訳で、責任として任意保険の加入が望まれる

また『子どもの生命を守るのは、あなたです!』と書かれてるが
実践に勝るものは無く禁止してしまう事によりその命を守れない事もある
どちらが正当かの解答は永遠に無いだろう


今『三ない運動』推進地区に住む親父はバイク乗りの親として高校生の子供にバイクを与え事故もなく高校生活の終盤を送る子供が居る



成人暴走族・旧車「會」(珍走団)
彼ら珍走団は本来バイクの楽しみ方を逸脱した成長と責任の無い青年達である
ましてや子を持つ親までも・・・・・
彼らはあの『三ない運動』の忘れ形見だろうか・・・?

正統なバイク乗りとして、良識有る責任ある人として子供達を育て教育する事によりそんな成人暴走族は生まれない。

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VTR250ウインドプロテクションの効果

先日、息子と京都ツーリング(2日間1100km以上の高速)により改めてカウルの効果を実感した。
高速道路上バイクの法定速度が、つい最近まで80km/hで現在は100km
バイクの高速移動も早くなり、大型バイクに限らずその風圧による疲労は否定しがたいものが有り長時間に渡れば尚、疲労度も増す事だろう

VTR250に乗り始め1年は盛んに高速道路移動「風圧」の辛さを訴えてた
一般道オンリーならカウルの必要性も少ないが、高速道路を頻繁に使用すると、顕著にその辛さが身に沁みる

バイクに慣れた事もあってカウルを付け始めた頃から飛躍的にツーリングの距離が長くなった(多い時は1日500kmを走破する事も)明らかにその効果は絶大なものだった

VTR250にモトコオリジナルMF-Ⅱを取付試乗しウインドプロテクション効果を親父はブログに書き残してた


そうだVTRの風防効果を検証して来ようと思い、早速高速へ親父が行く

北関東自動車道 自宅→太田桐生IC→太田薮塚IC→自宅

高速道路では別物です風防効果抜群。

気流の流れがスムースになるのか?カウル取付前より安定性も感じられる

前回、カウル無しで高速道路を運転したが・・140kmの速度は風で辛いし怖い

今はまったくの別物、120km~140kmがあまり変わらず
調子に乗り5速で10500r/minまで引張る・・すでに速度計は150km/hを

コイツ・・・メータ振り切るな。

巡航100km~120kmの間で走れば長距離も難なくこなすだろう
改めて良いバイクだと思った

排気量と重量の差は当然有るが120km近辺だとFJR1300のスクリーン下部(FJRはスクリーンが電動で上下する)と変わらぬ効果



VTR250で比較するとかなり大きめなカウルだが、一般道やすり抜けも難無く通常と同じ扱い易さ。
後にトップケースやタンクバックにはETCや無線が装備される
カウルを付けVTR250の性能が一段と発揮出来た
低速から高速回転までトルクフルで250ccツインエンジンとは思えぬ走り250ccロードスポーツの最高峯と言っても過言ではなかろう
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親父が息子の時代(高校生時代)個性豊かなバイクが種類多く存在した
その頃交通事情もさることながら、まだ高速網も然程発達しておらずこの手のカウルは無かった。

現在バイク高速道路移動には是非欲しいアイテムである。

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VTR250エンジン回転9000rpmで遥か京都まで

親父が一人単独の場合殆どが日帰りで向かう京都方面。
今回は元愛機FJR1300に乗るT氏と高校生の息子が乗るVTR250の3台で一泊片道600kmの旅
襲撃先は↓
たこ焼き屋 いっちゃん

季節はバイクに厳しい時期だが楽しい。
↓今回のルートは行き帰り共に中央高速と長野自動車道経由
ittyannVTR250.jpg

季節も良くソロや実弟と共に向かう場合は走行を楽しみながら北陸経由で日帰りをする
↓前回の日帰りルート(今年6月)
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今回は小排気量250ccを伴って西へ向かう為、行き帰り共に最短距離を選ぶ


-----今回ツーリングの発端-----
ブログを通して様々な人達と巡り逢いその地域の人達と交流が出来る
『たかがブログされどブログ』その出逢いも『袖すりあうも他生の縁』である
思う所が有り、親父得意の思い立ったら吉日の勢いでFJR1300に乗るT氏と高校生の息子が乗るVTR250を伴って京都へ向かった。
結論として、親父の思う所は思った様に解決し
『たこ焼き屋のオヤジ』のたこ焼きは美味かった



-----道中の出来事や思い-----
BMW R1200RT&ヤマハFJR1300の大型バイクに混じり併走するバイクはホンダ VTR250
思った以上にハイペースで走り抜けた。予備タンまで120kmで走行するVTRエンジン回転は9000rpm時より追い越しで140km/10000rpm
対する大型バイクは120km/4000rpm程度。
後続で走る親父の目にVTRは高速コーナーR400やR500を綺麗にライン取りしながら抜けて行く
もうその姿はいっぱしのバイク乗りの姿だった
2年前バイク乗り出しの頃 高速走行は90km~100kmが精一杯途中予備タンに切り替える動作もままならず。
今は何処までも走り抜けるだろう

11/21夜明け前AM3:00近所のコンビニでT氏のFJR1300と待ち合せ
R1200RT FJR1300 VTR250 西へ向け出発
北関東自動車道⇒関越自動車⇒上信越自動車⇒長野自動車⇒中央高速⇒名神

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夜明けに掛けて寒い時間帯
軽井沢を過ぎてから寒さも厳しくなる最低温度-2度も・・・・
長野自動車道で濃い霧の為スピードダウン
姨捨SAにて休憩AM5:30まだまだ寒さとの戦い
信州はもう寒く雪もそろそろ降る時期となるだろう
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ようやく日の出と共に中央高速
駒ケ岳SA
半分の距離を走った此処で3台給油

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VTR250の息子まだ半分道程が残る出発しよう
AM6:50
この後気温も上がり中央高速は快調に走り抜ける
此処までは何回か息子はバイクで訪れてる所
この先はまだ行った事が無い未知の領域となる

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名神に入り混雑が顕著に現れる
初日で今日だけが3連休の晴れの天気予報なのでその影響か
思うように距離が稼げない
しかし、自走で此処まで来た事に息子は自分なりに感動したかの様に話しをする

多賀SAにてVTR250だけ給油。
AM8:30

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幾度か渋滞&すり抜けを繰り返しようやく京都八幡『いっちゃん』に到着

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もう何回か訪ねた親父は遠くの友に会うような感じ
『こんにちわ』&『いらしゃいご苦労様』で通じる

今回は宿泊なので混雑する京都市内を少しだけ観光
息子とタンデムでFJR&R1200RTで出発
平等院を見学

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混雑にうんざりし『いっちゃん』に引き返す (笑

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はおはおさんやさめさんがいらしゃいました
その後MM隊のともさんが登場。

何人かのライダーさんも居ましたが・・・・・
気の利かぬ親父は写真と名前撮る事を忘れてました・・・すみません。

次回は必ずそこの所把握します


次ぐ日は雨の予報・・・・・・
雨から逃げる如く10時に出発し無事帰午後6時に帰宅しました

地元関東群馬県に横川SAにて
もう直ぐ帰宅。

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無事到着の様子

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この二年息子と共に走ったVTR250は2万キロを越えてる

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*はおはおさん頂いたチケットは大事に保管してます。
*はなちゃんまた会えるからね。楽しみにしてます
*ともさん今度関西方面のツーリングに連れて行ってください(笑
北関東地方襲撃の際はご連絡をお待ちしてます

『いっちゃん』に関係するライダーの皆様今後も宜しくお願いします
最後にロンゲのオヤジーまた襲撃するでぇー。。。。

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通勤&明日は西へ

昨日の北関東は恵比寿講も始まり冷え込みが一番だったらしい(幼少の頃はもっと冷え込んでた・・・・温暖化で暖かい)
帰宅中バイク通勤は辛く冬を感じた

今朝の通勤

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明日は西へ襲撃開始!

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高校生最後のロングツーリング京都へ

多分息子は高校生最後のロングツーリングになるだろう
しかし、これから先まだまだ彼の長い人生は続く。

親父『京都にバイクで行くぞ、行くか?』
親父の一言で彼は眼を輝かせ行く気は十分だ

ツーリングクラブ ECHOのイベントも一人で出かけロングツーリングで1日500km以上の距離も走破するが、今回は片道600km以上でVTR250の参戦。FJR1300やR1200RTなら日帰りも可能であろう・・・・・・・・そこで今回は1泊2日の予定を組み計画を練る
宿泊は現地調達で何とかなるだろう・・・・
問題はこの季節の雨はかなり辛い
天気予報は土曜が雨。土、日曜はどうにか晴れの予報 幸いの3連休なので予定として土曜出発で雨天の場合日曜とする。と大筋な計画

今回『京都たこ焼ツー』は3台(VTR250、FJR1300、R1200RT)で襲撃となる
たこ焼き屋 いっちゃん
ロンゲのオヤジさん いくでー。(関西風?)
大阪のおかん(はおはおさん年下なのにゴメンナサイ) いくでー。
hanaちゃん いくでー。

そして今回新たに
まいど~~~~~!!!!(^O^)/
マルチのともさんが迎えてくれるそうだ!なんと有難い。
そして早いもので『いっちゃん』初襲撃は丁度1年程前になる

あわよくばツーリングクラブ ECHOの人達も一緒だったが・・・今回は3人で(笑


2007年8月
バイク乗りの親父ゆえ、時が流れ現代社会事情も疎く息子に普通自動二輪の免許を取得させた

時は1970年前半、親父が息子の時代誰しも男子は自由に二輪免許を取りバイクに興味を持った時代と言っても過言では無いだろう。そんな青春時代を過ごしバイクの楽しさ仲間とのツーリング等・・・
今でも鮮明にその思い出は残る
息子がその歳になりバイク乗り親父は当然としてその楽しさを一緒に味わいたく二輪免許を取得させた。しかし時代は『バイク三ない運動』が当然の決まり通例となってた

2007年9月上旬(高校1年)
免許取得後初めて親父とツーリング(日光いろは坂にて)

初めてのバイクツーリング

2007年10月中旬(高校1年)
ツーリングクラブに親父と参加初めてのマスツーリングと高速道路を経験する
(初めての高速の為、親父はスーパーシェルパで参加)
この時、学校で免許取得問題が発覚。学校側は親に免許取得の事実を確認し有無も言わず息子の頭を丸刈りにし即刻謹慎処分に・・・・親父は納得行かず親の教育委権の主張で法的手段を講じる準備として法務局確定日付入り意見書を学校長に送りつけるが、学校側は相談を持ちかけ黙認状態となり以後堂々と私生活に於いてバイクに乗る活動が始まる

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2007年11月上旬(高校1年)
マスツーリングで初めて宿泊ツーリング末娘の妹と参加
今までで一番長い距離を走る

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2008年3月上旬(高校1年)
年が明け何回か親父とツーリングでVTR250の距離は3000kmを超えた
まだ一人ツーリングは出掛けないが、後に一人旅が始まる
そして最近は、バイクに乗る高校生は殆ど見ない(親父の時代は考えられぬ事だった)
まるで孤独な高校生ライダーだった

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その後何回か親父とツーリングを・・・・・

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シェルパとスーパーカブ90で林道へ行ったり

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2008年5月上旬(高校2年)高校2年になり一人歩きを始めた頃
ようやく暖かくなり始めた頃一人ツーリングを初めて始める
距離は短いが最初のソロで日光へ出掛ける・・・まだまだ背は低くVTR250を跨ぐ足はつま先

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2008年6月(高校2年)
親子で頻繁にツーリングクラブ ECHO参加する

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同年代のライダーが居なくとも彼は大人達のツーリングクラブに自然と溶け込んで行く
ECHOツーリングクラブは35歳以上で40代50代が多く女性のライダーも多い

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2008年7月(高校2年)
この頃はもう大人に交じりクラブの一員として参加するようになり最年少ライダーの登場
ECHOの皆様には感謝。

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VTR250の走行距離は6500kmを超える
親父と息子が一緒にワイディングを

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高速道路走行も多くなりVTR250は素晴らしいアイテムを手に入れる(モトコオリジナルMF-Ⅱアッパーカウル)そして走行距離も右肩上がりで増え続け・・・・・

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ツーリングクラブへの参加は自ら一人で参加するようになり・・・・
親父の出席率を抜きクラブの一員となって行く
有る時は1日の走行距離が500kmを超えたり宿泊ツーリングも一人で出掛ける

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2009年今に至り
来年高校を卒業する彼のVTR250は既に2万キロを超えて
更に目盛を増やそうとしてる

彼のバイクと共に過ごした高校時代
『三ない運動』を通し様々な事も学んだ
是非彼の成長を、もう一度見て貰いたいこのブログは『バイク三ない運動』の意見や思う所から始まったもので、その運動に対して今は真っ向から反対してる訳では無い。
解決策は何が有るかその辺を考えたい。
そして我々親がライダーであるとして

以下がカテゴリー
├★ホンダ VTR250
-教育に思う
├★高校生バイク三ない運動
├★バイクに対する校則を考える




今週末は西へ(京都)に出掛ける
天気は十分とは言えぬだろうが人生も同じようなもの
無事に笑顔の帰宅をしよう

VTR250と息子頑張れ!


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風になろう

バイクから暫く遠ざかり先週久々に奥日光へソロプチツーを・・・・
寒くもバイクに乗ってしまうと乗りたい虫が騒いで来る。

今週末の仕事予定が伸びカレンダーを見ると世間様は連休。。。
会社で何気なく晴れた空を眺めてたら・・・・・・・

風になろう!と思った

いつも通りの単純発想。

忙しく頭を抱え仕事に専念する相棒に『週末バイクで西に行くべぇ・・・・・・』と脳天気な親父
勿論相棒も一つ返事で決定。

一方いつも息子共々お世話になるツーリングクラブECHOを見ると
偶然にも京都&瀬戸三橋2泊3日ツーリング企画中・・・・


我々は京都まで併走して

たこ焼き屋 いっちゃん

『たこ焼ツー』画策中!

FJR1300&R1200RTで・・・・・息子も誘ってみようかVTR250も参加するかな?

週末天気になれ!

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もしかしたらVTR250参加?

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様々な思い

  • 2009/11/17 23:14
  • Category: 日記
ふと思いブログを立ち上げた時の事を思い浮かべる。
それは、バイク乗り親父の立場から子供たちへの思いだった
バイクの高校校則を考える
- 2007/09/30(Sun) -

上記の記事から今に至りブログを通して様々な人達と出逢えた。

高校1年生の息子は来春卒業し大学生に・・・・・
時の流れは速いもので、いつしかその「三ない運動」への意見や思いは遠く過去のものとなる
下の娘達二人が、16歳になりバイクに乗りたい意思を示せばまた新たな学校への交渉やら「三ない運動」への思いや意見を書く事になるだろうが、娘達はバイクに興味を示さないかと思う

そして、ブログとバイクを通しリアルで様々な人たちと交流出来た事は非常に有意義だった
これからも、その出逢いは続くと思う



この場を借りて長い間コメントに対する返事が出来なかったので此処で返信させていただきます

海峡の宿から東北ツーリング3日目 (エピローグ)
- 2009/09/29(Tue) -


ロンゲのオヤジ さんより
-いやぁ~・・・-
救いの神現るですね。
お疲れさまでした。

返信
本当に命拾いしました。
FJR1300は元親父の愛車でした受け渡す時に「そろそろタイヤも交換時期だから・・・・」と伝えてましたが・・・・バイクは命を乗せ走る物です整備はしっかりするものですね
相棒も今回で身に沁みた事でしょう(笑


れんげさんより
夢宙の会HPできましたぁ♪

返信
おめでとうございます。
夢宙の会

激務やその他事情で参加出来ませんで申し訳御座いませんでした
11月の初旬に1回目が無事終了した様子で何よりです

受入れ側(京都)の皆様には大変なご尽力の賜物で感謝の念が絶えない事でしょう
「夢宙の会」のコンセプトには非常に感銘してます。ブログを通しての出逢いは、素晴らしいものが有ります。無理をせず自然とその輪が広がって行く事を祈るばかりです
京都のブロガーの皆様そしてスタッフの方々御苦労様でした


松井大門さんより
何はともあれ良かったね~~~~~!!!
夢宙(そら)の会のバナ-張り付けしてね~
れんげちゃんとこ見てね!
親父さんもメンバ-に入るんだよ~~~~~!!!

返信
お誘い有難う御座います
激務その他の事情で参加出来ず申し訳御座いませんでした
自然な輪の広がりを期待してます。それぞれ様々な思いがその人達に有ると思います
その中で、それぞれの立場や努力が有ってこそ成り立つイベントだと思いました
この親父もブログを通し出逢いを求めバイクで旅をする事が幾度か有り必ず会う人達は皆素晴らしい出逢いとなります
そんな出逢いを大切に互いの立場を理解し深めて行きたいと思う所存で
人の中に生きる以上、その一人の人として周りへの感謝を大事にしたいと思います


松井大門さんより
何処か具合でも悪いの????

返信
とにかく、色々と有った時期でした激務や出張そして腰痛に悩みPCの異常
東北ツーリングからはバイクに乗ってませんでした
ようやく。日常の気配が・・・・・・・
大変ご心配掛けました


hanaさんより
kazu親父さん、元気ですか???

返信
大丈夫!元気!元気!
でもね、1ヶ月以上もバイクに乗れなかったよーー
これから寒くなるけど・・・・またバイク生活開始!
通勤もバイクに戻りました。。。。
寒くてもバイクは楽しい!


マツダさんより
-はじめまして-
はじめまして。
一昨年(48歳)で大型自動二輪免許を取り、XJR1200に乗るものです(現在50歳)。

青森には、今年より単身赴任しており、今年だけで、青森の主たるところ(大間崎・仏ヶ浦も)は、走りました。
青森市内のレッドバロンも、よく顔を出しています♪

私の夢は、FJR1300に乗ることで、
その前の練習機として、XJR1200を買いました。
去年1月より現在までで、25000kmは走っています。

来年には、FJR1300を買いたく、
せめて頭金にと、500円玉貯金をせっせとしております。

長いコメントで、失礼だとは思いましたが、
FJR1300購入の参考とさせていただきたく、
今後も、ブログにおじゃましますので、よろしくお願いします

返信
はじめまして!
去年から25000km走ってますね
FJR1300はとても良いバイクです長距離は勿論、そして意外な所はそのツアラーの姿で有りながら
かなりスポーティーに走るバイクです
日本車の最初のツアラーの先駆けバイクと言っても過言で無いでしょう
現在そのFJR1300元愛機06年式は知らぬ他人には渡せず仕事仲間の相棒が乗ってます
彼もFJRには満足してる様子です
今はBMW R1300RTに乗り替えましたが、FJRと共に頻繁にツーリングをします
早くFJRが手に入ると良いですね。
因みに10年型新車の購入を考えてらしゃるなら早めのオーダーが吉かと思います
おそらく来年1月には殆どオーダが終わります(06年購入時はそうでした)
意外と逆輸入が少ない希少バイクです


ねぎちゃんより
ご無沙汰です

激務でしょうか?昨年もこの時期忙しかったような気がします。でも復活したらBMWに変わっていたような・・・。それともゲーム?

11月に入ったら自転車で復帰テスト始めます。

返信
お久ぶりです
激務と度重なる不幸?により更新が滞ってました
来年春には新たなデビューですね
セローが手に入ったら林道行きましょー
群馬は長い林道が有りますから
・・・・・・そしてオフ車の後のオンは。。。。
長く付き合うバイク・・・・BMWのボクサーエンジンを勧めます(笑

再び風の中に

-お詫び-

最初にお詫びとしてブログを通し多くの方々にご心配をかけ申し訳ございませんでした

東北ツーリングから帰り晴天の霹靂が重なり今に至ってしまった
会社のPCや自宅のPCは最悪のウィルスに感染し復旧がままならず、激務の1カ月以上が・・・
とりあえず新品のノートPCを購入し仕事の出張はそれで間に合わせ必要なソフトだけをインストール
体調に至っては生まれて初めての腰痛が襲う。。。。。(これがまた辛い)

PCのウイルスに関してはUSBメモリーから感染するワーム型で、その母体のウイルスはウイルスとして認識されず多量のウイルスを生んで増殖させる物でした・・・・・(現在はウイルスバスターも対応してる)
検出された問題は10月中で延べ36000回以上
仕事上USBは必須なアイテムでそのデータなど全て破棄しなければならない状態が続く
最悪のパターン。

仕事に至っては激務により出張や様々な問題が・・・・・

体調も腰痛による激痛。


まだまだ日常にに戻るには時間が掛かりそう。

それでも多少の落着きを取り戻し

再び風の中へ

先日、久々の休日。
体調も戻り東北(下北半島帰り)から戻り初めてBMWの洗車
そして通勤は車からシェルパに戻る

BMW R1200RTの洗車と息子のVTR250のオイル交換をして午後1時過ぎR1200RTで季節を感じに出掛ける。
午後から北風が強くなるが山間部へ山間は風もなく久々のR1200RTは至って快調

日光方面へ向かう途中。紅葉真っ盛り
日光は、紅葉も終わり冬支度だろうか?このまま奥日光を目指す

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日光いろは坂を上り明智平に
ここまで来ると寒い・・・

DSC02582_R.jpg

冬景色前の日光中禅寺湖
何故か寂しい感じの湖畔

DSC02583_R.jpg

紅葉の色も既に無く
日光戦場ヶ原と男体山

DSC02584_R.jpg

奥日光金精峠を走り男体山と湯の湖を望む
R1200RTの後ろには積雪用のポールが立つ
あと、数週間も経つと雪が積もり金精峠は来年5月連休まで通行止めになり、今年最後の奥日光だろう

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金精峠を下り丸沼スキー場では人口雪に依るオープンだった

帰宅は夕暮れの為沼田ICより帰路を急ぐ
もう少し早い時間なら山間の紅葉を堪能しながら一般道で帰路に着いたはずだが・・・
しかし、久々のツーリングで短いが楽しい



今日は幾分日常に戻りシェルパで出勤
田んぼも稲は無く冬到来。

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再び風の中に・・・そして冬ツーリングの始まり。






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2008年12月よりFJR1300Aから BMW R1200RTに乗換えました。
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