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風とバイク VTR250

ゆるやかに走るソロツーリング。晴れた日の山々は風が気持ちよく素晴らしい
時によりネイキットによる高速道路で長距離移動は、まさに風との闘いとなり、風が体力を消耗させる
息子がVTR250に乗り始め最初の一年、高速移動は辛かっただろう

一人単独でツーリングに向かう息子とVTR250   そして帰着
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頻繁に親子でツーリングに行くこの頃(一年前の春)親父はFJR1300A。
高いウインドプロテクション効果だった為、風に対するVTR250の辛さが解らなかった

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親子一緒のツーリングは高速道路移動が伴う場合も有り、高速では息子を先頭に走らせ親父は後から見守る形で走る
まだ、VTR250にアッパーカウル モトコオリジナルMF-Ⅱが付く前は巡航90km/h~105km。



そして、丁度1年前の夏にカウルを取り付ける 免許を取得し1年。バイクに慣れた事もあってカウルを付け始めた頃から飛躍的にツーリングの距離が長くなった(多い時は1日500kmを走破する事も)明らかにその効果は絶大なものだった
最近一緒のツーリング高速移動は巡航110km/h~120km/hで走り抜ける変わりようだ

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一年前VTR250のウインドプロテクション効果を親父はブログに書き残してた

そうだVTRの風防効果を検証して来ようと思い、早速高速へ親父が行く

北関東自動車道 自宅→太田桐生IC→太田薮塚IC→自宅

高速道路では別物です風防効果抜群。

気流の流れがスムースになるのか?カウル取付前より安定性も感じられる

前回、カウル無しで高速道路を運転したが・・140kmの速度は風で辛いし怖い

今はまったくの別物、120km~140kmがあまり変わらず
調子に乗り5速で10500r/minまで引張る・・すでに速度計は150km/hを

コイツ・・・メータ振り切るな。

巡航100km~120kmの間で走れば長距離も難なくこなすだろう
改めて良いバイクだと思った

排気量と重量の差は当然有るが120km近辺だとFJR1300のスクリーン下部(FJRはスクリーンが電動で上下する)と変わらぬ効果


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新車から2年が過ぎVTR250は既に18000kmを超え今尚距離は延び続け19000kmになろうと
装備も充実しETCや無線機、そしてトップケースも追加となったVTR250.

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1982年5月VT250F(35ps/11000rpm)6速がデビューしエンジンの基本設計はそのまま30年以上変わらずホンダの名エンジンとも言える

2009年そのVTR250(30ps/10500rpm)5速はキャブレターからPGM-FI搭載になり、今尚根強い人気が有る

今度、息子からこっそりとVTR250を拝借しソロツーへ行き・・・・・・


優しい風に逢いに行こう。

雨は上がっただろうか・・・・?上がればシェルパで通勤出来るけどなぁ

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夏のツーリング装備は?

当然バイク乗りは装備に気を使うと思う・・・・・
ヘルメットは勿論の事だが

親父が二輪免許を取得した頃を思い出すと昔は、装備に関しては無頓着。
確かにナナハンクラスのバイクに乗ってる街乗りのライダー達はノーヘルが多く、それが当たり前。
『ヘルメット着用義務違反』が無くそれに該当する所は高速道路のみ。そして、当時の田舎は高速道路も無い。しかし1970年後半から二輪死亡事故が多発。原因の殆どが頭の怪我が原因であった
バイクは年々高性能化し高度成長と共にバイク人口も右肩上がり。後に1976年頃だろうかヘルメット着用義務違反が設けられる

今現在、バイク用品は多種に渡り安全に配慮した物が数多い

夏はバイク用メッシュジャケット。そして夏用バイク用パンツは・・・・・・メタボの為、穿くのが無理 (汗
ジーパンもあまり有りません
そうなると強い味方はワークマンの作業ズボン (笑

その下にこれを着けて乗る↓
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今はもうこの装備が無いと不安。



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青春時代小さな見果てぬ夢(RE5)

1976年のティーンエイジャー時はまさしく日本バイク歴史上に残る黄金期であった

過去のブログより
実は、BMWは1970年後半に「モーターサイクル生産を継続するかどうか」の決断を迫られている。空冷ボクサーの需要が年々下がり、業績が悪化していたのだ。その影にあったのが、日本車の存在と将来確実に厳しくなるだろう「規制」。BMWは、1960年代まで英国車の「トライアンフ」や「BSA」などとビッグバイクの主要マーケットであったアメリカで大きなシェアを誇っていた。しかし70年代に入り、日本からホンダの名車「CB750フォア」やカワサキ「Z1」が登場し、状況は一変した。その圧倒的な性能と、低価格はBMWをはじめ「トライアンフ」や「BSA」との差を決定的なものとし、みるみる業績を悪化させていく。結局、3気筒などのエンジンで対抗しようとした「トライアンフ」や「BSA」は日本の技術力に屈し、瞬く間に倒産に追い込まれてしまった。

2サイクルメーカーであるスズキはこの時期新たなロータリープロジェクトを立ち上げ
その計画は第1次オイルショックにより、膨大な技術者の努力や資金をつぎ込んだが水泡の如く消え去る運命となる
しかし、後に2サイクルから4サイクルに移行するスズキにとって数多くのレシプロエンジンの技術の糧となり今尚その技術は受け継がれてる


ロータリーエンジンは、ピストンが上下する通常のレシプロエンジンとはまったく異なり、三角おむすび型のローターが繭型のハウジングの中を回転する構造を取っている。ローターとハウジングのすき間が燃焼室になり、ローターの回転に伴って吸気→圧縮→爆発→排気という4サイクルの燃焼行程が行なわれる。特性としては4サイクルよりも2サイクルエンジンに近いと言われ、NOxの排出がが少なく、HCが多いのも同じ。

ロータリーの特徴はエンジンサイズがコンパクトで、振動が少ないこと。考えようによっては二輪に最適なエンジンともいえる。しかしコンパクトといっても膨大な熱に対する冷却装置などが必要になるため、250cc単気筒エンジンのようにはならないと考えられる。

多くのメーカーがロータリーを断念したが、数少ない市販にこぎつけたメーカーのひとつがスズキ。1974年に500ccシングルローターの二輪車「RE5」を発売した。マツダと同じようにNSUバンケルから基本特許を購入し、さらにマツダから周辺特許を受けて完成させた。それでも開発は苦労の連続で、何度もドイツのNSU社へ飛んで行ったという。

RE5のデザインはイタリアのジウジアーロが手がけた。当時としては非常にあか抜けたスタイルにまとまっている。また、日本国内でも販売すべくスズキは努力したが、排気量換算の問題が解決されず、国内販売を断念(当時、750cc以上は国内で販売されなかった)。輸出専用のモデルとなった。

しかしRE5は短命に終わった。その理由は性能や信頼性ではなく、オイルショックだった。スズキの他、日産やいすゞ、トヨタ、ヤマハ、海外ではメルセデスベンツ、ポルシェなどもロータリーを開発していたが、ほとんどはオイルショックのために断念している。マツダもこれで苦労したが、当時は「ロータリーは燃費が悪い」というイメージが非常に強かったためである。

スズキロータリーバイクの開発にあたり

 設計のねらいとして,
1)レシプロエンジンの750ccに匹敵する性能を有するツーリングモデルであること
2)信頼憧,生産性,経済性,サービス性及び安全性を十分考慮したエンジンであること
 以上のねらいを追求した結果,単ロータ,水,油冷却方式,単室容積497ccの基本レイアウトとした.
以下参考資料
http://www.iom1960.com/gs-kaihatu/re5-1.html
http://www.iom1960.com/gs-kaihatu/re5-2.html

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本日後期型北米輸出仕様を見て来た
帰国したRE5は既に35年近くの歳月が経ってる。しかしそのエンジンは今尚元気に動く
RE5は旧車で人気が高いスズキGT750後期と同じ世代である その姿はスズキの威信と技術の粋が所狭しと詰まったバイク・・・・・数奇な運命に翻弄された数少ないバイク。


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HS1積載量UP&予備タン復旧

午後から久々の晴れ間。夕刻、風に当たろうとHS1で散歩

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その後クラッチの調子は良く快調
しかし、バイクに乗った事の無い車のドライバーが、HS1に乗った親父を追い越そうと速度を上げ追い抜きにかかります・・・・・今日はこんな人達に何人遭遇しただろうか

もしや、あの2stの排気が嫌いなのか。。。

郊外や街中では車の流れに滞りなくHS1なら走れるが・・・加速なら幾分早い(笑


幾分HS1の燃料タンク残量を少なくして帰る

予備タンが効かないHS1だと仕方無いので先日入手した燃料コックとリアキャリアを取り付ける事にする
タンクを取り外し作業をするが・・・・ガソリンの残量がまだ有る。
ガソリンまみれになりながらガソリンをシェルパのタンクに移し作業開始

燃料コックを外し既存の燃料コックを良く見ると・・・・・

補修した跡が見つかり下の方に小さな穴。 これで納得
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右の新しいコックに変える

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これで、燃料切れの心配も無くなり一安心。ついでに積載量UPする為にリアキャリア取付

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良い感じになったHS1

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これでHS1で心おきなくツーリングが出来る

古き良きバイクの時代70年代が懐かしい・・・・・・


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ナナハン時代黄金期の中

1975年ナナハン時代黄金期 親父は初めて自動二輪免許を取得しナナハン時代の真っ只中に居た

1970年代、750cc(国内)バイクを頂点として各メーカーが個性あるバイクを開発し
1969年8月(国内販売)ホンダドリームCB750FOUR(4サイクルSOHC4気筒))を皮切りに各メーカーの750cc開発生産が始まりナナハン時代の幕開けとなる。

カワサキ 69年500SSマッハⅢ(2サイクル3気筒)後に73年750RS(4サイクルDOHC4気筒 通称ZⅡ)

スズキ 68年のT500の後続機種で71年GT750(2サイクル3気筒水冷)

ヤマハ 72年にTX750(4サイクルSOHC2気筒)当時としては2気筒でかなり地味だった高校時代の我々は楽器屋のバイクだ~と言ってた。しかしヤマハはあの有名な初代トヨタ2000GTをトヨタと共同開発しエンジンを作りヤマハの磐田工場で337台が生産された。

今では想像着かない程多いバイク達のラインナップ・・その種類は非常に多く我々ティーンエイジャーを魅了してた時代
ホンダドリームCB750FOUR K1
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カワサキZⅡ
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ヤマハスポーツTX750
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スズキGT750
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国内750ccを頂点とし以下のミドルクラスも多種多用だった

時代の流れと共に彼らはラインオフになりナナハン時代は終焉を迎える

そんな中に一つ、国内市場に姿を現さず、やむなく輸出用になり量産2年の短命に終わったた名車がある

スズキRE5 Rotary 1974

国産唯一の ロータリー・エンジンバイク 
搭載されるエンジンはハウジングを水冷、ローター内を油冷の2系統とした単室容積497ccのシングルロータリー。吸気には低速から高速までスムーズな特性を得るため、2ポートの多孔式ペリフェラルポートを採用。これら2つのポートはバタフライバルブで仕切られており、低速域では小径のプライマリーポートのみが作動、高速域では大径のセカンダリーポートが作動する仕組みになっていた。キャブレターはプライマリー側に18mm、セカンダリー側に32mmのミクニ製ソレックスタイプが装備されている。また熱対策のため、エキゾーストパイプは冷却風取り入れ口を設けた2重構造の2本出しを採用、さらには巨大なラジエターと電動冷却ファンが採用されていた。Wikipediaより抜粋

1975 Suzuki year code: M
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RE5Aが後期型でメーターバネルにスズキGT750と
同じ部品を使った

1976 Suzuki year code: A
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1976年世界を揺るがした第1次オイル・ショツクのため
ロータリー・エンジン・プロジェクトは1977年に終わりとなる

RE5はロータリー国内排気量計算により規制の750ccに入らず、やむなく輸出用のみとなり、後のオイルショックを経、短命な2年間だけ量産バイクとなる

個性あるバイクが多種ある時代、最も数奇な運命を辿ったバイクと言えるRE5

やがて、2サイクルマシンもラインオフとなり個性あるバイクは消えて行った


その頃、ティーンエイジャーの親父はER5に対し密かな憧れと、その強烈な個性に好奇な感情を抱いてた。


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エンジンオイル薀蓄(百聞は一見に如かず) 

エンジンオイルに関し拘りや薀蓄を説いたらキリが無い
正に百聞は一見に如かず

発注したエンジンオイル(Kendall)はペール缶(約20リットル)既に7回目となる
なんと140リットルの消費
20W-50のペール缶はリピーター価格で17800円(消費税込み)である
元々化学合成オイル派だったが社用車やバイクなど多種に渡り使って見たが
やはり、ケンドルになってしまう3000kmを越えたあたりから、そのオイルの性能がはっきり解る
車でもバイクでも同じ結果だった。ただ残念な事に一般小売が無い事


正規輸入元 ㈱イワサキコーポレーション⇒ 日本公式サイト

個人輸入で販売⇒ エンジンオイル屋

ケンドルGT-1(20W-50)
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衝動とやり残し

HS1の予備エンジンを組み上げ・・・今度はスポークでも張り替えようかと考える
しかし、この季節バイクを見ると作業よりツーリングをしてしまう親父。

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そして先日、ある物を手に入れてしまった。

それこそ衝動・・・・・



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ヤマハスポーツ90HS1





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程度は良いと言えないが部品取りとして使える
少しずつ分解し再メッキしたり・・・・・
やる事は山程ある。
エンジンは現車を含め3基になった。。。。(汗


今最も困ってる事が現車の燃料コック
予備タンが使えない奇妙な現象・・・先日HS1でツーリングの帰り運良く自宅近くでガス欠
コックはONだがタンクの中身は空欠。

新品のコック 付け替え予定
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多小の荷物が積めるように キャリアの取付

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やる事は沢山あるが・・・・乗る方が楽しい親父には困った

そうだ近々、HS1でツーリングに行こうか(笑


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日光から榛名山&赤城山そして足尾山地へ

W650に乗る katsumorさん とツーリング日光宇都宮道路日光口PA合流8時の約束
1時間10分も有れば間に合うと計算し自宅を6時15分出発。しかし!!東北自動車道佐野藤岡ICに乗った途端・・・・大渋滞。。。そう世間様は3連休中日で子供の夏休みだった
必死のすり抜け走行・・・・そして日光宇都宮道路は140km/hオーバー巡航で日光口PA8時03分到着。・・・・考えが甘かった親父。そこにはもうkatsumorさんが待ってました(汗

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今回初対面のkatsumorさん大型自動二輪取得後まだ間も無い自称初心者らしい
なかなかの好青年でした
しばらく話しをして『日光周り榛名山&赤城山ツーリング』の開始

日光宇都宮道路日光口PAのW650とR1200RT

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清滝ICを降り、日光いろは坂へ (いろは坂は意外と空いてた)
一旦明智平で小休止後、中禅寺湖を抜け奥日光金精峠へ
峠を」越えた菅沼付近(山小や)休憩地点と決め自由走行

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此処に来ると必ず炭で焼いたヤマメを・・・美味かった
今年は幾らか小ぶりかなぁ。。。

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この国道120号線は別名日本ロマンチック街道と呼ばれる
このまま沼田まで進み国道145号(国道145号も日本ロマンチック街道)に入り榛名湖へ

榛名湖に向かう北面県道28号線は高速コーナーの連続
katsumorさん結構飛ばすなぁ・・・・・・W650のステップを掏りながら。。。

榛名湖にて

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県道33号から国道353号経由で、からかぜ街道⇒赤城神社でお弁当

途中のコンビニでお弁当を仕入れる

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遅いお昼を済まし赤城山に向かう難所道県道16号(大胡赤城線)で赤城小沼へ

赤城小沼にて

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此処から休まず赤城北面を下がり再び沼田方面から国道122号に

そして粕尾峠を抜け鹿沼方面へ

今日はひたすら一般道を走るツーリングだった
katsumorさん疲れて無いかな??
無事でなにより

走行距離475.5km 平均速度49.8km/h 平均燃費22.7km/L

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今回、不良親父は好青年のkatsumorさんに中年暴走の手ほどきをしてしまった・・・・(笑


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弱気の誤算 それでも・・・・・・・

日光周り榛名山&赤城山ツーリングは明日に延期

朝起きると空模様は暗く弱い雨脚 天気予報は50%の降水確率
『日光周り榛名山&赤城山ツーリング』は延期しよう・・・・・・・いつもなら強気で決行する。 しかし弱気だった
本降りになりそうも無く時より薄日が現れる

計画は明日に延期だが一人旅立ってしまえと午後2時スーパーシェルパに跨り赤城山方面へ

ソロツー『赤城神社⇒赤城山⇒足尾探訪』へとシェルパを走らせる

赤城大沼とスーパーシェルパ

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曇り空で蒸暑い。シェルパを走らせると風が心地く、憎き雨は降ろうともしない
土曜のわりにバイクは少なく一人疾走する

赤城神社松並木とジェルパ

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赤城神社

いつ来ても良い所。 流れ出す御神水を頂き・・・戻ろうかと考えるが、乗り始めたら止まらない親父
『赤城山を越え足尾に向かおう・・・・』と密かに思う

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狭く急な道を選び赤城小沼に向かう

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赤城山頂 覚満淵

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赤城大沼

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赤城山北側を下り沼田⇒大間々と進路を取る
国道122号に出て日光方面へ、そして足尾を目指す

先日小串鉱山に行き(最近では余り行きたく無い足尾だが・・・・・)足尾を見つめたくなり向かう
小串鉱山から比べれば遥かに大きい鉱山跡だ・・・今尚、足尾はその1234kmの坑道が掘られ、今は雨水などがそのトンネルに染み渡り水質の2次公害を引き起こす原因にもなって極めて政治の匂いがする所である

昔、足尾銅山は一時期栃木県の県庁所在地の人口を上回るかの勢いであった


明治に廃坑となった小滝から

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今は鬱蒼とした木々が育成してるが、かつての昔、人の往来で賑わったに違いない

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今も残る遺構のレンガ。良く見るとカラミで作ったレンガ(カラミ(鉱滓)とは鉱石を精製し残った、不純物の事
)風化しにくいレンガ

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旧小滝抗 

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その封鎖された旧小滝抗からは今も隙間から冷たい風が吹いて出てくる 

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小滝から、その1234kmの坑道のある備前楯山を越え、昭和に廃坑となった本山本坑へ向かう
煙害により禿げ山たなった尾根が見え始める・・・しかし此処は序の口である

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本山の周辺(昭和になるとこの本山抗と通洞抗が主流となる通洞抗は今も観光資源として一部公開されてる。そして通洞抗の周りは今も寂しいながら人家が並ぶ)

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廃墟となった本抗付近

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此処も昔賑わった場所だが今は・・・・・

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精錬所に行く

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かすかに残る人の営み

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この煙突の煙害で山々が不毛の地となる(平面地図で見ると少ないが実際は二倍近い不毛だろう)

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製煉の排気ガスによって樹木が枯れ、山地の保水能力が失われ山肌の土砂が流れ
大型の砂防ダムが作られる
この奥に松木川渓谷(日本のグランドキャニオン)と呼ばれる名勝があるが・・・
決して名勝では無い煙害により出来た名勝である。今この奥にいくつも砂防ダムがあるが、その機能を果せなくなり膨大な工事が進められてる

悲惨なカラミの壮大なボタ山やその煙害のキャニオンは今砂防工事により立ち入り禁止となってる
工事が終わり次第またシェルパでその奥に踏み入れようと思う

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夕闇が迫る午後7時。足尾の精錬所を後に帰宅しよう

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今日の走行距離189.8km

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The Long And Winding Road

時に於いて、ブログがもたらせる出逢いがある
明日はコメントを下さる方とツーリングの予定。バイクに乗り始め、時は浅いと聞くが無事に風と共に走り抜ける事だろう


日光宇都宮道路(日光口PA)若しくは、日光いろは坂手前駐車場で待ち合せる
コースは以下の計画


国道120号⇒いろは坂⇒奥日光⇒金精峠⇒国道120号(ロマンチック街道)⇒沼田⇒
国道145号(ロマンチック街道)⇒県道28号⇒榛名湖⇒県道33号⇒国道353号経由⇒
からっ風街道⇒ (選択肢;県道4号(赤城道路)⇒大沼経由⇒県道251(赤城道路)⇒県道62号(沼田大間々線)⇒国道122号⇒草木ダム⇒足尾⇒県道15号粕尾峠⇒解散


日光周り榛名山&赤城山ツーリング計画


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二輪車のタイヤ

スーパーシェルパのタイヤが既に4000km近く走り交換時期
オフ/オン兼用は寿命が短い。

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BMW R1200RTも10000kmを超え、そろそろ交換時期・・・・・・
息子のスーパーカブ90も・・・・・

重なるもんだなぁ~~

そして早くもバイクで週末予定を考える親父。。

そろそろ家族サービスも考えないと孤立してしまうかな (笑



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雲上の廃坑へ そして一般道446.2kmの旅に (詳細編)

実弟『暑いなぁ小串鉱山にでも行ってくるべぇ・・・・・』
断る理由も無く446.2kmの旅が始まる
その日気象庁からは関東地方に梅雨明け宣言が出された日になった

いつも通りシェルパで出勤。
実弟から電話が入ると・・・・出勤したシェルパのエンジンも冷える間も無く再び・・・・・・・・・・・・・
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実弟の待つ実家へシェルパを走らせる

カワサキ スーパーシェルパ&250TRの旅。
一般道の移動
前橋市内、高崎市内を抜け国道406号(草津街道)を国道145号経由、国道292号(草津道路)へ
草津から名称が変わり(志賀草津道路)草津国際スキー場から白根山を目指し県道466号で万座温泉へ万座温泉スキー場のゲレンデ脇を走り(上信スカイライン)から県道112号で毛無峠に




雲上の廃坑(小串鉱山跡)

そして今、その廃墟となり遺構が残る場所は地図上から(小串)の名が消えてる
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長野県と群馬県とが接する県境の北部には、上信の火山帯が横たわり、山麓には湯量豊富な温泉が数多く、2,000m級の山々が火山性の山岳美を競って、観光資源にもなっている。
この火山帯で、1970年代の初頭まで、硫黄・ろう石・褐鉄鉱・ダイアスポーア等の鉱石資源を採掘、製煉をしてた。

高井鉱床を堀尽くした大正12年、毛無峠を越えて群馬県側を堀り昭和4年北海道硫黄株式会社が買収し小串鉱山として経営を始め、昭和11年には設備基数21基となり、鉱床に恵まれたことから高品位の製品を年間11000トンを生産するに至る

毛無峠は四阿山と白根火山を結ぶ県境尾根、日本海からの北風が吹き抜けるルートで、冬は毎日吹き飛ばされるほどの強風で鉱山最大の難所で豪雪地帯である
そんな厳しい環境の中、昭和12年11月11日午後3時突如として発生した大地すべりによる災害により事業施設の殆どが壊滅し犠牲者245名を数え遺体の発掘は翌13年2月まで続き、その間生産は皆無となった。当時軍需資源としての硫黄増産のため、1300余名の多くの人が働いていた
製煉の排気ガスによって樹木が枯れ、山地の保水能力が失われた為なのか?
被災直後、「小串鉱山は、もはやこれまで」と、再起不能が伝えられたが、回復を遂げる

冬期は日本海からの烈風の通り道、厳寒期の作業は過酷を極め この難問を解決したのが峠の下300メートルに掘った長さ1300mの毛無大隧道、しかもトンネル建設時に予想以上の大鉱床を掘り当て、小串鉱山の最盛期を迎える(今回その隧道跡は解らない)
しかし、時勢は刻々と暗雲が漂ってきた。コストの安い回収硫黄の影響を受け石油からの回収硫黄には太刀打ちできず、昭和46年6月30日閉山と同時に倒産し、無人の廃墟となってしまった。

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「鉱山の灯かり」小山賢一氏作 鉱山全盛期だろうか?




実弟宅(実家)を午前9時50分頃出発

途中のコンビニにて昼飯を買う(実弟は弁当を作って貰えなかった 笑)草津手前にて
廃墟の最上部の地蔵堂にて昼食予定

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12時30分毛無峠到着 小串鉱山鉄索道跡とシェルパ&250TR
標高は2000m近い

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毛無峠から下に見えるダートを下る このダートは群馬県側

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250TRでダートを行く 下った所から毛無峠を見上げる

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目の前に広がる今は名も無い小串鉱山跡
かつては此処に大勢の人達の生活が有った

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廃墟の最上部 雨水が貯まった何かの遺構(遺構の向こうは倒れかかった木の電柱が)と細かな残骸が残る

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少し先に行き地蔵堂を目指す
一年前実弟が一人で来て、この地蔵堂に清掃に来た管理する老人と色々語り小串の事を教えて貰い一緒に持参弁当を食した。
俺達もまた此処で昼飯にする

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地蔵堂から見た鉱山跡

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慰霊の鐘と地すべり隆起の丘

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地蔵堂の横には朽ち果てた変電所
いずれ風雪により自然に帰るだろう 遺構に咲く野の花が印象的だった

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地蔵堂を下がり今は何も無いNo1,No2精錬所と鉄索場跡地の最上部を走る
地蔵堂を後にする250RT

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途中に建物の残骸か・・・硫黄らしき物が混ざる

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広い廃墟の最上部
その向こうには本坑坑口だろうか?

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地面を見ると懐かしい清涼飲料(プラッシー)お米屋さんで売ってました

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この下にまだ広いスペースが有り遺構が点在する

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段差が有り一段下に狭いスペースが
250TRは無理なのでシェルパで下る どうやらこの地点からバイクは到底無理
長い急斜面でグリップしない細かなカラミだろうか?まるで蟻地獄のような斜面下がったら上がれない

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この地点で下方の遺構を見る
遠くに見える選鉱所と坑口か?

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廃水処理のシックナーと様々な遺構達

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この下方に果してバイクで降りてまた戻れるのだろうか?

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広い最上部を走り降り口を見つける
遠くを走る250TR
カラミで埋め立てられたこの廃坑全体の最上部は土砂が少し混じってるのだろう
カラミは酸性度が強くて草木が育成しにくい
最上部は下方と幾分違い草木の育成が少しだけ有る

カラミ(鉱滓)とは鉱石を精製し残った、不純物の事

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下方の様子

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降り口は見つからず荒涼とした斜面ばかり・・・・・
地図から察すると小串鉱山事務所がこの町に唯一残っていた建物
雪により潰れ崩壊してる・・・・・・・
その隣はカラミ埋め立ても少なく木が生い茂ってる。もしかすると昔の道が有ったあたり
これは!と思い現存する廃坑までの道を少し戻ると荒れた道が有った。

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事務所近くに通じる道(帰りの撮影の為反対方向この後ろをバイクで降りて行った)
半ばはもう笹ばかりでかろうじて残る道を探しやっとのおもいで下方に出られる
250TRは非常に苦労した・・・・・・・・

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崩壊した事務所と錆びた大きな金庫

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その事務所から少し離れた所に、遺構と似合わぬ物が・・・・・・
去年、実弟が管理の人から聞いた話によると車の墜落事故があったそうで
カラミで埋め立てられた斜面は容赦なく蟻地獄のように下方へ突き落す
ましてや、半端な気持ち物見遊山では命がいくつ有っても足りないだろう

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此処に降りて見渡すと遺構の側までバイクで移動はかなり困難が予想され、時間を要する
残された時間も無い・・・・まだ全体の1割も周ってないが、大人しく出直そう

かろうじてシェルパで移動出来る住宅跡に行ってみる

かつては、住宅が多く有った場所だが・・・・・・・
荒涼とし静寂が有るのみ

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250TRは苦労しやっとのおもいで無事戻った

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天候さえよければ、現地はあまりにものどかだ。しかし文献を調べれば調べるほど、当時のイメージが沸々と湧いてくる。厳しく過酷な作業と、隔絶された高地の不安な暮らしを強いられ昭和12年の地すべり災害は、まさに地獄絵そのものだったに違いない。
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今尚、毎年7月、現地において慰霊の例祭が執り行われている。いまだ小串鉱山は、廃墟にして廃墟ではないのである。

我々兄弟は次の小串探訪につき、バイクに頼らず時間をかけ歩いてゆっくり周ろうと・・・・
次回はキャンプ道具を積んで山歩きの構えで・・・・カメラも一眼レフを用意しよう
弟『茸採りに行ったと思えばこの広さは楽だぜ兄貴よ・・・・・・』と

次回小串探訪を練るのであった

そして密に思う。
我々の地方同じ廃坑で足尾銅山が有る
その足尾は今尚続く極めて政治の匂いがする場所である 1234kmの坑道が掘られ、今は雨水などがそのトンネルに染み渡り水質の2次公害を引き起こす原因にもなってる
その管理は国から補助金を受け取り古川が管理し
汚染水(坑道雨水)を中性化した際、混入する土壌を広大な上流のダムに堆積させる
その後、中才浄水場浄場にて渡良瀬川に放出する
現在もその簀子橋堆積場は一般人の立ち入りを固く閉ざしおおやけに公開せず毅然として無い

ふとそんな思いが過った





午後3時我々珍道中兄弟中年組は帰り道を相談する
時間も時間だ・・・・来た道を戻るか。。。。

きっと一般常識のある方々なら戻るに違い無い

しかし非常識な帰り道を選ぶ
奥志賀から新潟を目指し秋山郷へと・・・・・

日本一高い国道を通り・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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秋山郷を抜け・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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国道とは思えぬ狭い405号を通り・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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本州では珍しい一直線の道を通り・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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高速道路を使わず三国峠を通り・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地元の赤城山麓北側には8時50分

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やっとのおもいで楽しい臨時ツーリングは無事終わった

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9時15分頃出発。服装は恒例の作業服で
まさか、446.2kmの旅になるとは思いもよらず。。。。。

雲上の廃坑へ(一般道446.2kmの旅)

雲上の廃坑(小串鉱山)へ行こうと実弟から誘い。  出社後、僅か1時間後の事であった
断る訳が無い俺・・・(汗   出張のつもりで・・・とうとう一般道446.2kmの旅になってしまった
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小串鉱山鉄索道跡とシェルパ&250TR
このバイクで何処まで行けるか廃坑跡(遺構)を求め下る

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思った以上にバイクの探検は困難を極めた雲上の廃坑を後にした時間は午後3時
長野⇒新潟と一般道を辿った

詳細は後日UPします

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晴れた一日 親子でマスツー参加

当初、合流場所から帰宅まで息子に計画を任せ一日を過ごそうとした。

普通自動二輪を取得し2年になろうとしてる息子は、ようやく足手まといにならずマスツーの一団に混じり滞りなく走る事が出来る。しかし、バイクに乗り始めマスツーに参加する場合遠方の集合場所まで高速道路使用が主に多かった為、高速道路の往復が多く、その道を往復する考えが定着してた

確かに、親父が高校生の頃は、まだ高速道路整備途中にあり移動は一般道が多かった
しかし、その一般道はツーリングをするにあたり様々な感動を与える場所でも有る
現在、高速道路が整備され依り遠方の素晴らしい一般道をツーリングする楽しみが増えたと言えるだろう

マスツー解散地点

息子の計画は解散地点から中央高速を使い圏央道⇒関越道⇒北関東を使い帰宅する予定だった(一人参加してた場合は勿論このルートを使い帰宅の途に付いただろう・・・おそらく、一日の移動距離は500kmを超え600km近くになる)
此処で親父は息子に色々と質問し、高速道路を使うか一般道で北上して帰宅するかを訊ねる
どうしても、高速を使う事に考えが定着してる・・・・此処で親父の決断
親父『親父が、ナビするから一般道で北上するべぇ・・・・・』息子は従うしか無かった

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結果

帰路は様々なワイディングロードを通り思ったより早めの帰宅に息子は初めてツーリングの道選びを学習した事だろう。帰路の不安顔から少しずつ笑顔に変わり無線のやり取りの中では
息子『此処は前にECHOのツーリングで通った事の有る所だ・・・・・』とか
日の長い一日が幸いした。

まだ歳の割に幼い息子はこうして色々と学んで行く・・・・
そう、ツーリングばかりでは無い世間一般の常識や気使い。それを含めて
親父もその頃は悪ガキで何も知らない少年だった(今も解らない事が多いが・・・笑)



息子初めて一人参加の足跡(高速に頼る旅で580kmを走破する)
その時の様子が過去ログに有る→ VTR250と共に笑顔の帰宅

第68回2009年7月12日(日)ECHO 美ヶ原ビーナスラインツーリング ←参加したマスツー

この日も息子が最年少。高校生が大人に交じりバイクを通して様々な経験をする

以下が予定↓

中央高速談合坂S/A 7時45分集合 第2待ち合わせ場所 ローソン松本IC 10時00分


トータル 387km(談合坂~談合坂)

7:45  8:00 10:00 10:45
道談合坂SA → 松本IC → 美ヶ原スカイライン

11:15 12:00   12:30 13:00
→ 武石観光センタ → 美ヶ原 → ビーナスライン
   昼食                 

13:45 14:00 15:00     
→ 霧ヶ峰 → 白樺湖 → 原村 → 八ヶ岳農場 →

16:00
道の駅小淵沢(解散) → 小淵沢IC


親父は早朝4時半に目覚め準備を5時に息子を起こし、近所のスタンドからの出発は6時。

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北関東自動車道太田藪塚IC⇒関越自動車道⇒上信越自動車道⇒中央自動車道⇒松本IC⇒第二集合場所にて合流

上信越道東部湯の丸にて休憩 合流地点まで半分の道程を過ぎ、中央自動車道を経由し80km程走ればECHOの皆さんと合流

此処のSAで朝食をゆっくり取り、再び高速へ。もう、いくつかのツーリンググループがSAに入って来る

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息子の運転するVTR250は120km/h~140km/hで疾走し
松本IC10km付近から速度を緩め110km/h前後で先頭を走るVTR250
もう、VTR250の高速走行は慣れたものだ・・・・・

8時40分頃松本ICを降り燃料給油し待ち合わせコンビニに到着。

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無線の電源をONにして様子を伺ってると9時40分頃先頭集団の無線が入る
続々と集まる

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なんと、30台近くのバイクが集まり・・・・・
大所帯。タンデムも何組か集まって、今日は女性の方も多い。娘を乗せて来れば良かったかなぁ

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この後 美ヶ原スカイラインへ

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武石観光センター(昼飯)

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バイクを見つめ何を思うのだろう?

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一人前にバイク談義?・・・・

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森林を駆け抜け・・・・

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自らの運転で・・・・・

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再び美ヶ原方面
撮影時、雨に打たれるが少し下ると晴れ間が望み、それから雨は無く晴れた一日に

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快晴となる。美ヶ原 展望出来るドライブイン

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草原を走りニッコウキスゲに逢う・・・・・

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メタボチックな親父と息子
親父も昔はこんな幼い顔をしてたのか・・・・・

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原村 から 八ヶ岳農場へ

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強い日差しに変わった

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この後、道の駅小淵沢にて解散となる
我々親子はこのまま一般道を北上し国道141号で佐久へそして国道254号(富岡街道)で上信越道下仁田ICに乗り帰路に付く

途中息子から無線で薬局に寄ってくれとの事
目が辛いらしい

日差しが傾き始めた頃薬局に寄る佐久手前
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目薬で、だいぶ目も楽になり充血も引く
一般道は何事も無く良かったようだが高速に入ると、また辛いらしい
下仁田からは自宅も近い、薄闇の中、高速を相変わらず120km/h前後で駆け抜けてる

考えてみるとツーリング後、息子の目は必ず充血してる。
おそらく、紫外線による可能性が高いと思う
次回からサングラスと目薬を常用したほうが良さそうだ。
あくる日は必ず治りあまり気にならなく
多少の生水を飲んでも腹痛を起こさぬ親父は息子の繊細な目に気付かなかった・・・・

走行距離479km 平均速度62km/h R1200RT燃費22.7km/L VTR250燃費30.2km/L
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後半目の辛さに耐えながら良く走った息子
今までも後半はさぞ辛かったのだろう・・・・・・・・

こんな目の経験が有る方及び対処方法が解る方はコメント頂ければ有難いです
お願いします


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週末は晴れ?

久々に息子とマスツーに参加予定の週末は晴れるだろうか?


先月6/28『1日1243.2km スズキRGV250Γ&BMW R1200RTの旅』から帰り
去年11月に納車になったBMW R1200RTが10000kmを突破し、1年or10000km点検に


トータル10687km 左下に(SERUICE)と表示され点検の催促  ディーラーMoto Parkさん整備工場に6/30入庫

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今日、1年or10000km点検が終わりR1200RTを取りに行く
ミッション&デフオイルとエンジンオイルは自分で行ってたので、それ以外は取りあえずお願いする事に
MBWサービス点検 19800円 プラグ交換 6000円 エアーエレメント交換 2300  消費税込で合計29505円。

左下の(SERUICE)表示は消え、心おきなく週末は天気次第で出掛けられる

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整備工場に・・・・・・・・
日本国内は100台限定 HP2 Sportが有った

最高出力 98kW(133ps)/8,750rpm
最大トルク 115Nm/6,000rpm
圧縮比 12.5:1
冷却方式 空冷/油冷共用
バルブ駆動 DOHCカムチェーン駆動

ヘッドがDOHCに見えませんが・・・・DOHCらしい。
気になる価格は、消費税込で \3,900,000・・・・・・・・・・(汗

恐らくそれなりのコストが掛かってるのだろうなぁ・・・・・・

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今週末、息子とのマスツー予定
第68回2009年7月12日(日)ECHO 美ヶ原ビーナスラインツーリング


早いもので去年の今頃 息子17歳の暑い夏は大人に混じり一人でマスツーに参加した
自宅 ⇒ 太田薮塚ICor(東松山IC) ⇒ 関越自動車道  ⇒ 圏央道 ⇒ 

中央道談合坂PA ⇒ 韮崎IC ⇒ 県道616号 ⇒ 道の駅南清里 ⇒ 
  8:20集合
清泉寮 ⇒ 八千穂(昼食) ⇒ 松原湖 ⇒ メルヘン街道 ⇒ 麦草峠
        11:30 ~ 12:30
 ⇒ 白駒池 ⇒ 蓼科 ⇒ 原村 ⇒ 富士見岳高原ライン ⇒ 

道の駅小淵沢(解散) ⇒ 中央道小淵沢 ⇒ 長野自動車道 ⇒ 関越自動車道
   16:00
 ⇒ 北関東自動車道 ⇒ 太田薮塚IC ⇒ 帰宅

一人参加で走行距離583km走破の快挙
その時の様子が過去ログに有る→ VTR250と共に笑顔の帰宅

今尚続くバイク&高校生の否定的な風潮に有る中
バイクを通して大人達と接し情操的な学習を自ら経験する事が出来た
正直、親として無事に帰るまで心配。しかしこの経験は何事にも変えられぬ自分の思い出として一生残るだろう・・・・大袈裟だろうか?


今回も500kmを超える。親父と

一緒に笑顔の帰宅をしよう


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親父の青春(ナナハン時代)息子の青春(三ない運動)

三十数年前の高校時代、我々同年代はナナハンに憧れ誰もが自動二輪免許を取った時代。
既に自動二輪免許を取得すれば大型二輪が乗れる時代だった(二輪の免許制度は二種類、小型二輪と自動二輪の区別)
大型2ストロークエンジンも全盛期時代(スズキGT750、カワサキマッハⅢ等々)

1970年ナナハン時代の幕開けと共にバイクマルチ時代が訪れる
親父は高校生のバイク乗り(当時の高校生は誰もと言う程バイクに乗ってた)
国内バイクメーカーが世界に羽ばたく時期でも有った

親父が高校時代の愛車達
ヤマハRX350 2サイクル2気筒350cc
ホンダCB500フォア 4サイクル4気筒500cc
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実は、BMWは1970年後半に「モーターサイクル生産を継続するかどうか」の決断を迫られている。空冷ボクサーの需要が年々下がり、業績が悪化していたのだ。その影にあったのが、日本車の存在と将来確実に厳しくなるだろう「規制」。BMWは、1960年代まで英国車の「トライアンフ」や「BSA」などとビッグバイクの主要マーケットであったアメリカで大きなシェアを誇っていた。しかし70年代に入り、日本からホンダの名車「CB750フォア」やカワサキ「Z1」が登場し、状況は一変した。その圧倒的な性能と、低価格はBMWをはじめ「トライアンフ」や「BSA」との差を決定的なものとし、みるみる業績を悪化させていく。結局、3気筒などのエンジンで対抗しようとした「トライアンフ」や「BSA」は日本の技術力に屈し、瞬く間に倒産に追い込まれてしまった。



当時、我々高校生の間ではHONDA DREAM CB750 FOUR (K1.K2)を代表としカワサキZⅡRS750等4気筒4本マフラーが憧れで(スズキに於いてはまだ(GTシリーズ)2サイクル絶頂で3気筒2サイクル4本マフラーであった)

総排気量350cc以下(原付2種を含み)に於いてはホンダ車を除き(エルシノアはホンダ初の2サイクル)全て2サイクルエンジン。

2stオイルの焼ける匂い

は青春の香りでバイクと共に親父の青春はそこに有った



1970年代前半、街中の高校生は皆バイク、女子に於いても多数原付に乗ってた
携帯電話も無い時代、仲間の所へ行くにもバイク。
『奴は居るかなぁ・・・・家に行って見れば解るんべぇバイクが有れば居るぜ』
こんな感じで有る。高校生のバイク集団は珍しく無い田舎
ヘルメットに於いても着用義務違反が無く勿論皆ノーヘル
ただし、高速道路に乗る場合はヘルメット必須だったが、その時代、まだまだこの親父の住む田舎では高速道路が無い

大型二輪は、高価で手に入らない高校生。有る者は一生懸命バイトをして中古のバイクを買った

そして、我々の乗るバイクは原付は少なく、原付二種(黄色やピンクナンバーが多く)
ホンダダックス70・ヤマハミニトレ80・スズキバンバン等だった

ノーヘルで二人乗りの移動・・・現在そんな光景は無い

ステレオはレコード。洋楽はビートルズやカーペンターズそしてキャロルや矢沢永吉。フォークはかぐや姫、井上陽水、吉田拓郎・・・・・・LP版を貸し借りしバイクで移動

砂利道の多い県道や国道は沢山有った
砂利道をロードスポーツで・・・・・・・思い出せば面白い光景

バイクが何台か集まればその場で仲間と近所の赤城山や春名山へツーリング
そして警察に止められると免許証の検査よりタバコ所持検査 (笑

我々の仲間はむしろ勉強よりバイトがメイン
朝新聞配達や牛乳配達、夜は鮨屋の出前 みんなバイク絡み・・・・

そうそう高校時代の彼女もヤマハチャッピー(2st)に乗ってたなぁ(笑

そんな短い高校時代の青春は終わり殆どが就職
親父も例外無く仲間と別れ上京する

今でも短い高校時代とバイクの事は鮮明に覚えてる





この時代から暴走族問題、二輪事故の急増で
二輪免許制度の3分割化、ヘルメット着用義務違反と情勢が変わり

1970年代、実はこの頃第1次2サイクル規制の波が既に押寄せた
アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。

4サイクルナナハンが出揃った国内は(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
この時既に限定解除時代で中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移り、またナナハンの絶頂期である1980年代中ばからは排気量の制限を受けない逆輸入車に押され、更に750cc「自主規制」がなくなった1990年代以降はリッターマシン(排気量1000cc程度以上の大型車)に押されナナハン時代の終焉となる



上京した親父は、まだバイクが忘れられず二十歳頃でCBXに乗る
二十歳代の親父CBX1000に乗る箱根にて二十歳代

高校時代バイク好きだった影響で、後に5年半歳が離れた弟もバイクに乗り始め
上京した東京までバイクで遊びに来る
既にバイクと高校生の関係は『三ない運動』に移ろうとしてる時

ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった

弟はこの後直ぐRS400から、そのRZ250に乗換えた

10代の頃の実弟と彼のSR400 そしてCBX実弟のSR400 俺のCBX

後に三ない運動が始まる

三ない運動(三無い運動)
1982年の全国高校PTA連合会仙台大会で「『免許を取らない』『乗らない』『買わない』の趣旨の徹底」が決議されて以降、全国規模で展開された

三ない運動』が日常となり禁止する事から拍車が掛かるバイク氷河期。

二輪車は社会からまともに扱われていなかったのである。しかも、二輪車事故多発地点や暴走族出現地点の道路では通行禁止規制が行われ、それが当然という雰囲気が全国に蔓延していた。
二輪車をあたかも交通社会の構成メンバーではないかのように社会は見ていた。
かつての日本において、二輪車とは、いずれ消え去る運命になる乗り物、若者の遊びの道具で社会にとって役に立たない乗り物と見られていたのである。
この時期400cc以下の全盛期であり三ない運動が盛んに成り始めた



この運動から30年の月日が経過してる 息子の青春高校時代

実際この理不尽な運動は今も続いてるが

かながわ新運動 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/ken/pta/sankou5.pdf こんな運動も生まれた

それでも殆どの学校が今や二輪免許取得を禁止してる
親父の住む群馬県も例外では無い

単車に乗る親達の気持ちはどうだろう?

理不尽な三ない運動が有る為、学校に内緒で免許を取得させてしまう方も多いだろう
そんな行動を取る親御さんの気持ちは痛い程解かる。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』


三ない運動は大半の県で今も行われているが、運動に入った時点で、実はバイク以外のものも、取り上げたり捨ててしまったとも思える
この時捨てられたのは、生徒達に向けるべき、教育や愛情の一部 例えば三ないと言いながら免許取得者も居る こうした公然の事実から目を逸らさない、人間としての勇気や行動等である
運動は誠実さを教師と学校と家庭から取り上げてしまった
奇妙な事だが、生徒とバイクに関する現実を見ない眼は、人間としての生徒の生活部分を見る眼とも関わって来る・・・そして罰則中心へと

三ない運動は教育だろうか?
禁止する事からは何も生まれず、矛盾を生み育ててしまう
取り組む事を忘れてしまう『三ない運動』。

学校側に新たな教育として『交通安全教育のカテゴリー』を作れと言っても無理
情操教育中心から戦後知識の教育中心に変わった今、学歴社会へと対応する学校には到底無理なカテゴリーだろう

大事な事は責任有る権利である

学校に私生活までの指導まで求めない
その年齢になれば、責任を持ち権利(免許取得)を得る事は当然の事
仮に義務教育を終え、直ぐ就職すれば立派な社会人として行動しなければならない

この事を理解して無い

学校側だけの問題では無い

親やその子供が責任有る行動を取れれば当然許される事で、教条的に禁止する事は出来ないだろう


我々の青春時代も暴走族は居た(当初の暴走族は若いティーンエイジャーの構成が多く社会への疑問や反抗として若気の至りで行動してた間もなく社会人となり暴走族をやめる人も多く今では立派な社会人も居る現在の珍走団とは変わった種族と言えるだろう)



今の成人暴走族・旧車「會」(珍走団)は少し違ってる
彼ら珍走団は本来バイクの楽しみ方を逸脱した成長と責任の無い青年達である
ましてや子を持つ親までも・・・・・

責任ある権利を忘れたこの珍走団・・・・・・・
親父は『三ない運動』の産物でなかろうか?と思う



その高校時代の3年間、免許を取得しなければ加害者にはならないし、学校の名前も汚れない
本音とたてまえが有る。乾いた愛情の無い教育?

今年8月で18歳になる高校3年の息子は普通自動車免許も取れるが、学校側は11月にならないと許可しないようだ・・・・・・何故だろう? 



今、息子はバイクと共に高校生最後の青春を過ごそうとしてる

親父の青春時代と違って同年代のバイク乗りの仲間は少ないが
親父と共に人生の先輩達とバイクで走る

第68回2009年7月12日(日)ECHO 美ヶ原ビーナスラインツーリング

晴れると良いな息子よ・・・・・・おそらく400kmを超えるツーリングだろう

親父の青春高校時代は道路整備も途中でこんな距離を一日でツーリングは無理だったぞ
また無事の笑顔で一緒に帰ろう

そして、妹達もバイクに乗りたいと言い出し一緒に走る時が来るのかな?

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90ccHS1で 『榛名山・赤城山』 山巡り317kmの旅

7月7日(火曜)今日は七夕。

決して休日では有りません

女房が、いつも通り子供達の弁当と一緒に親父の弁当も作り、親父も普段と変わり無く弁当を持ってシェルパで通勤。

そして親父は少し変わった通勤となる・・・・・・・・・・・・ツーリング。
親父は事前に、この計画を決めてた(笑
『日曜日仕事した事でどうせ不景気だ会社でウダウダしてても仕方ない明日晴れるならバイク乗るべぇ・・・・・・・』と   本当はやる事は山ほど有るが・・・・・・イイカゲンな親父。

形の出社だけして、考えるシェルパで林道周りかHS1で行こうか
外を見ると日差しが強く、そんな時は何故か2stオイルの焼ける匂いがたまらなく恋しい

ヤマハスポーツ90HS1で榛名山へ行こう!!


午前10時20分榛名山に向け出発

国道50号から国道122号⇒県道62号で赤城山北側を抜け望郷ラインから榛名山を目指し
榛名山から直接帰る予定が・・・・・・・・・・

榛名湖に向かう途中、携帯が反応する。客先では無い実弟からだった

奴も同じ血が流れてるのかツーリング
赤城の麓に美味しいスパゲティを出す店(イシちゃんが取材に行った店で名前は忘れた)の帰りの出来事
弟はレストアガンマ2号機出撃・・・しかしオイル警告スイッチが故障で焼きつき寸前だった
山の中でどうする事も出来ずSOS

そんな訳で親父は赤城山経由ツーリングとなる

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40年前のバイクとは思えない程快調
しかし。90cc坂道はシフトダウンで速度をつける、おそらくレッドゾーン手前だろう
そんな道を走るHS1  県道62号(ネリ街道)
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県道62号(ネリ街道)の難所を抜け利根沼田望郷ラインに入る(赤城山 北北西側)

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利根沼田望郷ラインから国道17号に出て少し南下し国道145号を榛名山方面に西へ進路を取る

昼飯を食べるのも忘れ走ってた・・・・・・
山間の田んぼ道に入り

お弁当

仕事場では無いですよ・・・・のどかな田んぼの中(笑

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食事も終わり再びHS1と共に走り出す
国道145号から県道28号に入り南下し榛名湖に・・・・

此処で携帯に実弟から連絡が入る
弟『赤城神社まで来てくれガンマのオイルが無くなった・・・・・・・』
俺『てか、俺は今榛名湖に向かってるぞ』
そんな話で榛名湖を廻って赤城神社に行く事になった

榛名湖でゆっくりするつもりだったがこれから赤城神社に向かう
榛名湖は写真を一枚撮っただけ
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県道28号から再び国道17号そして赤城山麓広域農道を・・・・・・

途中この店で2stオイルを買う
しかし、まぁ運の良い奴だ、普段あまりリュック等背負わず移動する親父だが今日に限り弁当持ちの為リュックが有る。早速オイルを買う
ホームセンター コメリ
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榛名湖から1時間少々あれば赤城神社に到着するだろう







待ってた弟は山間に響くHS1の音が解った
今は中々聞けない乾いた2st2インサウンド(90ccの為常にパワーバンドを維持して走る)

良い音!!らしい

ジェットツインの由来はそこなのか?

赤城神社駐車場に到着

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2号機ガンマのオイルタンク
これじゃ、怖くて帰れんよな・・・・・・周り何も無いから(笑

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全部入ったオイルタンク
オイルは495円・・・・・・弟は1000円くれた(笑

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オイルを入れたガンマは2stの白い煙を吐きながら無事帰った

赤城神社

いつ来ても不思議と気持ちが和む
大杉が多く素晴らしい所
休日も意外と人は少なくゆっくり出来る
今日も水彩画を書いてる人が居た

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美味しい水を頂いて行こう
自然ミネラル一杯だ本当に美味い!

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さて、帰ろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『イヤイヤマテマテ折角ここまで来たなら赤城山に登らぬ手は無いだろうと』
と親父の幼心が囁きます

き~めた

行こう!
環境に悪い2stの煙を吐きながら・・・・後ろめたい気持ちで赤城神社を後にする

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良く走るHS1
流石昔のバイク・・・・・コーナーは怖い 跳ねる!!
ステップもすぐに付いてしまう(まあ、軽く小さいからそれ程でもないが・・・・・)

赤城山頂 覚満淵
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赤城大沼

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目的を果し赤城山の北面から西に回り込み帰ります

北面を降りたHS1

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出発時3860km               帰宅時4177km  
出発時間午前10時20分          帰宅時間午後7時50分
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トラブルも無く317kmを90ccで走破した
40年前のバイクとは思えない走りを味わせてくれたHS1

燃費は29km/Lと少なくスーパーシェルパの方に軍配が上がる
乗り易さもスーパーシェルパが上だ

4stと違い燃費や扱いは非常に悪い、4stでこのピーキーな加速や馬力が出せるだろうか?

いや、馬力や加速だけの魅力では無い

小さな古いこのバイクは何か言い表せない魅力が有る

魅力が無ければ乗らない・・・・もっと乗りやすいバイクに乗るだろう。

今日もHS1と過ごし、満足してる。


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継続は力なり

  • 2009/07/06 22:04
  • Category: 日記
今や中国製品の流通はめざましいものが有る
衣類や工業品に至るまで

中国製品について、品質やその他 色々言われてる事も有るが時間の問題だろう?・・・・・・・・・

最近は中国の研修生と接する機会も多く、努力を惜しまぬ人も居る事は確か。


日本が敗戦から僅か十数年後、世界が認める素晴らしい工業製品を生産するようになり、今現在も続いてる

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その結果は日本人特有の資質と努力が有ったからこそ


戦後、新しい教育が始まり、情操中心から知識の教育へ


我々は未来の子供達の為に何を残せるだろう


日本の優秀な工業製品の根底には戦前の情操教育中心が育んだ結果と継続した力の融合だと無学な親父は推測する



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思い立ったら吉日スーパーシェルパと共に

世間様は休日・・・・親父は珍しく仕事が有り晴れ間を憎みながら仕事をする
仕事も終わり、時間を見ると午後3時過ぎ 空模様も少し怪しいが思い立ったら吉日
気持ちは(バイクに乗りたい!乗りたい!)と言う事で、スーパーシェルパと共に

午後3時半出発

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何処へ行こうか決めずに思うがままに・・・・・・(恒例の作業服(仕事服)ツーリング)
国道より県道かそれとも林道か???

それなら民家や往来の少ない山道を通り石仏でも見に行こうか・・・・と思いながら出かけた


国道を避けローカルな道を選び山間林道(林道と言っても今は舗装が多い)を抜け
始まったツーリング
バイクに乗り始めたら引き返す事を忘れ、後半は夕闇と霧の立ち込める峠(粕尾峠)に突入し山越えをする
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序盤はシェルパでトコトコ走り目に付いた物を見つけては止まり
眺めたりの旅である


国道122号を走り途中県道334号に入り山間部を走る
この辺は山の斜面が急な地形何本かの落差に因る小規模水力発電がある
対照的なオブジェだと思う単純な親父。。昔の庚申塔と発電用落下水配管

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道を隔てた向こうには発電所

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しばらく走り
石像郡が現れる、日本人特有の宗教融合で様々の石仏が有る
庚申塔、お日待ち(二十三夜)、供養等など等
観音様は良いお顔してますね、なんとなく気持ちが和む

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次第に山が深くなる

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大きな杉
説明の看板に有る様に今でも、この村は庚申をやってるのか疑問
先代達の足跡http://kaze-hikaru.com/tannboutop.html←親父の素人薀蓄ですが見てください

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この杉の周りには沢山の古い庚申塔が有る・・・朽ち果てた塔や・・・

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この先にも様々な民間宗教の跡が
石仏の割合には人家がまるで少ない

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さて林道に突入しよう
林道を整備してるようで、この先は進めませんでした

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Uターンして再び県道334を
途中、岩穴観音とかが有るらしい見に行こう
昔、境内の舞台だったのか今は廃墟になりつつ・・・

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観音堂

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此処にも仏教・神道・陰陽道・道教などが結びつきあった民間信仰跡が有り衰退して行く
現代人が何か精神的道徳的な事を忘れたかの如く風雪に朽ち果てるのか?

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もう山間の民家は殆ど無くなり、風雪に耐えた庚申塔郡が現れる

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小平側最後の大きな民家(もう空屋かも?)を後に山間の林道に入る

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山々を望む林道。太陽が低く雲も多い

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林道と言えども舗装道路
貸切のワイディングロード(枯れ枝や小石は多々有るが)

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太陽が低く心なしか寂しい林道

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やっと民家が見え始めた
あの向こうの山を走って来た、山間の田園を眺め暫し落ち着く

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渡良瀬渓谷鉄道(旧足尾線)神戸(ごうど)駅にて
20分位駅に佇み時刻は6時になろうと


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此処で半分気持ちは固まった
まだ走り足りないのだ・・・(笑

このまま国道122号に出て今一度鬱蒼とした山間の峠を走ろう!暗くなってもシェルパは走る・・・・・・
大丈夫だ行こう!!足尾から粕尾峠を抜け帰ろうと決意する



国道122号から足尾を目指し粕尾峠へ

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夕闇と霧の立ち込める峠(粕尾峠)に突入

しかしねぇ暗い峠で、トラブルあったらどうするの??親父よ。。。。

そんな、事たぁ考えないで行ってしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

粕尾峠難所中盤

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ここから暗くなり撮影の余裕も有りません(汗

暗くなりつつ粕尾峠の難所

58箇所のコーナーが、いろは坂並

走らなければ峠を越えられません

まして、枯れ枝や濡れた路面で狭い道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


無事難所を抜け広い道に後はゆっくり一般道で帰宅するのみ(午後7時10分)


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無事生きて峠越えを果した、むさくるしい親父・・・・と頑張ったスーパーシェルパで記念撮影

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帰宅時間と走行距離

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世間一般常識で考えて午後3時30分からのツーリングする奴は馬鹿者親父しか居ません

でもね・・・・・・・バイクに乗ったら楽しくて、もっと乗りたい遠くへと欲が出てしまうのです

そんな親父でも良いじゃありません??



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奇跡の取り合せ 良き時代のホンダCB72/CL72

昨日、HS1のクラッチ騒動の落胆からgoroさんのコメントやら実弟からの電話でハイテンションになった親父です・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一時はエンジン乗せ換えまで考えた能天気な親父。

goroさんや実弟の見識は正解でした
新しいフリクションプレートはベース部分の素材がベークから金属に変わり、それによりハウジングとの干渉が原因で発生した異音(低回転で乾式クラッチのような音)でした

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そして今日1969年式ヤマハHS1試運転の為ショートツーリングを兼ね
地元国道122号から草木ダム取って返し、みどり市へ
良き時代のホンダCB72/CL72を尋ねる


午後3時過ぎ会社から実弟宅までHS1で向かう、ショートツーリングの為作業着で行ってしまう
実弟宅を4時少し前に出て国道122号へそして草木ダムへ

登り坂の国道122号・・・・・・・前回の場合と比べると雲泥の差である
クラッチの状態はこれまでとまったく違う、90ccとして限界はあるが、草木ダムまで上り坂を80kmで走り抜けててしまう(すみません速度違反ですが・・・・・)
前回はクラッチが滑ってたのが一目瞭然(10km/hの差がある) 今回はエンジンのトルクがしっかり伝わり・・・・

快調~~

草木ダムに到着。暫く弟と休んでると日光方面から何台かのバイクが休憩に入る
HS1を珍しそうに見てる・・・・同じ地元に住む同年代と少し先輩の方々
そんな事から少しバイク談義
そんなライダー同士の談義も共通のバイクが有るから 年代も近く昔のバイクの話しに。
バイクで走るの大好き QZAさん http://ameblo.jp/qza49/entry-10293302037.html
機会あったらまたご一緒しましょうQZAさん 人との出逢いも一つの奇跡でしょうね

短い距離ですが途中まで一緒に帰ります 

ヤマハHS1先頭に (笑

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次なる目的地は

何れ我々の物になる・・・・ ホンダCB72/CL72を尋ねる (笑

ヤマハスポーツ90 HS1の1969年発売より10年前のバイクで、半世紀過ぎ今尚、その姿は美しく限りなく光輝き当時のままである

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ホンダCB72が発表された時の、有名なキャッチフレーズをごぞんじだろうか。 それは、「トップで70km/h以下では走れません」という、 なんとも刺激的な言葉だった 。
CB72には、性格の異なる2種類のエンジンが搭載されている。タイプ1と呼ばれるエンジンは180度クランク。タイプ2と呼ばれるほうは360度クランク。不等間隔爆発のタイプ1は高速型とされ、等間隔爆発のタイプ2は中低速優先型とされているけれど、 出力は同じである。最高速度はタイプ1が155km/h、タイプ2は145km/hとなっていた。 “走り屋”さんは、180度クランクのタイプ1を好んだが、外観からはほとんど見分け がつかない。 よく見ると、エンジン上部のポイントカバーに、小さくタイプ名があるだけである。    ホンダHPより



数少ないタイプ1の証

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走行距離は2430km

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車体は新品同様に輝いてる

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長き時を超えても未だ錆びが見えない

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奇跡と言えるだろう・・・・・・・・・

そして奇跡はまだ終わらない


あのCL72も一緒に・・・・・


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デジカメで綺麗に写ってる訳では無いこれも限りなく・・・・・・

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タンクとメーター

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時が流れやがて1984年代
ホンダCB72/CL72と対照的に埃の被った・・・あの時代の足跡を見つけた

弟達3人友人が集まりサーキットを駆け抜けた青春
3人が若き世代にも係わらずあの高価なレーサーを一台づつ所有し
速度に憧れ風を切り熱き青春を過ごした証が一台、それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



ロードレーサーヤマハTZ250


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アンダーカウルやアッパーカウルも外され
ほこりに塗れそこに佇んでた


それでも今尚時は流れてる

時代を旅したツーリングは終わった



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案ずるより・・・・・(HS1クラッチ交換)

新品と既設のプレートクラッチの疑問

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『案ずるより産むが易し』と言う事で変心した部分を5枚を均等に振り分ける事に決定。

素人親父が作業開始する



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ヤマハスポーツ90HS1の2号エンジンからクラッチを先日移植したにも係らず
新品クラッチに交換し様子を見よう

ミッションオイルを抜き右側クランクケースカバーを外し
プレートフリクション4枚 リングクッション4枚 プレートクラッチ5枚の交換


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プレートプッシャーを取り湿式多板を外して行く

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取りあえずまだ使えそうなクラッチだが・・・・・・全部取った
このボスクラッチに新しい部品を収める
プレートクラッチを5枚均等に割り振る 
都合良くスクリュスプリングを止めるネジが5か所有り目安となる

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最初は目安が解らずマーキングしながら作業をしたのは・・・秘密(笑

プレートクラッチ

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リングクッション

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プレートフリクション

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こんな感じ・・・リフレクションも幾らか素材が変わったのか?

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カバーを付けて

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反対側のクランクケースカバーも交換しスクリュブッシュを調整する

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ついでに。駆動側スポロケを確認する
まだまだ使えそうだ・・・・・・・

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幸い雨も上がってる試運転に出発

トルクも素直に伝わり流石新品

10キロ位走ってアイドリング中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



何かクラッチ側から今まで聞いた事の無い異音が・・・・
早速実弟に電話し聞いてみる
『現物聞かないと解んねぇなぁ・・・・・・・』

作業は間違いなくこなしたつもり

何だろう???

滑ったクラッチが片減りしてた現車。クラッチの他に原因が有るのか
素人親父には解らない

間違いなくクラッチは動作してるが・・・・・・・・・・・・・・謎!






そして・・・・・・


アホな親父は決断する

そうだ!予備エンジンに乗せ変え試して見ようと。

やっと重い腰が上がったかのように放置してたエンジンを組み始める


素人親父の奮闘は如何に。。。。

泥沼の戦いのような珍整備の始まり

暫く予備エンジンを眺め ウェスに包んだ腰上の部品を取り出し


↓予備エンジンはこの過去ログで作業が止まってました (汗
HS1エンジン ガスケット剥離作業http://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-365.html

ヘッポコ奮闘開始

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不器用な親父はやっとの思いでピストン装着成功

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腰下新品ガスケット

シリンダー装着・・・・・・・・

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ヘッド部分の真鍮ガスケットは流用(良いのかなぁ・・・)

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奮闘は此処まで、後日トルクレンチ持参しよう。。。。

果してこの予備エンジン成就するのか、素人泥沼奮闘記は続く・・・・・・・・


↓クラッチからエンジン組立てに変わり果てヘッポコ奮闘する親父に応援ポチを一つお願い致します
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俺も因業な親父だけど・・・・・

何故に因業なのか
まぁ色々ある中で、息子は高校生で自動二輪免許取得禁止(三ない運動推進)学校であるのも係らず、因業親父は息子と一緒にバイクに乗りたいが為に免許を取得させ、バイクまで与え乗せ、息子が謹慎処分に成るや、親の教育権を主張し学校に喧嘩を売る始末。

去年8月息子と北陸自動車道SAにて

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学校と、そんなイザコザが有り早2年が経つ
今日はたまたま息子が期末試験で早帰り途中親父の会社に寄る
偶然と言うか、携帯電話が鳴り受けると息子の担任教師からだった

先に要点を言わず進路の話から始まる、進路についての3者面談はとりあえず女房に任せてあるが・・

そんな話からやっと本題に

今日学校で他のクラスから息子は普通自動二輪免許を取得してる云々の話が出たらしい
それは、息子が免許を持ってる事を口外したとの事。
担任曰く『絶対に他の生徒に免許取得の件は言わないよう息子に言い聞かせて下さい・・・・・・』
との話。
因業親父は息子から詳細を聞く為、息子が誰に免許やバイクの話をしたか教えて貰いたい旨を担任に話すと・・・・・
名前は出す訳には行かないの事・・・・・・・全くのナンセンス

後から息子に話を聞くと、成り行きや事情で仕方無い事が解る
嘘を言えない息子と要領の悪い息子の葛藤だったに違いない

担任の最後の言葉は『騒ぎを大きくしたくないから・・・・・・』

とにかくその場の因業親父は大人しく『解りました』
因業親父は先生に『配達証明法務局確定日付で校長に送った書面をもう一度良く読んでください』と・・・・一言加えた

三ない運動が有ろうとhttp://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-216.html←過去ログ(書面の内容)


そして、進路の話になり・・・・因業親父はノックアウトパンチを食らう

担任『学校では適正検査をして、就職に適正か判断しました・・・・・・・・・』
どうやら簡単明瞭に言ってしまうと
まだ精神的にも幼く就職はこの時期大変だから、大学の付属高校なので、進学が良いです、昔の大学と違ってその辺は良く面倒を見るとか・・・・・・・・・・

因業親父はノックダウン

そんな出来事だった
因業な親父でも俺は親だ、間違いもあるかも知れんが子供の事は考えてるつもり
就職が出来なければ俺が何とかする。
ただ厳しい他人の飯を食わせないと成長しないと俺は思うから就職を推薦する
間違を経験し育ち大人になるのだから・・・決して机上では学べない



追記・・・・

息子は良く親父と行動するが・・・・・歳頃の娘は大変
外食で釣るしか無く、苦労する

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外食で娘達を釣った酔っ払い親父・・・・・そして娘達。

難しい事は無い正しいと思った事やって見るが良い。



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ヤマハスポーツ90HS1 クラッチ入荷 HS1でガンマを訪ねる

既存エンジンのクラッチは滑りが酷く、先日2号エンジンから移植した後、まだ納得が行かずに、貴重品であるクラッチワイヤーも取り換え作業をしたところ、既設のクラッチワイヤーは別物の車種を流用した物が判明した

HS1のクラッチはまだ、メーカーから部品が出る情報を得、取り寄せる。
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まだ40年程前の部品が流通してる事に驚き


このクラッチは最近のバイクにも使用してる可能性があるのか?

予備エンジンの分 含め2台分の多板クラッチ

左から
プレートフリクション 部品番号132-16321-00
プレートクラッチ   部品番号137-16324-00
リングクッション   部品番号137-16367-00

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ノギスでフリクションを測り比較してみる
左側が特に酷いクラッチ中央がフリクションの凹凸が残るクラッチ
左側 3.5mm
中央 4mm
均等にクラッチが摩耗して無い

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新品フリクションは5mm

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この結果から推測すると、クラッチワイヤーが長くクラッチを押しこむスクリューブッシュの調整が限界に近く結果として、クラッチを滑らした可能性が大きい

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新品と既設のプレートクラッチの疑問


左が既存 右が新品
見て解るように新品部品の外形が変心しボッチが出てる

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重ねて見ると、ボッチの頂点は既存の円周にあたる
これは何かの対策だろうか?
HS1はクラッチが貼りつき易いと聞くがこの変心により対策してるのだろうか?
素人の親父には解りません・・・・・・誰か教えてください。。。。。。宜しくお願い致します。

多板として5枚の組み合わせ・・・・同じ角度に統一か・・それともランダムなのか
疑問が残ってしまった(泣

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疑問は残し・・・・2stサウンドが聞きたくなり夕方ヤマハHS1を引っ張り出し、実家まで散歩
雨上がりの合い間に出発
久しぶりに2stバイクに乗った気分はまた格別
片道19kmの短いツーリング

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実家に着くと
先日、1200kmの旅を終えたRGVガンマは整備の為ドック入り

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2号機が手前に来て乗り出し準備中

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何か面白い物が両脇に付いてる・・・・・
実はこれ、未燃焼オイルキャッチタンク。

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この四角の中に貯まる未燃焼オイルを貯める為だそうだ・・・・・
こんな物付けて走ってたのか・・・(笑


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もうひとつ、親父の事が気になったので様子を実弟に聞く。
まぁ、薬で痛みも無く元気そうだ・・・いつもの通り娑婆の勝負事(株や商品取引)をやってる因業親父。。。元気なら良いか・・・・・・・・・・・・・



そして訓練を終えた2代目シェパード(9か月)が人懐こく寄ってくる
まだ小さい頃兄弟と喧嘩して耳を噛み切られたそうだ、でもやっぱりシェパードらしく人には従順
何れもう少し大きくなるだろう
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少し犬に癒される
若く生命力豊かな二代目(クロ)
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さあ、空模様も不安定だ雨が降る前に帰ろう

季節が巡り、永遠に繰り返す物事その一部を見た


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2008年12月よりFJR1300Aから BMW R1200RTに乗換えました。
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