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名車VTR250再び

ゆうきさんのブログを見て、お!やっぱり来たか

VTR250新型2/20リリース

名車ホンダスーパカブに次いで息の長いV型2気筒DOHC250ccのエンジンが再び復活した
大きな変更点はキャブレターから電子制御燃料噴射装置(PGM-FI)に馬力やトルクは少し落ちたもののVTR250の外観はそれ程、変わって無い
復活は嬉しい。
2007年の夏キャブレター仕様の最終型を息子に与え走行距離14000kmと1年半が過ぎようとした最中だった
大型に乗る親父は、このVTR250はかなり気に入ってる

一緒にツーリングに行き親父の大型バイクの後に着いて来るVTR250。頼もしいバイク。

後に、このキャブレター形式ファイナルVTR250はアッパーカウル、ETC、無線機の装備が充実して行く
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そして新しいVTR250 http://www.honda.co.jp/VTR/

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VTR250よ末永く。

ほんとに残って欲しい。



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ヤマハFJR1300とBMW1200RT

06,FJR1300Aは2年半で3万キロを走り
R1200RTは4ヶ月で6000kmを走破しようとしてる
FJRとRTはツアラーとして分類され両者を乗った感想を忌憚なく比較したいと思う

出力に於いてはFJRに軍配が上がり実際乗っても出力の差は歴然と解る
重量はFJRが280kに対してRTは10k程軽い
FJR1300
最高出力 105.1kW(143.5PS)/8,000rpm
最大トルク 134.4N・m(13.7kgf・m)/7,000rpm
R1200RT
最高出力 81kW(110PS)/7,500rpm
最大トルク 115N・m/6,000rpm
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FJRは数値で見る限りRTの上を行く
日本製のツアラーではカワサキ1400GTRをも出回ったが残念ながら乗った経験は無いのでこれは除外とする

強いて高速性能を言えばFJRが有利だろうフランス高速隊(憲兵)も最近ではFJRをご用達するくらいの性能を誇る。性能だけで採用された訳でもなさそうだコストが安いのも事実。
機動性にしてもFJRは素直でツアラーでありながらワイディングもかなり攻める事が可能だ

R1200RTに於いてはそのサスペンションと低重心のエンジンが魅力となる
結論を言ってしまえばBMWを乗ってしまうとBMW以外のバイクは乗れなくなってしまう程だ
(おそらくライディングが上手くなったと勘違いする程なのだ)
極論はライディングの腕である、腕がよければ何のバイクで有ろうとこなせるはず
しかし、乗り手の疲労軽減からすれば乗りやすいに越した事はない


その他は大きく販売形態の因るもの
BMWはその個体に対しての保障制度の違いであろう
例えば1万キロ走行に及ぶと警告ランプが点灯し正規ディラーへの持ち込み整備を催促する
これは保障するにあたり当然の事で良い事だと思う
しかし、その反面もある。それは正規ディラー整備士の資質である
中にはその他のメーカーバイクやメカに精通してるメカも多いだろう
しかし、此処では違う場合を敢えて言う
その整備士はBMWしか知らない強いて言えばメカに関し教条的な整備士である
バイク乗りならば最低の整備は自分でやる人も少なくは無いだろう
例えばケミカル関係やタイヤの交換等である
ケミカルに関しても一徹BMW推奨しか認めない・・・・これは逆に言えばケミカルに関し研究もしてない色々試し経験もないから言う言葉である。その整備士の資質を疑う
その整備士曰くBMW専門の整備勉強をしたから・・・とか
まったくナンセンスであるメカの基本は皆同じはずだと思う。それと多くの様々な経験から成るのではないか?
正規ディラーの整備士なら誇りを持って毅然として貰いたい

一方日本車に関してはサービスマニュアルが一般でも手に入る
違った意味で日本車は自信を持ってると言える

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さて馬鹿な戯言は此処まで 今日は

環境に良くないバイクで

近所草木ダムまで行って来ました

2サイクルマシン
1993年環境対策で生産中止となったスズキガンマ250
1969年製環境を何も考えて無いバイクヤマハスポーツ90HS1
でもね・・・・現在販売されるこのクラスのバイクには無いパワーと速さがあります(笑)
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排気量の差はあるけど面白いプチツー
兄 HS1
弟 ガンマ
40歳をとっくに過ぎた良い歳こいた親父兄弟が白煙を残し出発!!

2ストサウンドが心地よく街中や山々に響き渡るリトルツイン
後を最速2ストロークガンマが付いて来る
信号待ちでは笑いながら
弟『兄貴、それ良い音だなぁ・・・・煙も半端じゃねえぞ。。。』
兄『そうか!よかんべ、おもしれえな。。。。』
まったく40歳を超えた親父達の会話じゃない・・・・・
でも面白いあの青春が蘇る

ガンマ250は不動車からレストアし完調し調子が良い
多分、HS1が居なければリッターバイクのレプリカを追い回すだろう・・・・
90ccの兄貴は全開で草木ダムに向かい後からガンマが着ける

到着した草木ダムにて
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この寒さの中バイク野郎達が沢山いました
流石にバイク好きの知ってる奴らはHS1とガンマを見定めてる

何か解らないが変な優越感(笑)

帰り道HS1の不具合
クラッチがすべる・・・・
エンジンは至って快調だが突然回転が上がってしまうが適当な回転域に合わせるとスムーズ

早く載せ変えようエンジンを

しかしねぇ・・・・・・






おもしれぇ~~~




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混沌

  • 2009/02/21 01:03
  • Category: 日記
秩序から混沌へ
我々は正に今までにない騒然と不安な生活を想像しながら未来に進もうとしてる
何かへの不信感が

我々先代(先祖)達もそのような経験を経て来たかも知れない

昔以上に物が豊富になり便利になった世の中
大家族で寄添いながら生活してた時代から・・・・・・
核家族で個人主義の強くなった現代。いや、物理的幸福さだけを求めてしまい絆を忘れてしまったのだろか?

大きな社会が揺らぎ始め、一人一人は心細く不安がつのり何かに責任転嫁をしてしまう

何が正しく何が間違ってるか解らない


昔 身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻んだ
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この親父は無宗教だが、昔の民間宗教の集まりは興味が有り好きだ
教祖も居ない個人、人々の集まりで・・・・・・・

今現代の人達が忘れかけた人との信頼しあう繋がりや絆。
こんな素晴らしい道徳をいつしか日本人は忘れてしまった

親父も人間、政治家に呆れたり、世間を非難したりする
そんな時この庚申塔を探し求め思いを馳せる事がある
楽しいときも勿論の事だが・・・・・・・・


先代達のように未来に希望を持てばきっと光が見えると思う



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HS1で親父が放浪/Part2 生まれたその場所へ

  • 2009/02/19 21:41
  • Category: 日記
とにかく、古い何かをバックにHS1を撮りたかった(笑)
遠周りしてサザエ堂へ
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画像ですこしタイムワープ・・・・・(セピアになっただけ)

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寄り道しながら行ってみよう~

群馬県太田市から栃木県足利市へ

生家近くに来たが・・・河川改良によりこの先の道と橋は堤防となり過去は塞がれ、幼稚園や学校に通った道は今はもう無く
残った思い出の跡は、幼き頃大きく見えた桜の木と庚申塔がそこにひっそりと有る
この川の向こうには村の庚申塔群も有った
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新しい橋を渡るのが忍びなく・・・
幼少の頃、父のマツダT600で街(群馬県桐生市)へ連れられた道を周り道して生家の地へ向かう

途中の寺(泉竜院)へ
ここも昔の面影は無い鬱蒼とした山の中の記憶だが今は住宅がひしめく
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ついでに境内に合祀されてる庚申塔を探す
文字塔が2 青面金剛3
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川沿いに進み生家の地へ
桐生から足利へ
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途中文字塔にしては古い自然石の庚申塔を発見 天明8年(1789年)
昔此処には社が有ったのかな?・・・・そんな雰囲気。
庚申の文字の上に種子(梵字)ウンが彫られてる降三世明王だろうか?
この辺は難しくて解らない 

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栃木県足利市小俣町字上濁沼大字白髭<昔の町名である
此処に来たかった訳はこの地名の由来。
白髭は昔、白髭神社が有った事からその地名が付いた
その白髭神社跡は後に村の所有となり俺の親父が独身のころ桐生から来て借りた家だった
後に村から買い取り自分の家とする
時は昭和34年1月1日まだお産婆さんの手助けで自宅で子供を生むのも珍しく無かった
この日は俺(親父)の誕生日

今は水の無い川となり橋は残ってる

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この記念碑のちょうど裏側あたりに昔その家は有った
すっかり様子が変わった
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当時田舎では珍しく我が家には自動車が有りました

幼少の俺                       昭和37年頃かな?
そして今では親父より老けてしまった俺     嬉しそうにマツダT600に乗る
親父は爺さんに・・・・                俺の親父
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良き時代昭和30年代

1959年式の「DS6」250cc 親父の生まれた年。
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クラブ モトプランニング さんから画像拝借

その10年後1969年ヤマハスポーツ90HS1が生産される
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HS1と短い放浪の旅は終わった

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さあ、帰ろう40歳のHS1



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HS1で親父が放浪/Part1 チョイト乗るつもりが・・動画編

ヤマハスポーツ90HS1のエンジンを始動し乗ってみる
HS1はノーマルだけど排気音が、250ccのシェルパよりうるさいだねこれが・・・・・
今のノーマルバイクよりかなりうるさい!!(昔の記憶からすればこんな感じだった)

まったく幼稚な親父 
オモチャを貰った子供のように・・・・・・

無邪気に走ってみます



親父暴走族が帰って来ました

メタボな親父が着膨れして90ccのバイクが小さく見えます



これで終われば良いですけど・・・・・・

コイツ(HS1)の生まれた年にワープしようと、生まれた場所、少年時代過ごした所へ・・・・
HS1で放浪が始まった

HS1で親父が放浪/Part2 へ続く。。。。

HS1ガスケット&ガソリンタンク

前回純正ガスケットが入荷して喜んでた訳だが・・・・
なんと形状が少し違ってたのに愕然。最悪液体ガスケットで何とかしようかと考えてた
(1969年 ヤマハ90HS1 2st 90cc 2気筒)
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40年前のパーツリストを再確認するとそこには2種類の部品番号が記載されてた


察するに、実動してる個体はHS1の後期と見られる。後期からオプションでタコメータが装備されたようだ。
予備エンジンはおそらく、前期だろう良く見るとタコメータワイヤーの取り出し口が見当たらない
販売店からメーカーに問合わせると・・・・まだ後期のガスケットが1枚在庫に有った!
左が後期で右が前期。
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やっと予備エンジンが組立てられ、実動中のエンジンも軽くOHが可能となった
予備エンジンが3000km前後の実走行は本当に運が良い。

もう一つは燃料タンクの問題が・・
今、実動してるHS1だが燃料タンクに若干の錆びが出てた。
前の所有者が、綺麗にレストアをした形跡も見られるが、ある程度レストア後、時の経過が有ったのだろう・・・タンクは裏側に所々修正の後が有り、完璧には仕上がって無かった
現状の燃料タンク
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綺麗に3層塗装で純正色仕上げられタンク内もコーティングがされた燃料タンク
燃料を入れてから撮影したので赤味かかってるが燃料の色で全く錆びは無い
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そろそろエアークリーナジョイントを考えなくてはならないだろう
当分はこれでなんとか凌げるだろうが・・・

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この親父が16歳でバイクに乗り始めた頃、既にHS1はHX90へと変更され
1966年にAT90として生まれたこのシリーズは後にHS-1が受け継ぎHX90で最終となる

1970年代のナナハン時代、我々少年達はナナハンに憧れ高校生で個性ある大型バイクに乗る少年達も少なくは無かった。
そんな中、小排気量で90cc2気筒はひときわ目立ち個性あるバイクの一台だった

少年時代の感慨深いバイク。

今、このHS1を乗るとジェットツインの由来だろうかノーマルで有りながら90ccとは思えぬ排気音と加速で颯爽と駆け抜けて行く。

この手のバイクはもう2度と生産される事は無い。



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今日の一日

昨日は長女の公立高校前期入試試験だった
様子を女房から聞き大笑い!

息子は親父に似て無頓着な所が有り妹が何処の高校を受けるか知らなかった
期末試験で早帰りの息子は女房と買い物途中に試験を受けた長女を迎えに行く時の会話
息子『何処の高校を受けた?』
女房『桐生女子高』(隣市の公立である)
息子『ふん!!俺はどうせ馬鹿学校だよ・・・』珍しく嫉妬したらしい(笑)

おいおい・・・・・親父の母校じゃないかその馬鹿学校。。。。(母校よごめんなさい)
息子は親父に似たせいかどうも勉強が苦手。
そんな息子に勉強をしろと言った事が無い親父
むしろ職人でもなって人に好かれれば良いと思う無責任な親父
しかし職人ならばお金持ちにはなれないが、食い逸れはないと言う哲学を持つ親父・・・・

兎に角その息子の言動に大笑いをした一日の始まりだった

いつものように娘達二人は自転車に乗り中学へ
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息子も学校へ  親父もスーパーシェルパで出勤。。

まあ成績優秀ならば、なお良い事だ


さて1月2月は決算時期前で仕事も暇な時が多い
しかし・・・・世間の状況を考えると無頓着な俺でも少し頭が痛い

こんな時はろくな事を考えない・・・・馬鹿政治家やその他諸々
政治家をいくら批判してもこんな力の無い小さな親父じゃあ何にも出来ない
気持ちだけでも大らかに構え過ごすしかない・・・・・

願いは未来の子供達が安らかに生活出来る事を祈るばかりだ

ああ、先人達も同じ事を考えたのだろうな・・・・・
と思いきや、午後は放浪の旅へ出かけた。。。何でも良い安らげば・・・
長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻んだ庚申塔でも探しに行くか。。。そんな思いから、近所の散歩ツーが始まる

先代の足跡(HPより)
江戸時代まで、日本の神道と仏教は融合しあう時代が続いていましたが、慶応4年(=明治元年)に出た神仏分離令で、(「庚申待ち」・「お日待ち」)。仏教・神道・陰陽道・道教などが結びつきあった民間信仰は衰退して行ったと聞いてます。
中には今だにお寺や神社に庚申塚が合祀されたりしてます。しかし最初から合祀された考えと違う説も有り、明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を勧めた。よって後に神社やお寺に合祀された可能性も高い。
さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事等によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。
近年、私が幼少の頃、家の近くに立派な庚申塔群が有り、河川改良に伴い近くの墓地に移転したようです。
風雪と周囲の環境の変化に耐え、かろうじてその形を保ちながらひっそりたたずむ石塔や石仏これらは庶民の残した貴重な文化遺産と言えるでしょう

↑お馴染みの文句ですがご勘弁を(笑)

てな事でまずは手っとり早くお寺や神社に行ってみよ・・・・

意外と太田市は神社やお寺が多いのです。。

バイクで3分の東光寺 門前に馬頭観音や・・・・・
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奥の方に有りました 庚申塔。碑面は青面金剛
この地方は文字塔より像が現れる方が年代が古い(250年前位から)
風化して年代が読めません・・・・・時間をかけ眺めると意外と年代が解るが・・・・
月と日は見え金剛が邪鬼を踏みつけてるその下に二拝猿
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収穫・・・だ次行くべぇ~

はい30秒走って長念寺。門前を例幣使街道(天皇の勅使が日光参拝する際に通った江戸時代の街道)がある応永元年(1394)の開創。
中は幼稚園になってて入れない・・・・・物騒な世の中だから仕方ないか
人相の悪い親父なら尚更だなこりゃ・・・・でも園児の元気な挨拶にすっかり気を良くした親父(笑)
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庚申塔は見えなかったが(お日待ち)二十二夜、二十三夜の如意輪観音が有った
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次行くべぇ~
3分走って有名な大光院
徳川家康が始祖の新田義重の菩提を供養するために建てたもので 慶長18年(1613)に完成
流石に此処は民間宗教的な石仏は合祀されてないぞ・・・・
(そう言えば京都等のお寺も・・近畿地方では著名な寺社が比較的多い地域的事情から、雑行が禁じられなかったにせよ人々の関心は夜っぴて信心の灯をともすまでには至らなかったのかもなぁ~~)
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こちらが新田寺
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この上の彫刻が素晴らしい・・・コンデジの為ピントが網に(泣)
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次~2分走る・・・・金竜寺。。。なんかお寺周りになってねえか???

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此処は庶民信仰が合祀されてます

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次は路地に有る庚申塔

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そしてまた次~~ちょっと走る

大光院が関係してる庚申塔

主尊には文字と像が刻まれ、像に関しては青面金剛像の他「如来」「観音」「菩薩」等がある

これは推測であるが群馬県太田市近辺しかない庚申塔である。と言っても過言ではないだろう

発見場所は太田市金山近辺で二対。主尊は袈裟を着た僧侶
上側には日と月と雲 中段に鳥 下段には2拝猿 庚申塔特有の彫り物

金山大光院の近くにある庚申塔 金山山麓にある庚申塔

太田市金山の大光院

大光院は、慶長18年(1611)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられました。

 上人は、弘治2年(1556)4月、武蔵国埼玉郡一の割村(埼玉県春日部市)に生まれ、元和9年(1623)8月9日、大光院で入寂した名僧です。

 大光院に入山した上人は、看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が大光院には多数集まり、周辺農民も上人の教えを受け入れたので、寺運は栄えました。一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育いたしました。このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、今に篤い信仰を集めております(太田市HPより)

これは正に民間宗教が融合した結果で主尊は他に類を見ない呑龍上人の像で有るに違いない

次~またお寺(汗)
走れ、走れ

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なんだかお寺周りになってしまいました(笑)

でも楽しかった バイクにも乗れたし!!
最後に記念撮影

仕事をさぼったアホな親父

デカイ写真で失礼(笑)・・・デブな親父が着膨れで放浪
赤城下しが吹く中、出掛けました・・・幾分風の無い所は暖かいこの頃。
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親父の戯言

  • 2009/02/16 22:57
  • Category: 日記
今一番殴りたい奴

中川財務相

コイツは日本の恥だ早く辞任しろ!!
そして明日国会で自分の利益の為に中川を叩く野郎達
そんな事より早く景気対策を政治家全員で考えろ!!

今最も尊敬出来る人物

作家の村上春樹さん

イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した作家
今、世界で問題となってるガザ地区を攻撃し正当化するイスラエルの受賞を辞退せず敢えて受賞に臨み世界に立派なコメントを発してる
卵と壁を例えにし演説をおこなった


酔った親父の戯言(本心そのもの)



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娘の様子はどうかな?

  • 2009/02/16 20:54
  • Category: 日記
今日は娘の公立高校前期入試試験が有ったらしい
勉強嫌いだった親父はとんと試験には縁が無かった
本当に好きでやってる勉強ならばそれに越した事は無いが・・・

さて、脳天気な親父は自宅に電話を入れ『日本酒有るか~?』
酒飲みたさに帰る支度を・・・・・昨日よりこりゃ寒い。。。

まあ良いさバイクで帰るべぇ(けえるべぇ~)
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娘に今日の様子を聞いてん見んべぇ・・・・・・

親父は、お迎えツーリング(箱根)

先日息子が2月14日(土)~15日(日)伊豆で焚火&鍋一泊ツーに参加し親父はスーパーシェルパを乗り、ひたすら一般道で箱根まで迎えに行く
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ECHOのツーリングには珍しく息子と同年代が多かったらしい(親子同伴で乗用車の参加も多かった)
そんな中で大人達に混じって楽しい宿泊野外鍋は無礼講で良い経験になっただろう
因みに息子は缶チューハイを飲んだらしい・・・・内緒(親父は息子の歳には酒豪だったぞ(笑))

親父はあくる日お迎えツーリング(汗)

国道407を南下し16号へ
普段なら高速を利用するが一般道もまた面白い
スーパーシェルパは林道に限らず一般道ならば機動力はもんく無し。トコトコ走る道はまた違った景色が見えて来る 途中で面白い看板を発見(人の姿も看板です)
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2月とは思えぬ暖かさ何やら鼻がムズムズ!!花粉症の始まりだ。。。
八王子にて・・・・此処まで意外と早い一般道(既に東京都)
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一般道を5時間、目的地の箱根新道入り口に到着
こんなゆっくりしたツーリングも良いかな。。

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箱根新道で暫く待つと
来ました




解散場所にて(此処で息子はECHOの参加が終了し150km先の自宅へ)

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今度は3台で帰路に着く
再び160kmの一般道を

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しかし疲れたのか息子は高速で帰りたがり
仕方なく圏央入間ICに乗る  高坂SAにて

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無事午後7時40分帰宅
VTR250/2日間走行距離613km 親父お迎え1日310km

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↓この後は息子が撮った写真


民宿の夜景
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民宿の外でワイワイガヤガヤ無礼講。。。 楽しい時間だったろうそして大人への一歩?
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金目鯛が美味そう
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お世話になりました!

ECHOの皆様。



伊豆には春が来た 桜

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小雨の夜明け前に旅立つ

今朝4時40分小雨の中、VTR250と息子は160km先の集合場所まで向かう

自宅 ⇒国道50号 ⇒東北自動車道 ⇒首都高速 ⇒東名高速 ⇒小田原厚木道路 ⇒西湘バイパスSA(下り線)

2月14日(土)~15日(日)伊豆で焚火&鍋一泊ツーへ参加する為、17歳の少年が一人暗い雨の中を出発した




午前7時40分集合場所に無事到着の電話

出発の雨はすっかり上がり暖かい日が昇り始めてた

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追記

息子が出掛けて庭先には春の気配と春一番の風?AM10:06


ふきのとう と あしたば

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HS1エンジン ガスケット剥離作業

ヤマハスポーツ90HS1
40年前の純正ガスケットが入り早速作業を
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前回のログにシリンダー部とクランククラッチ部の分解は記してあるので割愛。


シリンダーやピストンは40年の経過とは思えぬ良い状態で、クランク内も水分の混入も無くOHの必要性もない結果。
それでも、やはり一度開けないと心配なので予備エンジンのOHを始めた
確認が終わり、多少手を入れ組み上げるに当たって
簡単にガスケットは剥離出来かった、40年もの歳月なら尚更だろう

このシリンダー腰下部分に着いてるガスケットは硬く固着し
スクレパーと240番のペーパーと溶剤で古いガスケットに戦いを挑む
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半日以上の時間をかけ綺麗になったシリンダー
後日耐熱塗料を塗ろう
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前回エンジンから抜いたばかりのピストン
3000km位走った2stピストン
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20数年前、ヤマハTZ250に乗りレース活動をしてた実弟に
2stピストンの薀蓄をあれこれと聞き排気ポートと吸気ポートに出てる当りとスカート部分、ピストンピン付近を400番ペーパで仕上げる

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俺はガスケット剥離に奮闘してるピストンはプロ並の実弟に任せよう(笑)
仕上がったピストン
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空冷2stピストンは3000km位で一度当りをみて研磨する事により長く乗れるそうだ!

乗せ換え外したエンジンはまたOHを考えよう
少しオバーサイズになるが50ccピストンの部品が有ればシリンダーをボーリングしてオーバーサイズを入れる事も可能だろう。。。

次回は組み立て載せ換え作業。



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スズキ(VJ22A)RGV250Γ・2台目?・・

実弟にSH1予備エンジンピストンの研磨方法を教わろうと実家に行く・・・・・
ガレージには、また古いガンマがレストアを待って居た。
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快調に走るガンマ(レストアが終わって実動中)

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カラーリングも同じ
今度、高校生になる息子(甥)と走るのを楽しみにしてレストアをするらしい
流石にガンマのジャジャ馬ぶりを知ってるのでTR250で練習後乗ると甥は言う・・・

前回一台目のレストアの報告と走りに付いては前ログにて説明してるので割愛。

そして驚く事に中古予備エンジンが3台・・・・・・・

バラシ中のパーツ達
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予備エンジンとこれからOH待ちのエンジン

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あの懐かしいピュアな2ストエンジンの虜になってるようだ・・・・・



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HS1のガスケットが来た~♪

ヤマハさん偉い!!40年前のパーツまだ有りました・・・・・
しかし、シリンダーやピストンは全滅。。。。 (1969年 ヤマハ90HS1 2st 90cc 2気筒)
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これで予備エンジン組み立てられます
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楽しみです



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去年の春を回想

一昨年息子がVTR250でライダーとしてデビュー

去年4月のVTR250まだ殆どノーマル。後に高速道路を多用するようになりアッパーカウルとETCが付く事になる
カウルの効果は抜群で高速走行の風による疲労も格段と良くなりその後から移動距離が飛躍的に伸びた

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VTR250はアッパーカウル、ETC、無線機の装備が充実して行く
カウルとETCが付いてるVTR
アマチュア無線機(リグ)が装備されタンクバックは大型になる
VTR250は取付スペースが少なくタンクバックにETCとリグを収納する
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去年から一人で高速に乗り単独走行で長距離を走るようになった春を思い返し書いてみました


2008/3/17親子ツーリング

埼玉県秩父雁坂トンネル
雪が残る秩父の山 VTR250&FJR1300
VTRは3176km走ったばかり 今は13571km1年で1万キロ以上を走破した事になる
この時、親父は花粉症真っ盛り辛いツーリング(汗)
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秩父から甲府へ抜け富士山を見て中央高速で帰宅
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2008/3/下旬林道へ

上州の山々の雪が解け始め
スーパーシェルパとスーパーカブ90DXで栗原川林道へ
しかし山奥はまだ残雪で断念
帰り道は山の春雨が・・コンビニで雨を回避 もう冬の冷たい雨では無かった
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自宅裏沼の桜が咲き始める

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2008/3/29再び林道にリベンジ

実弟TR250とスーパーシェルパ


順調に奥へと進むが・・・・
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山は残雪が容赦無く林道を塞ぎ・・・・またまた断念

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2008/4/2毎年桜は入学時期に咲かせて・・・

桜とVTR250 通勤途中のスーパーシェルパ

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桜が散り始めると同時に親父は渡米出張
テネシー州ナッシュビルにてこちらも季節は暖かくなってた
ナッシュビルの街中で日本のバイクに乗る女の子?かな

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帰国するともう桜は葉桜に変わった
これからバイクにとって良い季節(バンザーイ)

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2008/4/下旬バイクシーズンだ!!

社殿や庚申塔を訪ねる

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山奥に有る祠
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赤城神社
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去年の4月下旬いつも親父と一緒のツーリングだったがこの時期から一人で旅する事が始まる息子・・まだVTR250も大きい両足がやっと地面に着いてる
一人で高速道路に乗り旅立つ時期であり成長の時期

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5月連休後、親父一人FJR1300で下北半島に旅を
後半息子は一人で新潟まで北上した、途中では色々な人に声を掛けられ話をした
『歳は幾つとか・・・』
童顔な息子だから見知らぬ人やライダー達は声を掛けたに違い無い

暫く新潟で待つと息子がSAに入って来た
無事親子が新潟で再開し帰路に着く
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また今年も新しい旅が始まる

風と共に・・・・・



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春は西へ夏は北へ

来年は、17歳高校2年の息子も最後の高校となる
親子一泊ツーを考え春は息子を伴い関西方面へと・・・・・夏は東北方面と画策中。。。

行ってみようか
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以下の地図は親父が単独短期間の軌跡

息子と一緒に走れたら・・・と考え辿った道。

関西方面は一泊で息子も往復出来る距離
1日600kmの実績がある
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下北半島までは少しきついだろう秋田方面かな・・・
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通勤シェルパ&通学カブ90(バイトと学校)

今日も朝は、まだ寒い。親父はスーパーシェルパで
息子はバイトが有るのでスーパーカブ90DXで街中の駅まで行く
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寒さの為だろうか?
バイトが無い時は近くの田舎駅まで自転車で通い街中の駅で乗換え通学する
暖かい時期は街中の駅までバイクで行く(全く要領の良い奴)
親父は学生の頃、学校近くまでバイクで通った(悪い奴?)
多分、息子は息子なりに今の学校の校則を見据え考えてこんな行動をしてるのだろう
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この捻くれ親父は学校が禁止するバイクに乗せる
家庭生活の領域は親の教育権が有り毅然としてバイクに乗せ教育をしてる



息子がお世話になってる学校だが敢えて此処で批判をする
因みに息子の通う学校は親父の母校でもある
高校時代同級生だった級友は今この学校で教鞭を取ってる(まだ詳しく会話をした事は無い機会が有ればじっくり話をしたい級友である)

事は息子の普通自動二輪取得から始まった一昨年の事。
親父の事後対策になってしまい息子には苦い思いをさせ
それは、入学時制約書なる物があり、『自動二輪免許を取得させません』の趣旨の誓約書だった(女房が署名捺印をした)女房からの報告も聞いてたが
親父はその事には無頓着であり、ましてや母校。甘かった
親父の学生時代当時、殆どの仲間は免許を取得しバイクに乗ってた事実があり当時は『三ない運動』なる決まりも無かった・・・・・時代は流れ変わった。

ある日、学校の担任の教師から電話が有り『息子さんは自動二輪の免許を取得しましたか・・・・?』の問合せだった。勿論親父は隠蔽する事無く事実を話し相談する事を持ちかけた。
ところが、あくる日息子が通学したその日 息子を今から自宅に帰す趣旨の電話が
事の重大さが解り親父は学校に出向き息子を迎えに行き
担任の発する言葉は『校則に違反したので職員会議にを開き処罰を検討する』との趣旨。
一方的な自宅待機を言い渡され仕方が無い。相談の猶予も無い。

法律的、一般常識的に法律を犯した罪等が無ければ学校側は義務教育では無くとも学習権を奪う事は出来ない(停学、退学)は違法に当たる

この時点では、もう結論を待つしかない
しかし、このままでは学校側との論争は出来ない事後対策になってしまったが意見書として法務局確定日付付きの文章を作成して待つ

2日後だったろうか、担任から電話があり処分が決まったので息子を伴い学校へ来る趣旨の電話が入る。いわゆる処分言い渡しである
職員会議が始まってしまえば教条的で物事を決めるしか無いだろう

親父の勘は的中した
停学や退学は出来ない学校側は謹慎処分方法でグレーゾーンを使った
ましてや、無期限(2週間)の謹慎である(自動二輪取得がタバコや飲酒と同じには閉口した)
職員会議で決まった事は覆す事は到底無理だろう。その場は大人しく学校側の謹慎処分を受け入れる他には無い・・・・・
親子と校長、担任、副担任、生活指導6人校長室の中で
生活指導担当『バイクが有るなら、もう乗らないで処分しなさい・・・・・』と息子に
この言葉には親父も切れた!
親父は『それは違うぞ!校長も解るだろう!親にも教育権が有る俺は此処の卒業生だ・・・・・。』
とにかく話は教条主義的な話で、息子も居る可哀そうなので多くは語らなかった

此処で大事な事は親の責任として子供に対して教育をしなければならない
●大きい社会の中に小さな社会の決まりが有る事
●白いものが世間では白く評価されない矛盾
●強く信念をもち毅然とする事等々・・・
幸い息子自身、不幸を転じて功となした世間勉強が出来ただろう

後の謹慎中に親父の事後対策になってしまった法務局確定日付付き意見書を配達証明で校長宛てに送り親父単独で学校側と話合いとなる

学校は自動二輪乗車に対してもろ手を挙げ賛成はしないが
黙認せざるを得なかった
今、学校では誰もが息子の自動二輪乗車を知ってる。

見せしめの謹慎処分は何だったのだろう?

教育とは何か考えさせる出来事で
親父が高校の頃、いつも俺達に教えた先生が居た
『お前達人生劇場だぞ良く考えろ』この言葉は今でも忘れない
後に(三ない運動)が始まり後輩達(実弟達)は普通自動二輪を取得し学校に見つかると
やはり人生劇場論で諭した先生が居た・・・・謹慎処分は無し






息子は今年3学年になる
この息子の通う親父の母校は某大学の工業系付属高校である
今も変わらぬ劣等生の集まり、いわゆる滑り止めの高校。

謹慎処分を祭り上げた担任が強く進学を勧め
息子の友も卒業したら就職をしたいらしい
それでも進学を勧めてる
悲しい事は息子がその担任を嫌ってる
息子だけでは無い皆が嫌って罵ってるるらしいのだ・・・・悲しい事だ
親父は息子に担任の悪口は言ってない・・・むしろ先生の考えが有るのだろうと言う・・・残念だが抑えきれない。。。息子にうなずいてしまう。

親父の頃はそんな事は無かった むしろ怖かったそして頼りになった
親父はそんな先生が居て就職が出来その後、自分の道を歩んで来て
感謝してる

本当に今生徒の事を真剣に考え指導してるのか疑問がある
今度三者面談があるそうだ・・・・行って話を聞いてみよう
そして、級友に逢って話しをして見よう それから結論だ。

禁止する事からは何も生まれない

この親父、定番の戯言

何度も書いてる『高校バイク三ない運動』
16歳になれば国で決められた年齢になり普通自動二輪免許が取得できる
大前提である

現在、この理不尽な古い全国PTA総会で決められた『三ない運動』は過半数以上の高校が推進。

親父の結論は親と子が責任を持ち乗れば(乗せる)は良い
そして、それぞれの家庭境遇により乗せない教育も否定はしない

校則による私生活規律の可否については問題があり
家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない

重要な事はその親の教育方針の在り方。

『三ない運動』は高校側の保全対策に過ぎないのである
それは、生徒の私生活指導までを期待する親が増えており、また、校外での生徒の不祥事についての苦情までが学校に寄せられる事を考えると学校は規制をする

学校ばかり責める訳には行かない
現在は道理が解らない保護者が多い

その根底には学歴社会に於ける学校教育が本来の道徳である情操教育を疎かにしてるから
そう分析する親父。

中には立派な親や教師も居るのも事実。

そして小学生や中学生の携帯電話所持の可否

可否の問題自体を問うのは可笑しい
常識ある親ならば学校へは持たせないだろう、しかし混沌とした世の中になってしまい何が正しく何が間違ってる事がはっきりしなくなった
有害ネット等の問題も有るだろう

しかし、親が盾となり教育をしっかりすれば何て事は無いのだ
教育が出来ないからこそ白黒をはっきりさせる禁止になってしまう

世の中決して白い物が白と決まる訳では無い
教条主義的教育はその子供達の柔軟な判断や理解を鈍らしてしまう



蛇足・・・
最近の嬉しかった事。
世間の不景気が影響してアルバイト先の半数以上が解雇となり息子も解雇され
新たにバイトを探して来て何日か通う
そんな中親父は『バイトはどうだ?』と聞くと
息子『忙しいから遣り甲斐が有る暇なバイトより良いさ』
勉強が出来なくもそんな気持ちで世間に対応する息子の態度の報告が
光った宝石の言葉だった

楽しさ辛さが有るそれがバイクツーリング

朝五時房総半島を目指し自宅を出発
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夜が明けた高速PA
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東北自動車道から首都高速そしてアクアラインへ
この先の海の底を通ってきた(AM7:15)
目指すは房総半島ECHOツーリングクラブの人達が待ってる
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今日も数の多いバイク
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一昨年から息子とECHOツーリングクラブに参加し
去年の初夏からだろうか一人で参加するよになったのは
今はもう親父が共をしなくても最年少一人で30歳、40歳、50歳↑人生の先輩の大人の中に飛び込みツーリングをしてくる

今日は房総半島。天気に恵まれ一足早い春を感じて来た
まだ高校生でもECHOの人達は心良く息子を迎えてくれる
いや、仲間として認めてるのだろう
幼さが残る少年はむしろ、人気物として見える
感謝。


今日のツーリング房総半島は天気が良くツーリング日和だった
しかし、帰り道は多難な道のり

バイクは雨や風は本当に辛い
狭い首都高ではこの親父も経験した事のないバイクには非常に辛い風だった
まるでバイクごと飛ばされそうな風で一車線をバイクが蛇行する風だった

何とか無事に帰宅出来る事を祈りながらの行軍
自分(親父)一人なら何とか切抜けて帰宅するだろうが・・・・・
息子と一緒だと尚更息子が心配
小さいバイクが風に翻弄され右に左に流され横には速度の乗ってる自動車やトラックが
高架の高速。恐怖が宿る

何とか首都高を抜け東北自動車道へ一安心
SAで休憩し息子と話す二度とバイクには乗りたく無いだろうと思いきや
さっきの困難は当たり前のように話す
来週また一人で一泊ツーに行くらしい

そう、困難を乗り切るからこそ楽しさも一段と感じるのか
親父が心配する程ではない一人で切り開いて行く

疲れた息子はもう寝た
再びバイクに乗り始める事だろ
今日の走行533km 帰宅午後7時30分
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免許取得からの距離 キャブ仕様ファイナル2007年型VTR250も1年半を迎える

まったり土曜日小春日和 明日は・・・・

例年1月と2月は暇になるが、今年はいくらか様子が違う暇な時
世間一般が不景気風だから仕方無いと能天気な親父(悩んでも仕方有るまい・・・・)

久しく連休となり小春日和の中、息子とバイクを洗う VTR250 通勤シェルパ R1200RT
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洗車中VTR250の後輪タイヤを見て気付いた
スリップサインがもうそろそろ出てくる・・新車から13000km走りぬけたタイヤだった
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タイヤの磨耗と共に比例しライディングもそれなりになりなった息子の成長の証とも言えるだろう
(それにしても250ccクラスのロードタイヤは経済的)
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小春日和の中で親子の会話
来週は一泊のツーリングに一人で出掛けるそんな話を聞くとタイヤが心細い
タイヤ交換をする事に決定。
そしてVTR250に付けるシートバックの留め紐が使い物にならず困惑してる息子

そこで親父は代わりになるタイヤチューブのゴム紐を息子に渡し
『これで縛ってみろ・・・』と
このタイヤチューブ用ゴムの使用は学生時代新聞配達のアイテムだった
さらに青年時代スーキーに行く時も車に汎用キャリアを乗せ
スーキー板等をタイヤチューブで固定し使ってた
収縮力が非常に強く長持ちする便利なアイテムである
今でもバイクにはに限らず必ず2,3本積んでる
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ゴムチューブを使った事が無い息子は苦労しシートバックを取り付ける
何回も何回も縛っては解いての練習・・・・
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何度かの後ようやく使いこなせる
慣れれば至って簡単なもの
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ゴム紐特訓が終わり
タイヤを交換しにバイクで親子して街に出る

VTR250の新品ピレリタイヤ!! 
息子はもうウキウキ気分・・・帰りの道乗りは幾分バイクがヒラリ、ヒラリと(笑)
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コンビニにて
此処で急遽タイヤも新しくなった事で明日は春の房総半島へツーリングに行こうと決まる
ECHO第63回 2月8日(日) yamaちゃん、きんちゃーん企画 千葉房総ツーリング
飛び入りですが宜しくお願いします

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明日は早朝5時出発 準備をして明日に備えよう

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親父は早めの晩酌・・・・・
こんなにイワシ食えねえぞ!!
大好きなヌカの古漬と芋の煮っ転がし切干大根の酢醤油漬で
熱燗でチョイト一杯
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てか写真の中の

ナイシトールは・・・・・??

早めに寝ます・・・・

ヤマハスポーツHS1 エンジン バラシPart2

先日はHS1のピストンとシリンダーを分解
引き続きクランク側(エンジン下周り)に挑戦
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シリンダーヘッドガスケットは使い回しが出来そうだが
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腰下シリンダーガスケットは作らねばならないだろうと・・・・・・

まあ駄目で元々と40年前のパーツリストで確認しメーカーのHPで部品検索した
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シリンダーやピストンは全滅・・・・・・・しかし・・

ガスケットはε=ε=ε= ヒイィィィ!!!!( ̄⊥ ̄ノ)ノ有った!!

メデタシ メデタシ
そして何とも面白い事を発見!当時のパーツリストに値段が載ってた
当然、現在と値段が違う

シリンダーガスケット    15円 ⇒ 1260円
パンジョボルトガスケット   3円 ⇒ 105円
クランクケースーガスケット 90円 ⇒ 1690円

時代の流れを感じます。。。。
取りあえず悩みは解決。心おきなく分解するぜ~~

まずはオイルポンプカバーを外して見る
40年越しに光を見るオイルポンプ・・・素晴らしい新品みたいだ!!
どうやら長い年月でも水分は浸透して無かったようでこの通り。
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次はクランクケースカバー・・・・ところが。。


クランクケースカバーを止めるボルトがプラスネジなんです・・・・オマケに40年の歳月で硬いと来てる+ネジを痛めたらアウト(メーカーさんせめて六角ボルト使ってよ・・・)
昔はみんなこんな感じなの~?
やっぱり道具ですこんな物使いました(インパクトドライバー)登場!!
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無事カバーを外しクラッチが姿を現す
此処も水浸透の様子は無く至って綺麗!オイルにも水が混入した形跡も無い
オイルポンプと噛み合うピニオンギアも

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これならばクランクを割る必要もなさそう
走行距離3000kmと言うのも嘘ではなさそう

カバー側のオイルポンプ樹脂製のギアー
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ついでに湿式多板クラッチを外してみる
クラッチもまだまだ使える

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どうやら40年の歳月を過ぎてもクランク内は機密性を保って
分解しなくともそのまま使えたエンジンだった

後日ガスケットが来るまで綺麗に磨こう
組付けたらエンジン載せ換えだぁ~

今車体に付いてるキャブレター関係も好調なので良しとする
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暖かくなったら気兼ねなくコイツと一緒にツーリング!!
何より楽しい事は
このバイクを見て感動してくれる人達とバイク談義。古き良き時代のバイク

良き時代の控え目なスーパーバイクが青春を蘇らせ

控え目な古きバイクが太った親父を連れていく!!

ヤマハスポーツHS1 エンジン チョイバラシ

HS1の予備エンジンをチョイトバラシ

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ピストンとシリンダーをバラシて見る
2サイクル特有スラッジ多いが、結構状態の良いピストン 
44.5ccのピストン
3000km位の走行と言うが・・・・きっとそんな所かな?
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外側ガスケットは外すとボロボロ
40年の歳月なら仕方無いだろう。(既に純正ガスケットは生産中止・・・作らねば。。)
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此処で見る限りクランクは良い状態と言える
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鋳物シリンダーの状態
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ヘッド部分
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錆びも少なくスラッジを落とすだけで良さそう

クランクを割るか思案所
次回はクラッチを見てみよう


現状のHS1この状態でも充分走れるが、予備エンジンOH後に載せ換えよう

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スーピードメーターが80kmを超えて直ぐにメータが振り切ってしまった
その後オークションにてスピードメーターを落札し付替えたら正常に戻った
メーター読みで(タコメータが無いので音とフィーリングで判断する)ピークパワーまで
1速0~20km/h
2速20~40km/h
3速40~60km/h
4速60~80km/h
5速80~この上はなかなか上がらない上り坂だとむしろスーピードダウン
90ccの排気量で80km/hまでの加速は今のバイクには無い鋭い加速を見せる
メーカーのサービスデータに因ると最高速110km/hと有るが乗り手の体重の影響か?

気になる燃費はメーカーのサービスデータ 舗装平坦路燃費  65㎞/L(40㎞/h)とあるが
街乗りで20km/Lを割ってしまう・・・・ちなみに実弟のガンマ250も10km/L前後。
2サイクルの燃費の悪さを実感する(R1200RTは20km/L前後・・・この差は。。。)
乗り方にもよるだろうが・・・・・どうしても4サイクルエンジンと違ったピュアな2サイクルの加速を味わってしまう為だろうか。。。

改めて・・・・・・

2サイクルって面白えぇぇぇ~

50歳になった親父の言動だろうか?????
乗ると青春さ(笑)

学歴社会に於ける教育と学校

情操教育とは、暗記偏重の知識の教育、数学、理科、社会に対して、感情や情緒を育み、創造的で、個性的なこころの働きを豊かにするための教育、道徳的な意識や価値観を養うための教育で、小中学校の教科では、特に道徳、図工、音楽、保健体育などを指していわれるものである。また、国語教育も、文学作品の鑑賞などにおいては、情操教育の性格を持つ。

無学な親父の戯言

情操教育を辞書で引くと 真・善・美・聖などの人間の価値感情を養うための教育。

学歴社会に於いて暗記偏重の知識の教育が最も重要視されると言っても過言では無いと思う
情操教育に関し、優越の判断は非常に難しい

親心として子供に良い学歴を持って貰い良い会社に勤めたり官僚となる・・・・その子に取っては安泰である
でもそれが本当に幸せに通じるのか?無学な親父には疑問が残る



現代のように塾が無く(ソロバン塾ぐらいしか無かった)鈍才な親父が義務教育の頃、学校の勉強も遊びも良く出来た彼らも居た(勿論、親父は遊びだけの悪ガキ)
今、自分の娘は受検で学習塾に通い必死に勉強の日々
こんな偏った教育で良いのだろうか・・・・?

情操とは一体なんだろう。

無学な親父の素朴な疑問。。。

まだ寒い立春の朝

冬の通勤スーパーシェルパ
そろそろ春が恋しい、親父が幼少の頃はもっと寒かった記憶がある
それでもシートの上には霜が降り 暖気中マフラーからは水蒸気が
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春の訪れの如く少しずつ日が昇りトップケースの霜が解けてくる

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通勤途中の田んぼ 麦が大地に付き青さが生まれ始める

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少し走しると、2組のキジのつがいが居た

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春よこい~~♪

子供達に教育される親父

虫の居所が悪く晩酌をしてると口煩くなる親父でもある
そんな時たまに、女房や義母と喧嘩する事も時々・・・・・
ただし、酒を飲んだら子供達には小言を言わないのが救いだろう?子供達を叱ったり諭す時は平常の時だけ。

最近は子供達も自分の考えを持つようになり喧嘩をすると諭されてしまう
親父はもう黙まり込むしか無い・・・完璧に負け。。
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子供達3人それぞれの性格が有り改めて考えると非常に面白い

長男17歳高校2年
親父の学生時代にそっくりで勉強はあまりしないし学問は不得意!それでも、下に妹が二人の為だろうか優しい所がある。
バイクも慎重派で一人で長距離をこなせる根性は有る 
そんな息子に勉強しろと言った事が殆ど無い(本だけは読めと言うが)無責任な親?
むしろバイクツーリングは良く誘い遊ぶ事が殆ど・・・・
親父が高校生の頃はモテたぞ!!もうチョット元気になれやぁ~と思ふ(笑)
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長女15歳中学3年
長男と正反対で良く勉強をする受験を控えてるからだろう
自分から進んで塾に行ったり夜遅くまで勉強、それを見る親父は『育ち盛りは良く寝た方がいいぞ・・・・』と間違った事?を言う
娘『行きたい高校があるから勉強する・・・・』
それが好きでやってるなら仕方無い事で、勉強嫌いだった親父には素朴な疑問となる・・・・
受験前は良くタンデムをしたが今は全く無い。。。
男親からの性格判断は少し難しくなるが・・・以外とヒョウキンな所がある
女房との喧嘩騒ぎの時は必ず親父を諭すのが長女
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末娘13歳中学1年
普通に勉強をしてるかな?算盤は段の腕を持ち今はたまに算盤塾に通うだけになった
この娘も親父に似た所があり内面は悪いが外面は非常に良い、いわゆる悪く言えば内弁慶
親父に叱られると非常に悔しがる負けず嫌い。。家事は良く手伝ってるらしい
タンデムは良くする
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こんな言葉が有る

良く遊び良く学び

頭デッカチにはならず楽しい人生を送って欲しい決して世間は甘く無いが人間らしい生き方が有るはず
親父にもまだ解らない
それでもきっと何か有るはず
親父はそう思う

親父の教育観念は世間離れ?

高校2年の息子がアルバイトを始め半年が過ぎようとしてた
しかし、世間の不景気が影響してアルバイト先の半数以上が解雇となり息子もその一人だった

ある日息子が『親父に言っておかないとならないバイトを今月で辞めてくれと言われた・・・・』と言った
親父は(学生はバイトが本職で無いから仕方ない)と思い
その場は『仕方無いな世間もこんな状態だからな・・・』そんな会話だった

そして今日、親父が帰宅するなり息子は目を輝かせ
『親父!新しいバイトが見つかった来週からまたバイト行くよ・・・・・・』と
息子は自分でまた新たにバイトを見つけて来たのだ

この世間離れした親父は何より嬉しかった
学生の本分は勉強だが何よりその行動と自分の意思により探した道が嬉しかった

ナナハン時代からの2サイクルそして終焉

1998年10月1日から行われた未規制車(2輪車)への排ガス規制が施行され2サイクルは勿論、4サイクルまで大きな影響を及ぼした
実質的にこの時期から2サイクルエンジンは終焉を迎える事になる
この時期から約30年前
1970年代、実はこの頃第1次2サイクル規制の波が既に押寄せた
アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。

それでも、まだ2サイクルエンジンは顕在な時期であり小型バイクやオフロードは2サイクル主流だった
(懐かしい高校時代)
1969年カワサキマッハⅢ500cc 1971年スズキGT750 いずれも3気筒2サイクル
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高校時代初めて乗ったバイク 1970年ヤマハRX350 2気筒2サイクル R1~R3の血筋を引く
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4サイクルエンジンの大御所ホンダが世に2サイクルバイクを送り出した 1973年エルシノア 単気筒2サイクル
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 2サイクル・エンジンは4サイクル・エンジンに比べて、比出力(単位気筒容積あたりの出力)が大きく、構造が簡単で安価(バルブが不用なため)などの利点があるが、燃料消費率が大きい、構造上オイル消費が多く、そのオイル燃焼にもとづく種々の障害が発生するなどの欠点も。

例えば40年前のHS1やHX902サイクル2気筒エンジンは現在の125cc4サイクルエンジンより出力は同等もしくは大きい。(ヤマハHS1最高出力 10.5ps/8000rpm 最大トルク 0.96kg-m/7500rpm)
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90cc2サイクル2気筒エンジンは2サイクルメーカーだったスズキにも
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後に2サイクル名門であるスズキは2サイクルからの脱却を図ろうとしたのか定かでは無いが、2サイクルより燃費の良い出力のあるエンジンを開発したと思われるロータリーエンジン
1973年夏、秋のモーターショーの発表を前に量産試作車が完成し、谷田部のテストコースで走行テストが行われた。高速走行時でも、バックミラーが少しもぶれない程の振動の少なさや操安性のよさに、開発スタッフは改めて驚かされた。それに、走地燃費は水冷2サイクルの750車よりも20パーセントいい数値(しかしどうしても4サイクルに劣る)を出した。同年秋のモーターショーは、シングルローター式バンケルRE搭載、ジユジアーロ・デザインの”スズキRE5″(497cc、最大出力62psの話題でもちきりとなった。
1975年1月、スズキは「RE5」の量産態勢に入った。しかし、排気量(当時の日本国内市販車の排気量の自主規制値であるを超えてしまう)の問題が解決されず、ついに国内販売を断念、輸出のみにしぼらざるを得なかった。
RE5の海外での評価はすこぶる高かったが、1973年10月、第4次中東戦争が勃発。中東産油国が石油戦略を発動し、世界的に”石油ショック”が起り、翌1974年3月、日本国内は石油製品の大幅値上げから、省エネが叫ばれ、1975年9月にも、再び産油国は原油価格の大幅値上げを通告、世界を揺さぶった。
1977年スズキは、発売2年目にして「RE5」の生産中止を決定。
RE5は生産中止されたものの、この開発で得た技術はその後のスズキ車に数多く利用された。

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2サイクルメーカスズキも1976年には4サイクルに移行し2サイクルGTシリーズからGSシリーズに変わる

4サイクルナナハン時代が出揃った国内は(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
この時既に限定解除時代で中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移った

1980年代再び成熟した2サイクル時代へ


6歳下の実弟が免許を取得しバイクに乗り始め再び2サイクルマシンに乗る事になる
RZ250。
ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった
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2サイクル専門メーカーだったスズキもメーカーの威信をかけRGV-250Γを開発し
ヨーロッパメーカーのアプリリアRS250はスズキ・RGV-ΓをベースとするV型2気筒の250ccエンジンを搭載し、最高馬力は85psの発生も可能とされていた。ガンマのエンジンタイプは、VJ22A型式のヨーロッパ仕様が元になっており、RS250発売開始当初はベースの62psのガンマより8psアップした70psの出力がある事になっていた
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日本メーカーが2ストロークレプリカバイクの生産を終了してからも、アプリリアはRS250を生産しつづけていたが、環境規制とスズキからのエンジンのデリバリーが終了したことにより2003年に生産終了となり、このオートバイが世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなってしまった。


バイク2サイクルエンジンそれはまた違った感動を与えてくれた
2009年現在、原付バイクから大型まで2サイクルエンジンは完全に姿を消した

強風の中一般国道ツーリング

今月14日~15日 一泊ツーリングに一人で出掛ける息子
集合場所は西湘バイパスSA(下り線) 高速道路を使って集合場所まで行くには

国道50号⇒東北自動車道佐野藤岡IC⇒首都高速⇒東名高速⇒小田原厚木道路⇒西湘バイパスとなる

この場合群馬から集合場所まで少し遠回り

息子はまだ一般国道で小田原厚木道路(厚木方面)には行った事が無い

ならば、今日は一般国道で小田原厚木道路までを計画し
国道16号⇒国道129号で小田原厚木道路
遅めの出発 午前10時頃出発する
VTR250とR1200RTには無線機も装備され実験ツーリングも兼ねる
しかし今日は関東地方凄い強風・・・・・・
強風にもめげず出発!
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無線が有ると非常に便利だった

昼間の一般国道とあって交通量が多目である
しかし早朝ならば交通量も緩和されてるが
安全面を一般道と高速道を比較すれば目的地までの距離は伸びるが遥かに高速道路の方が安全だろう。高速を使い集合場所へ一人で何回か行き経験済でもある
ましてや息子一人で行軍となれば尚更の事。

帰路も一般国道を使い帰って来た帰宅は午後6時
走行距離288km 強風一般国道ツーリングは終わり
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VTR250のトータル走行距離が13018kmになる
息子が免許取得から新車で乗り1年5ヶ月が過ぎ距離を重ねた
もう、心配する事も無いと思うが・・・・・・・・

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