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高校生バイク三ない運動で禁じられた走行距離22900kmを経てゴールド免許取得そして就職へ

前出記事より
2012年(免許を取らない)(乗らない)(買わない)三ない運動。終結へ全国高等学校PTA連合会


交通事故や非行の防止を目的に、高校生のバイク利用を原則禁じた「三ない運動」が、三十年にして大きな転換点を迎えた。
全国高等学校PTA連合会は八月下旬に開かれた全国大会で三ない運動の宣言文を出さず、今後は自転車や歩行者を含めたマナーアップ運動に衣替えする方針を決定した。「事実上の運動終結」に、メーカーも協力して交通安全教育に力を入れる考えだ。 (藤川大樹)

 「免許を取らない」「乗らない」「買わない」の三ない運動は、交通事故急増を背景に愛知県教育委員会が一九七五年、「特別な場合を除き、生徒をバイクに乗せないように」と各校に通達したのが発端で全国に広がったとされる。

 その後も暴走族の活動が盛んになるなど、青少年の非行が社会問題化。全高P連は八二年の全国大会で、高校生のバイク利用について「原則として全面禁止とする」との「特別決議」を初めて採択。
五年に一度見直すことが確認された。
 
 一方、保護者からは「規制するのではなく、乗せて指導すべきではないか」などの声も上がり始め、九七年の全国大会では、特別決議よりも拘束力の弱い「宣言」の形が取られ、二〇〇二年、〇七年と踏襲されてきた。
 
 今回の宣言見送りは、高校の統廃合が進み、定期運行バスや鉄道のローカル線廃止など公共交通機関が減る地方の山間部などでは、バイクが通学の足になりつつあるという社会環境の変化もある。
 
 また、近年は高校生らの自転車による事故が目立つようになった。自転車事故でも刑事と民事で重い責任を問われる。全高P連は「バイクに限らず、自転車や歩行者を含めた包括的なマナーアップ運動が必要になった」と運動の衣替えを説明する。

 ただ、スピードの出るバイクは一歩間違えれば、大事故につながりかねない。二輪メーカー四社が加盟する日本自動車工業会も事故防止に向け、教師を対象にした実技講習会や交通安全教育教材の普及などに取り組む方針だ。

ソース 東京新聞


2007年息子が高校在学中自動二輪中型免許を取得させ高校側との対立が始まる
高校側(我が母校)との対立

息子の在学した学校は親父の母校である既に親父の時代(1970年代)とは明らかに違う教育方針だった

1974年バイクはその性能が上がり交通法規もそれに順応せず10代のバイク死亡事故も増え始めた
ノーヘルでも違反にはならず後にヘルメット着用義務と限定解除(大型二輪)の枠組みが出来る
当時自動二輪に乗る10代の若者は多くその事故防止の為、地元警察と協力し学校内まで自己所有のバイクを
持ち込み交通安全教育を実施した覚えがある

おそらく、息子は免許取得し嬉しかったのだろう
級友に免許取得を話しその話が広がり、ついに親父の所に担任の教諭から電話が入り事実の確認。
嘘を通し息子を言いくるめるのも手だが・・・そうはいかない
真実を明らかにし、毅然としなければならぬ考えだった
息子の懲戒は喫煙や恐喝等より重い謹慎2週間(停学では無い停学処分は法律に反する為)
この時から対立が始まりバイクの乗車禁止を唱えたが、親父(俺)は親の教育権を主張し
事実上、息子の在学中は乗車黙認状態となる。

高校在学中のVTR250)の走行距離は2010年卒業まじかで22900kmに及んだ

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教育委員会の三ない運動決議案に於いて多数の高校ではその運動が成され
例外なく息子の通う高校もバイク禁止。その呪縛から卒業により解き放たれた後、2012年全国高等学校PTA連合会で三ない運動は事実上終結となった。

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法律で定められた権利を剥奪する事は許されるだろうか?↓前ログに書いてあるので割愛。
http://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-216.html

このバイクと高校生に関して書く度に様々なコメントを貰ってる
それぞれ立場や考え方によりこの問題は多様し反対論者の方も多いと思う
 戦後日本の教育は知識の教育が優先され、その道徳教育が疎かになり本来の教育が無い事が原因ではなかろうか?
高校の3年間事なかれ主義で生徒を指導する体制。真実は何処に有るか教えられない
そして親の責任と認識せず学校側へ責任転嫁する親達 間違った個人主義が多い。
決してこの親父も完璧ではない、しかしなにが真実なのか見極める事が大事でなかろうか。

2013年現在、高校時代バイクで走り抜けた青春から大学へそして来年就職する息子は普通車免許も取得し21歳でゴールド免許を持ってる。免許講習では最年少のゴールド所有者だった
三ない運動に逆行した安全運転教育は間違いで無かった事を証明したと思って良いだろう。
今尚、VTR250の走行距離は伸びてる。

2008年親子でツーリング高速PAにて(高校在学中)
地図で目的地を探す

無邪気に座りPAで休む少年 バックからお菓子を取りだす少年

├★高校生バイク三ない運動←過去ログ参照



来年就職で名古屋へ・・VTR250は置いて行くだろう。
大型リッターバイクに混じり250ccでも一日600kmを超えるツーリングも共にし
走ったVTR250良いバイク名車とも言える。大事に保管し親父もたまに乗ろう。

VTR250

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VTR250に乗る親父

VTR250禁じられた22900kmを振り返り(高校生バイク三ない運動)

2007年夏休みも終わる頃に自動二輪中型免許を取得した
その息子も今年高校を卒業し大学生に。高校在学中VTR250で走破した距離は22900kmに及んだ

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教育委員会の三ない運動決議案に於いて今も多数の高校ではその運動が成され
例外なく息子の通う高校もバイク禁止。その呪縛から卒業により解き放たれようとしてる
今後下の娘達が自らバイクに乗りたい意思を示さなければ、高校生とバイクに関する記事は遠ざかるであろう

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高校側(我が母校)との対立

息子の在学する学校は親父の母校である既に親父の時代(1970年代)とは明らかに違う教育方針だった

1974年バイクはその性能が上がり交通法規もそれに順応せず10代のバイク死亡事故も増え始めた
ノーヘルでも違反にはならず後にヘルメット着用義務と限定解除(大型二輪)の枠組みが出来る
当時自動二輪に乗る10代の若者は多くその事故防止の為、地元警察と協力し学校内まで自己所有のバイクを
持ち込み交通安全教育を実施した覚えがある

おそらく、息子は免許取得し嬉しかったのだろう
級友に免許取得を話しその話が広がり、ついに親父の所に担任の教諭から電話が入り事実の確認。
嘘を通し息子を言いくるめるのも手だが・・・そうはいかない
真実を明らかにし、毅然としなければならぬ考えが過ぎった
息子の懲戒は喫煙や恐喝等より重い謹慎2週間(停学では無い停学処分は法律に反する為)
この時から対立が始まる

法律で定められた権利を剥奪する事は許されるだろうか?前ログに書いてあるので割愛。

http://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-216.html

このバイクと高校生に関して書く度に様々なコメントを貰ってる
それぞれ立場や考え方によりこの問題は多様し反対論者の方も多いと思う
 戦後日本の教育は知識の教育が優先され、その道徳教育が疎かになり本来の教育が無い事が原因ではなかろうか?
高校の3年間事なかれ主義で生徒を指導する体制。真実は何処に有るか教えられない
そして親の責任と認識せず学校側へ責任転嫁する親達 間違った個人主義が多い。
決してこの親父も完璧ではない、しかしなにが真実なのか見極める事が大事でなかろうか。


謹慎後親父と妹でツーリングクラブの人達とFJR&VTRで(学校で丸刈りにされた息子)

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初めて親父から離れ一人ツーリングへ

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やがて、一人参加でツーリングクラブ宿泊ツーリングへ

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そして雨の日も一人で

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大人達に飛び込み走った道のり

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三ない運動と対立しながら走った距離

22900km

その距離は彼に何を残すだろう?

今月で息子はその呪縛から解放される


ライダーである親達へ
恐れる事は無い責任と勇気が有れば子供達と旅に出かけられる!


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自由と責任において、今後さらなる距離を重ねVTR250と共に安全に走り抜ける事だろう。

バイクと高校生達 教育委員会とバイク乗りの親 そして権利の責任

このブログを始めた切欠は息子が高校生になり普通自動二輪免許取得から『バイク三ない運動』に於いて様々な出来事が有ったからである

ブログの訪問者から偶然にも『バイクに乗る高校生』のブログと埼玉県教育委員会『三ない運動』の意見を綴った方々が訪れてくれた。

まず最初に『バイクに乗る高校生』は神奈川に住む16歳の高校生。
三ない運動から26年余りが過ぎ現在神奈川県はかながわ新運動として すでに『三ない運動』を廃止し新運動展開中である
その運動を廃止したいくつかの学校(徳島 生光学園等々)は『三ない運動』実施中に増してさらにその数倍の研究と努力を図ってバイクを中心にした交通安全教育に真剣に取り組んでる少数派

反面、多数派に属する『三ない運動』推進の埼玉県
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埼玉県教育委員会方針
かながわ新運動
上記異なる方針が有る

一方、親父の甥で今年1年生が通う「独立行政法人国立高等専門学校機構国立群馬工業高等専門学校」を略して「群馬高専」では、高校と同じく中学を卒業し入試を経て入学出来る5年制
この高専のバイクに対する特徴は免許取得に対し自由である
その免許が有れば通学に学校まで乗り入れ出来る国立高校で教育委員会の範疇で無い
(現在その甥は二輪免許取得の為教習所に通ってる)

同じ高校生で普通自動二輪の免許取得の可否が異なる事は矛盾である

前にもこのブログで親父の持論を書いた所を抜粋


親父の理論

「社会あるところ法あり」という法諺があり、とりわけ、その社会が特定の目的を持つ団体である場合、その内部で特別なルールが規定されることは社会経験上当然そのため、各学校はその目的を達成するため必要な事項を定めて、学生を規律することができる。したがって、高校が校則を制定することは許されるが

校則による私生活規律の可否については問題がある

家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない


何故、今だにこの古い理不尽な『三ない運動』が改められないのか?
それは私生活指導までを期待する親が増えてる為の産物に過ぎない事等々・・・・学校の苦悩も解らない訳でもない
(学校側は生徒の命を守り大勢の生徒を指導しなければならない為、全国PTA連合の議決『三ない運動』は極めて都合の良い運動である)


しかし、親(保護者)の明確な責任があればバイクは乗せられる  その責任や義務を果たせない親が多いから三ない運動は有る
与えないではなく、教えるということが教育ではなかろうか。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

三ない運動は大半の県で今も行われているが、運動に入った時点で、実はバイク以外のものも、取り上げたり捨ててしまったとも思える
この時捨てられたのは、生徒達に向けるべき、教育や愛情の一部 例えば三ないと言いながら免許取得者も居る こうした公然の事実から目を逸らさない、人間としての勇気や行動等である
運動は誠実さを教師と学校と家庭から取り上げてしまった
奇妙な事だが、生徒とバイクに関する現実を見ない眼は、人間としての生徒の生活部分を見る眼とも関わって来る・・・そして罰則中心へと

三ない運動は教育だろうか?
禁止する事からは何も生まれず、矛盾を生み育ててしまう
取り組む事を忘れてしまう『三ない運動』。


そしてこの『三ない運動』を真っ向から反対してる親父で無い事も上記の文面から窺っていただけるだろうか?

権利とはその責任の上に於いて生まれるもので現代社会の構図から『三ない運動』を推進し利用する事が学校に好都合な事実も認識しなければならない
簡単に言ってしまえば在学中その生徒達がバイクに因る事故に遭遇しなければ良い事で時間が解決してしまう。
卒業後の責任は無いから・・・・・・

例えば埼玉県教育委員会方針に有るバイク事故の責任賠償問題にも触れてるが
責任賠償は高校生だけの問題ではない大人達にも言える訳で、責任として任意保険の加入が望まれる

また『子どもの生命を守るのは、あなたです!』と書かれてるが
実践に勝るものは無く禁止してしまう事によりその命を守れない事もある
どちらが正当かの解答は永遠に無いだろう


今『三ない運動』推進地区に住む親父はバイク乗りの親として高校生の子供にバイクを与え事故もなく高校生活の終盤を送る子供が居る



成人暴走族・旧車「會」(珍走団)
彼ら珍走団は本来バイクの楽しみ方を逸脱した成長と責任の無い青年達である
ましてや子を持つ親までも・・・・・
彼らはあの『三ない運動』の忘れ形見だろうか・・・?

正統なバイク乗りとして、良識有る責任ある人として子供達を育て教育する事によりそんな成人暴走族は生まれない。

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境遇に有るからこそ責任として『三ない運動』に挑む

1960年後半~1970年代前半、まだ好景気に沸く日本は、学校教育も愛情が有り人情豊かな教育が残ってた
その頃日本バイクメーカーは世界に羽ばたき急成長を遂げ世界第1位のバイク生産国に
ホンダドリームCB750FOUR(4サイクルSOHC4気筒))を皮切りに各メーカーの750cc開発生産が始まりナナハン時代の幕開けとなり、各国内メーカーは高性能バイクを開発し凌ぎを削った
反面、国内の道路事情は、まだ開発途中に有り、交通法令も即したものでは無かった
当然、高性能バイクでノーヘルは自殺行為に等しかっただろう
二輪死亡事故が増え、そして、1970年代初頭の暴走族問題
(当初の暴走族は若いティーンエイジャーの構成が多く社会への疑問や反抗として若気の至りで行動してた間もなく社会人となり暴走族をやめる人も多く今では立派な社会人も居る現在の珍走団とは変わった種族と言えるだろう)

後に行政ではヘルメット着用義務違反や大型自動二輪限定解除なる事後対策が行われ、
全国PTA総会では掘り下げた対策や努力より禁止してしまう(臭い物には蓋)『三ない運動』決議が採択される

当然『三ない運動』決議前、ティーンエイジャーの中には純粋にバイクを楽しむ若い連中は今より大勢居た
そんな若いライダー達はすれ違うと、お互いの安全を祈り『ピースサイン』を頻繁に交わしてた時代だった。自由の中で自己責任を持つそんな若者が多かった


『三ない運動』が日常となり禁止する事から拍車が掛かるバイク氷河期。
1979年ナナハン時代の終焉 親父が二十歳でCBXに乗る時代
二十歳代の親父CBX1000に乗る
二輪車は社会からまともに扱われていなかったのである。しかも、二輪車事故多発地点や暴走族出現地点の道路では通行禁止規制が行われ、それが当然という雰囲気が全国に蔓延していた。
二輪車をあたかも交通社会の構成メンバーではないかのように社会は見ていた。
かつての日本において、二輪車とは、いずれ消え去る運命になる乗り物、若者の遊びの道具で社会にとって役に立たない乗り物と見られていたのである。
この時期400cc以下の全盛期であり三ない運動が盛んに成り始めた


時が過ぎ・・・・・
二輪車は利用者の幅を拡げ、その有用性が社会に認知され
二輪車を有効に活用する方向に歩みを進める時代になっていると思われる。
大型二輪免許教習所教習開始、各地における通行禁止道路の見直し、高速道路最高速度100キロ、高速道路二人乗り解禁、そして二輪車AT免許制度スタート、二輪車ETC運用開始、二輪車駐車場を法の対象とするようにした駐車場法改正がなされる等、次々と二輪車利用環境改善の施策が進められるようになった。明らかに時代は変わった。
神奈川県のかながわ新運動をはじめとして すでに『三ない運動』を廃止したいくつかの学校(徳島 生光学園等々)は『三ない運動』実施中に増してさらにその数倍の研究と努力を図ってバイクを中心にした交通安全教育に真剣に取り組んでいる

二輪車にとって良い風が吹くようになった日本であるが、より良き二輪車ライフを送るには、まだ解決しなければならない課題は数多い。

そして個人的に危惧の念を抱く事
年々増えるバイク乗りのモラルである。車でも同じ事が言えるが・・・・・

1970年代から1980年代(あるいはそれ以前)の車両愛好者の健全な集まりである旧車「会」と、違法改造車両で騒音などの迷惑行為を目的とする成人暴走族・旧車「會」(珍走団)とに分かれているのが現状である。



彼ら珍走団は本来バイクの楽しみ方を逸脱した成長の無い青年達である

驚く事に、見るからに30代の輩も居る・・・幼稚なまま青年になってしまったのだろうか?
我々の年代の仲間にも若い頃暴走族は居た、しかしその行為は歳と共に無くなり今では立派な社会人として活躍してる。
二十歳前後の若気の至りならば多少の事は仕方ないだろう、しかし珍走団は違う。
今バイクが社会に認知されつつ有る過程に於いて
二輪ライダーの仲間として珍走団は認める訳には行かない

少し大袈裟になるが・・・
この『珍走団』は『三ない運動』の産物でなかろうか?と親父は思う。
『三ない運動』とは
学校に於いて、二輪車免許取得を禁止、規制する指導が優先し、運動本来の目的である生命尊重を基盤としての高校生の交通安全意識の涵養を図ることが十分になされてない
高校生の安全を考えた家庭の話合いや、家庭間の連帯が無い
高校生の交通事故防止を目的とした警察との具体的連携が学校に於いて十分に図られていない面がある

確かにバイクに乗らなければ交通事故は減るだろう。しかし本来その権利を剥奪する事は如何なものか?そして、その権利に対し公平に対処し自己責任を教え教育するのが本来の目的では無かろうか
禁止する事からは何も生まれない

二輪に乗るライダーの親としてこの『三ない運動』の理不尽さを学校に提訴する
それは、バイクに限らずもっと大きな意味を持つ

人生に於いて毅然とし信念を持ち生きて行く事も教えなければならない
バイク乗りの家族として生まれ育つ境遇として眼を逸らしてはならない

決してバイクに無理やり乗せる為の物では無い境遇がそうで有るから

バイクに乗るか乗らないかは、本人次第。

本来、愛情ある本当の教育を学校に望むまでの事。

今日は娘の入学式。ついこの前まで両手に抱かれた娘が高校入学 本当に有難い。

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公立高校入学を控え、バイク三ない運動を・・・

長女の受験も無事終わり、明日志望校高校入学式。

来年1月になれば長女も16歳 法的には免許取得が可能となる
今、長女はバイクに乗りたい気持ちは多少有るようだ

親父と長男がバイクに乗る家庭環境に居る娘なら当然多少の興味も有る。

しかし、この地方、県教育委員会は『3ない運動』推進。
-二輪車の免許を取らない-
-二輪車に乗らない-
-二輪車を買わない-

上記が三ない運動

おそらく、この三ない運動が無く、尚かつ世間一般に於いてもバイクに対する認識度がもっと高ければ躊躇なく乗りたい筈。

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二輪車に乗る乗らないの判断は娘自身に任せるが、乗る気が有れば喜んで乗せる気持ちである
バイク免許取得に関し長男で学校との苦い経験が有ったそれを生かし

改めて今日、県教育委員会と娘の進学高校(桐生女子高等学校)へ準備段階として電話にて教頭と話をした

親父の理論

「社会あるところ法あり」という法諺があり、とりわけ、その社会が特定の目的を持つ団体である場合、その内部で特別なルールが規定されることは社会経験上当然そのため、各学校はその目的を達成するため必要な事項を定めて、学生を規律することができる。したがって、高校が校則を制定することは許されるが

校則による私生活規律の可否については問題がある

家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない


何故、今だにこの古い理不尽な『三ない運動』が改められないのか?
それは私生活指導までを期待する親が増えてる為の産物に過ぎない事等々・・・・学校の苦悩も解らない訳でもない
(学校側は生徒の命を守り大勢の生徒を指導しなければならない為、全国PTA連合の議決『三ない運動』は極めて都合の良い運動である)


しかし、親(保護者)の明確な責任があればバイクは乗せられる  その責任や義務を果たせない親が多いから三ない運動は有る
与えないではなく、教えるということが教育ではなかろうか。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

三ない運動は大半の県で今も行われているが、運動に入った時点で、実はバイク以外のものも、取り上げたり捨ててしまったとも思える
この時捨てられたのは、生徒達に向けるべき、教育や愛情の一部 例えば三ないと言いながら免許取得者も居る こうした公然の事実から目を逸らさない、人間としての勇気や行動等である
運動は誠実さを教師と学校と家庭から取り上げてしまった
奇妙な事だが、生徒とバイクに関する現実を見ない眼は、人間としての生徒の生活部分を見る眼とも関わって来る・・・そして罰則中心へと

三ない運動は教育だろうか?
禁止する事からは何も生まれず、矛盾を生み育ててしまう
取り組む事を忘れてしまう『三ない運動』。


三ない運動の拘束力

今年入学の娘の県立高校は勿論『三ない運動』がある
親父の甥(娘からすると従兄)も今年中学を卒業し群馬高専へ入学(国立5年制)

この時点で一つの矛盾が浮かび上がる
群馬高専は免許取得に関し一切関与はしない自己責任で判断させ、2学年からは125cc以下のバイクなら校内まで乗り入れOKである
大きな要因は県教育委員会の範疇外なのである

本来、義務教育中学を卒業すれば社会人ともなる年齢であり、ある程度は自分の責任に於いて行動しなければならない
ある意味『三ない運動』とは自己啓発も疎外するものでもあり
車社会に於いて交通安全とは自己の責任をもって成るもので交通安全教育は実践で学ぶ事に勝るものは無い

そもそも『三ない運動』とは
1982年の全国高校PTA連合会仙台大会で「『免許を取らない』『乗らない』『買わない』の趣旨の徹底」が決議されて以降、全国規模で展開された推進運動に過ぎない

拘束力は無いに等しい


娘の入学にあたり、法務局確定日付の意見書を送り親の教育権を主張し、学校側との折衝に臨む準備をする

『三ない運動』に眼を逸らす事無く信念を教え毅然と親の責任を果たす考えである

三ない運動が有ろうと

親子共通の趣味それはバイク乗り。親子一緒にツーリングに行ったり、単独でも。
しかし、残念な事にまだまだ三ない運動が幅を利かせ、高校は校則にバイク禁止を掲げてる

「社会あるところ法あり」という法諺があり、とりわけ、その社会が特定の目的を持つ団体である場合、その内部で特別なルールが規定されることは社会経験上当然そのため、各学校はその目的を達成するため必要な事項を定めて、学生を規律することができる。したがって、高校が校則を制定することは許されるが

校則による私生活規律の可否については問題がある

家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない

去年11/4息子のVTR250と末娘タンデムのFJR1300関越谷川岳PAにて
去年の11/4息子と末娘

去年9/21息子が学校からバイク免許取得により謹慎処分を受け学校で丸刈りにされた直後に親父とツーリングに行く

去年まだ一人では出掛けられなかった


今年10/12一人で泊まりのマスツーに出掛け翌日親父と合流
最近では一人で一日600kmも走る事もある

合流まだ幼さが残る息子

去年、息子が謹慎処分になり親父は学校との裁判まで覚悟した。
生徒の権利保障は、まずもって「教師、学校などのシステムの中においてこそなされなければならない」ものであって、訴訟による解決は、生徒や学校に多大な時間的、経済的負担を強いることになる。それだけでなく、訴訟になれば、生徒と学校との間の信頼関係は根底から崩壊し、訴訟の当事者として敵対関係に変わってしまう。これは生徒にとっても教師にとっても不幸なことである
まして、校側の対応は停学・退学の処置を取って居らず謹慎処分(グレーゾーン)であった
(停学・退学は生徒の学習権を奪うもので一般には、よほどの不祥事「法的根拠」が無い限り学校側は履行出来ない一方謹慎処分「反省させる」は教育の一貫となる)

尚且つ、親父の誤算も大きかった、それは入学前(免許を取らせない旨)の誓約書を提出してた
(女房からは、その制約書の事は聞いてが自分の母校であり親父の高校時代は免許取得禁止は無いに等しかった)完敗である

免許取得前に文章等で教育権の主張を通達してれば謹慎処分は無かっただろう

然るに、親の教育権や学校側が放棄してると言える交通安全教育の問題等、多くの疑問が残る
一方的に親との話合いの機会も与えず、学校から退去させ後に教条的な職員会議だけで結論を下し頭を丸刈りにし2週間の謹慎処分の言い渡しである

この時点で学校側だけの保全策と生徒への見せしめにしか他ならない


始末書など言語道断である一方的な教育。親の権限は全く無い

始末書の内容

別紙顛末書のようなおこないをしました。これからは十分反省させ、学校にご迷惑のかからないように

指導いたします。

 今後、万一かさねて校則に反するようおこないがありました場合は、どんな処分を受けても依存は

ありません。

 ここに保護者、保証人連署をもって制約。いたします。


事後対策になってしまうが法務局確定日付の意見書を学校側に提出し今後バイクに関し関与させない為の保全策を取った
それは、教師の中で今後はバイクに乗ったら退学とかバイクは処分しなさいとの声が聞こえ始末書の提出などがあった


法務局確定日付のある通知及び意見書

学校に提出しなければならなかった始末書(話し合いの結果学校は黙認。)

始末書

配達証明で学校長に通知及び意見書を学校側に送る
以下が内容である

通知及び意見書
平成19年9月21日の懲戒処分言い渡しに付き学校側の画一的判断に不服を申し上げる。
校則違反に関して喫煙等法律を犯したる処分に対して、合法的免許取得処分が同等である事、学校は、教育の目的と関連し、その内容が社会通念上合理的であれば、生徒の行為を規律できるが、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を逸脱している。オートバイに乗ることが法的に認められている者に対し、その乗車が問題行動であるとして、懲戒を加え学習権を剥奪することが、学校に許されるかどうかは、甚だ疑問である。特に、親が認め、校外で乗車している場合、それを理由に懲戒処分を行うことは、親の教育権を侵害するものであり、学校の懲戒権の範囲を越えた違法な処分と言える。確かに若者のバイク事故は重大な社会問題であるが、その対策の責任を負うのは、第一次的に警察であって学校ではない。したがって、「免許取得禁止規則」を設け、その違反者に対して処分を行うことは許されるものではなく、早急に懲戒規定を見直すべきである。
貴校は実態を調べるなどの適切な手続きを取っていない。無記名のアンケート等で生徒の自動二輪取得状況や乗車状況を調べる必要があるのではないか。
禁止することからは何も生まれない。
教育の現場で2学年になったら原付免を許す。危険性は原付も自動二輪も変わらない事が解かっているのだろうか。原付乗車通学許可が有るにも拘らず自動二輪禁止は本末転倒である。まして原付と自動二輪は同じバイクでその特性を知らなければ交通事故に遭遇するのは当然の事で乗せて教育をする事が本当の交通安全教育ではなかろうか
事なかれ主義、交通安全教育の放棄と捉えられる。

よって此処に懲戒処分の再度判断及び保護者との討議回答を求める
本件に関し納得の行かない回答及び今後の対応如何によっては校則訴訟をも辞さない考えである、故に教育裁判として司法的に争われる事例が増加するであろう。しかし、生徒の権利保障は、まずもって「教師、学校などのシステムの中においてこそなされなければならない」ものであって、訴訟による解決は、生徒や学校に多大な時間的、経済的負担を強いることになる。それだけでなく、訴訟になれば、生徒と学校との間の信頼関係は根底から崩壊し、訴訟の当事者として敵対関係に変わってしまう。これは生徒にとっても教師にとっても不幸なことであり、また、学校としては教育責任の放棄にもつながる。
最後に、校則に対する教条主義的、一方的裁量判断でなく双方の立場を理解した柔軟な話し合い結果の判断が肝要ではないだろうか。
(提出要請のある始末書は不服に付き本書に変えさせて頂きます)
平成19年9月25日


その日、直ぐに親父に電話が有り相談をしたいと連絡が入り後日話合いが設けられた

息子は今でも学校に通いアルバイトも始め堂々とバイクに乗ってる
枠に惑わされず、広く見渡し、真実を探す、その実習ができる”アイテム”それがオートバイ。

謹慎処分は残念であったが不幸中の幸いで社会勉強になっただろう

親(保護者)の明確な責任があればバイクは乗せられる
その責任や義務を果たせない親が多いから三ない運動は有る
与えないではなく、教えるということが教育ではなかろうか。

地図で目的地を探す思い出

もし、責任あるバイク乗りの親ならば三ない運動に惑わされる事は無い
親子のバイクライフは素晴らしいもので
安全運転教育として実践で学ぶ、何事にも変えられない
情操教育としても大変有意義な事だろう

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高校2年生のバイク乗り

高校1年の夏、普通自動二輪を取得し
一年が経過しVTR250も1万km走破まじかに
学校側との免許問題を経てバイクを乗り元気に楽しむ

三ない運動の影響で同年代のバイク仲間が居ない

孤独な少年ライダー

でも、最近では孤独ライダーでは無い!

地図で目的地を探す

親父とツーリングに行くのは勿論、最近は一人マスツーに参加し一日700kmは走破して来る
お世話になってるECHOツーリングクラブ最近では息子一人参加が多い・・・皆勤賞並み

同年代仲間が居なくとも30代~50代↑の人達と一緒
バイクから学ぶ事もさることながら人生の先輩達との交流は貴重な勉強であり経験となる。

去年、親父と一緒に参加して以来、今年一人歩きが始まった

当初親父は息子が一人参加する事に様々な不安が有った(高校生で有りツーリングクラブの皆に迷惑を掛けないだろうか・・・・等々)しかし案ずる事もなく心良く受け入れてくれる人達、そして最近では息子も安定した安全なマスツーをこなし、もう親の巣を離れた鳥のように羽ばたいてる
無邪気に座りPAで休む少年バックからお菓子を取りだす少年



今年
7月13日(日)秩父・奥武蔵グリ-ンラインツーリング親父と一緒
八ヶ岳麦草峠息子一人参加走行距離680km
奥多摩チョイツー息子一人参加走行480km

保護者が高校生にバイク免許取得させる。それは学校との問題で解決してしまうのは妥当ではない
人それぞれ境遇がありバイク免許取得は高校卒業後でも良しである

学校で安全運転教育が為されないならバイク乗りの親として親が交通安全教育をする
これは当然の事であって義務である。それを学校が禁止する事は出来ない

おそらく高校を卒業し自動車免許や二輪免許を初めて取得し交通社会に馴染む人と比較すると当然、息子のような境遇に置かれた人達は遥かに安全を熟知しており危険予知も雲泥の差であろう

今度、息子はVTR250に乗り一人で一泊のマスツーに参加するしらびそ高原1泊ツーリング
バイクを感性豊かなアイテムとして今後も安全にバイクをこよなく愛して貰いたいと思う

子離れ出来ぬ親父

は2日目から息子を追いマスツーに参加する予定

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親父とバイクと子供達

自分の歳を思う・・・あと数カ月も経つと五十歳。。
早いものだ・・・・つい最近まで二十歳の青年だった気がしてならない
そんな事を書くと皆笑うに違いない・・けど本当にそう思う
若い頃、自分はどんな子供とめぐり逢うのだろうと考えた事も

今、自分の姿を写真で見ると・・・

人相の悪い白髪メタボ親父になってる

格好悪ぃ~

二十歳代の親父CBX1000に乗るVTR250に乗る親父

そして今はVTR250乗る息子。来年は娘にもバイクに乗せようとしてる
世間一般に言う悪親父



去年の出来事
考えが浅はかだった親父は息子の通う学校が自動二輪取得禁止と知りながら免許を取得させてしまう
息子の通う学校は親父の母校でもある。
親父の頃も基本的には禁止しかし、興味のある奴らは堂々と免許を取得し学校側も事を荒立てる事がなかった時代


堂々とすれば良い親が認めてるのだから・・・と思ってた単純な親父であった

いつしか息子の免許取得の噂がクラスに広まり担任の教条主義馬鹿教師から親父に確認の電話が有った・・・
その担任は俺が高校卒業まじかに入って来た歳も大差ない同じ学校系列大卒の新米教師

電話の内容は今から息子を一旦家に帰す後日職員会議で決め対処を連絡するので・・・・・
との電話

情け無い気持ちやら複雑な気持ちで息子を迎えに行き

そんな事から現代三ない運動の事や停学、退学の法律的問題を調べ始めた

学校もさることながら流石に停学にはしない謹慎処分と言うグレーゾーンを使った
(法律的に退学や停学は根拠がない限り違法である)
その謹慎処分も最長の2週間

ヤクザチックな親父は校長に意見書として争う準備の書面を法務省確定日付で送った

前記は割愛
本件に関し納得の行かない回答及び今後の対応如何によっては校則訴訟をも辞さない考えである、故に教育裁判として司法的に争われる事例が増加するであろう。しかし、生徒の権利保障は、まずもって「教師、学校などのシステムの中においてこそなされなければならない」ものであって、訴訟による解決は、生徒や学校に多大な時間的、経済的負担を強いることになる。それだけでなく、訴訟になれば、生徒と学校との間の信頼関係は根底から崩壊し、訴訟の当事者として敵対関係に変わってしまう。これは生徒にとっても教師にとっても不幸なことであり、また、学校としては教育責任の放棄にもつながる。
最後に、校則に対する教条主義的、一方的裁量判断でなく双方の立場を理解した柔軟な話し合い結果の判断が肝要ではないだろうか。


この結果再び学校に腹を割っての話

結果として息子の対処は見せしめにしか過ぎずあくまでも校長や教師は同じ事(言い訳)の繰り返しである、もう会議で決めた事を白紙に戻す事が出来ない組織的な事など見えみえである
(その中で学校側の苦悩も見えた 私生活指導までを期待する親が増えてる為の産物に過ぎない事等々・・・・)

息子もあと何年かこの学校に世話になる・・・切れた親父はそう思いとどまった

最後に校長から『この学校から反骨精神旺盛な人が卒業されてる事を誇りに思う・・・・』
親父(何言ってるんだ嫌味じゃねえか!!馬鹿やろう・・・・)と心の中で思い頭を深々下げて立ち去った

その後、自動二輪免許取得で謹慎処分になった生徒は無く
2学年になると原付免許取得希望者の保護者が学校で何かの説明会に1日出席し原付免許の取得が許可になると言う・・・・・・・学校側の意図が解りません
息子は既に普通自動二輪免許を取得してるので参加しなかった、憶測だが保護者が書面をもって学校との取交しをすると思われる

結局その説明会に来た親達も数える程だったらしい



娘は今度三ない運動真っ盛りな群馬の高校に行く
経験を生かし先手必勝で乗り切るつもりだ・・・娘とも一緒にバイク乗りたいワガママ親父


今、息子は安全を心掛けバイクに乗ってる・・そろそろ1万キロになるVTR
慣れたなら尚、気を締めて乗って貰いたい
来月は一人で一泊のマスツーに出掛ける
DSC02574_RR.jpg
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