軍刀(昭和刀)から思いを馳せ
- 2010/02/19 23:21
- Category: 日本という国 そして日本人
軍刀『ウィキペディア(Wikipedia)』の画像より

美術品として価値は低いと思うが・・・近年の歴史を物語る軍刀(九八式軍刀)
この軍刀は戦後何十年も
その時代を忘れようと眠ってた。


錆びて無残な姿であろうと思い・・・・軍刀独自の鉄の鞘から刀を抜くと真剣は見事に光を帯てその眠った時間から抜け出した
軍刀の特徴として少し短めな二尺二寸の刃渡り


波紋も綺麗に現れ、その湾曲した刃は薄い一枚のコピー用紙を見事二つ音もなく分けていった

柄には・・・・・そして鍔にも




この日本刀を見て恐ろしく思う人や
ある意味違った所でその当時の戦争に対する嫌悪感や様々な思いが浮かぶだろう。
この親父は中学時代に歴史の授業を教わった、当時勉強嫌いだったにも関わらず
近代歴史(日清戦争、日露戦争~太平洋戦争「大東亜戦争」そして連合軍の日本占領)と習い
その中で日本は悪かったと単純に思って何故かその日本に対する嫌悪感が少しでも有ったに違いない
改めて三十数年過ぎ末娘(中2)の歴史教科書の近代歴史を読むと愕然とする思いであった
日清戦争、日露戦争~太平洋戦争「大東亜戦争」そして連合軍の日本占領まで
原因と背景をもっぱら自国内にのみ探ろうとする傾向が著しく
明治以降の日本の歩みを「侵略と他民族への犯罪」と意識せざるを得ない
教育やジャーナリズムの状況の中にどっぷりと浸かり洗脳されていたと思う。
決してこの親父(俺)は左派や右派では無い
戦後半世紀以上が過ぎその真実を公平に見極める事が大事ではなかろうか?
靖国問題、教科書問題を巡る近隣アジア諸国との摩擦、さらには近年の日本におけるモラル低下による犯罪の増加、
これらのルーツを探っていくと東京裁判(極東国際軍事裁判)に行き着く。
日本人並びに世界に向かって、日本は犯罪行為を犯した悪者であると喧伝され、日本人の心に深く罪悪感と劣等感を刻み込む事になったのであり、
近隣諸国には侵略国日本に対する「謝罪と賠償」という外交カードを与えることになった。
東京裁判の、文明を踏みにじるような野蛮な復讐行為の是非は、白人諸国においても大いに議論の的になったという。事後法の作成、法の遡及、
有りもしない「共同謀議による戦争犯罪」のでっち上げ、敗戦国のみを裁くという片手落ち、などなど呆れるばかりである。
東京裁判の結果を後生大事に押し頂き、未だにA級戦犯がどうのこうのと真人目になって言っているのは日本人とその隣人だけである。
東京裁判を指揮した当のマッカーサーが「東京裁判は誤りだった」と発言しているのだ。
占領軍のくびきを捨て、正しい歴史認識を持ち、日本国に誇りを持てるような教育が成されなければならない。
日本にプライドを持てないような若者が国のために何かをしてくれるだろうか。国の法律を尊守するだろうか?
隣人と手を携えて平和な社会を築けるだろうか?
東京裁判判事の一人ラダビノード・パール(唯一無罪を述べた)判事は言う。
「まともで教育のある人々がなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。これを理解せずに、ただ非難する人がいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人々なのだ」と。
敗れた国を建て直すには甚大な努力が必要となる。例えば国家や家族の生命を守る為に命を賭して闘った方々が、今は侵略者と言われている。
本当に彼らは侵略者だったのか?本当に侵略の為に命は張れるのか?真剣に考えねばならない。彼らは何の為、あそこまで激しく戦い抜いたのだったかと。
東京裁判が結論のみで、理由も証拠もない裁判だった事を明らかにされたのがパール判事である。
また、開戦を決断した日本という国家に義すらあったことを説かれている。
これはすべての日本人にとってとても重要な事だと思う。戦後の日本人が自国の歴史について考える時、国策としての過ちがいくつかあったことは間違いないが
東京裁判で裁かれた満州事変から終戦に至る日本の歩みは決してこのような形で裁かれるべきではなかったと。
歴史有る道徳中心教育も今はGHQにより消されたが・・・・・・
あの軍刀が残ってたように日本古来の道徳教育を残すべきではなかろうか?
武士道や大和魂を
教育勅語抜粋訳
【天皇の歴史観】
私、天皇が振り返って考えてみるに、神武天皇の建国は大変な偉業であり、歴代の天皇は道徳の確立に励まれていた。
また国民も公的には忠義であり、私的には孝行であった。そんな皆が、心を合わせて美しい日本の姿をつくってきたのは、
我が国の最も素晴らしい所である。教育というものも、この部分に由来しているのだ。
【国民への命令】
国民達よ。父母を大切にし、兄弟や夫婦と仲良くせよ。友人とは信頼を持って付き合え。自分を謙虚にして、人々とは博愛の心で付き合え。
学問を習い、技術を身に付けよ。知識を深め、そして道徳を高めるだけでなく、一歩進んで、世の中の役に立ち、世界で活躍するのだ。
道徳や法律を尊重し、大事が起これば迷う事なく公の為に働け。
そのようにして、天地の続く限り、永遠に繁栄する日本国をつくってゆくのだ。以上の事を実行する者は、立派な国民となるだけではなく、
御先祖様が立派であったことをも証明できるのだ。
【結びの言葉】
以上の言葉は、歴代天皇が教え伝えてきた命令である。
私やその子孫である天皇も国民も、区別なくこれを守らなければならない。
この教えは、どんな時代に当てはめても間違っておらず、どんな国に見られても恥ずかしくなく、立派な教えである。
私も国民も常に心掛けて、同じように立派になるよう、切に希望する。

美術品として価値は低いと思うが・・・近年の歴史を物語る軍刀(九八式軍刀)
この軍刀は戦後何十年も
その時代を忘れようと眠ってた。


錆びて無残な姿であろうと思い・・・・軍刀独自の鉄の鞘から刀を抜くと真剣は見事に光を帯てその眠った時間から抜け出した
軍刀の特徴として少し短めな二尺二寸の刃渡り


波紋も綺麗に現れ、その湾曲した刃は薄い一枚のコピー用紙を見事二つ音もなく分けていった

柄には・・・・・そして鍔にも




この日本刀を見て恐ろしく思う人や
ある意味違った所でその当時の戦争に対する嫌悪感や様々な思いが浮かぶだろう。
この親父は中学時代に歴史の授業を教わった、当時勉強嫌いだったにも関わらず
近代歴史(日清戦争、日露戦争~太平洋戦争「大東亜戦争」そして連合軍の日本占領)と習い
その中で日本は悪かったと単純に思って何故かその日本に対する嫌悪感が少しでも有ったに違いない
改めて三十数年過ぎ末娘(中2)の歴史教科書の近代歴史を読むと愕然とする思いであった
日清戦争、日露戦争~太平洋戦争「大東亜戦争」そして連合軍の日本占領まで
原因と背景をもっぱら自国内にのみ探ろうとする傾向が著しく
明治以降の日本の歩みを「侵略と他民族への犯罪」と意識せざるを得ない
教育やジャーナリズムの状況の中にどっぷりと浸かり洗脳されていたと思う。
決してこの親父(俺)は左派や右派では無い
戦後半世紀以上が過ぎその真実を公平に見極める事が大事ではなかろうか?
靖国問題、教科書問題を巡る近隣アジア諸国との摩擦、さらには近年の日本におけるモラル低下による犯罪の増加、
これらのルーツを探っていくと東京裁判(極東国際軍事裁判)に行き着く。
日本人並びに世界に向かって、日本は犯罪行為を犯した悪者であると喧伝され、日本人の心に深く罪悪感と劣等感を刻み込む事になったのであり、
近隣諸国には侵略国日本に対する「謝罪と賠償」という外交カードを与えることになった。
東京裁判の、文明を踏みにじるような野蛮な復讐行為の是非は、白人諸国においても大いに議論の的になったという。事後法の作成、法の遡及、
有りもしない「共同謀議による戦争犯罪」のでっち上げ、敗戦国のみを裁くという片手落ち、などなど呆れるばかりである。
東京裁判の結果を後生大事に押し頂き、未だにA級戦犯がどうのこうのと真人目になって言っているのは日本人とその隣人だけである。
東京裁判を指揮した当のマッカーサーが「東京裁判は誤りだった」と発言しているのだ。
占領軍のくびきを捨て、正しい歴史認識を持ち、日本国に誇りを持てるような教育が成されなければならない。
日本にプライドを持てないような若者が国のために何かをしてくれるだろうか。国の法律を尊守するだろうか?
隣人と手を携えて平和な社会を築けるだろうか?
東京裁判判事の一人ラダビノード・パール(唯一無罪を述べた)判事は言う。
「まともで教育のある人々がなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。これを理解せずに、ただ非難する人がいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人々なのだ」と。
敗れた国を建て直すには甚大な努力が必要となる。例えば国家や家族の生命を守る為に命を賭して闘った方々が、今は侵略者と言われている。
本当に彼らは侵略者だったのか?本当に侵略の為に命は張れるのか?真剣に考えねばならない。彼らは何の為、あそこまで激しく戦い抜いたのだったかと。
東京裁判が結論のみで、理由も証拠もない裁判だった事を明らかにされたのがパール判事である。
また、開戦を決断した日本という国家に義すらあったことを説かれている。
これはすべての日本人にとってとても重要な事だと思う。戦後の日本人が自国の歴史について考える時、国策としての過ちがいくつかあったことは間違いないが
東京裁判で裁かれた満州事変から終戦に至る日本の歩みは決してこのような形で裁かれるべきではなかったと。
歴史有る道徳中心教育も今はGHQにより消されたが・・・・・・
あの軍刀が残ってたように日本古来の道徳教育を残すべきではなかろうか?
武士道や大和魂を
教育勅語抜粋訳
【天皇の歴史観】
私、天皇が振り返って考えてみるに、神武天皇の建国は大変な偉業であり、歴代の天皇は道徳の確立に励まれていた。
また国民も公的には忠義であり、私的には孝行であった。そんな皆が、心を合わせて美しい日本の姿をつくってきたのは、
我が国の最も素晴らしい所である。教育というものも、この部分に由来しているのだ。
【国民への命令】
国民達よ。父母を大切にし、兄弟や夫婦と仲良くせよ。友人とは信頼を持って付き合え。自分を謙虚にして、人々とは博愛の心で付き合え。
学問を習い、技術を身に付けよ。知識を深め、そして道徳を高めるだけでなく、一歩進んで、世の中の役に立ち、世界で活躍するのだ。
道徳や法律を尊重し、大事が起これば迷う事なく公の為に働け。
そのようにして、天地の続く限り、永遠に繁栄する日本国をつくってゆくのだ。以上の事を実行する者は、立派な国民となるだけではなく、
御先祖様が立派であったことをも証明できるのだ。
【結びの言葉】
以上の言葉は、歴代天皇が教え伝えてきた命令である。
私やその子孫である天皇も国民も、区別なくこれを守らなければならない。
この教えは、どんな時代に当てはめても間違っておらず、どんな国に見られても恥ずかしくなく、立派な教えである。
私も国民も常に心掛けて、同じように立派になるよう、切に希望する。