1976年前半は、まだ大型自動二輪免許が簡単に取得出来た。後に大型二輪限定解除制度試験の長い冬が訪れる事に
翌年1977年スズキは初の4サイクル750cc(GS750)が登場し4サイクルナナハン時代が到来したが、
若者のへの風当たりは強く既に大型二輪免許は高値の花となり国内では若者の乗る二輪は中型に移行した。
また(高校生バイク三ない運動)が追い打ちをかけて若者のライダーは今に至るまで少なくなった。
我々の高校時代は自分を含め大型二輪に乗るライダーも多く見かけた
当時は、まだ2サイクル大型バイクも数多く存在し、スズキGT750を除き全て空冷2サイクルエンジンだった。
しかし、環境問題などから2ストローク車の生産が縮小され各社とも4サイクルへ移行し、
輸出に於いては、大型化4サイクルエンジンで大排気量を開発し750cc超えバイクの輸出が盛んになり国内ナナハン時代は終焉を迎える。

1980年この当時になると大型バイクも珍しくなり再び代2期2サイクル時代に入る
写真には実弟のRZ250(改350)とRD250空冷が写ってる。
1980年代再び成熟した2サイクル時代へ実弟が免許を取得しバイクに乗り始め2サイクルマシンに乗る
RZ250。
ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった
2サイクル専門メーカーだったスズキもメーカーの威信をかけRGV-250Γを開発し
ヨーロッパメーカーのアプリリアRS250はスズキ・RGV-ΓをベースとするV型2気筒の250ccエンジンを搭載し、最高馬力は85psの発生も可能とされていた。ガンマのエンジンタイプは、VJ22A型式のヨーロッパ仕様が元になっており、RS250発売開始当初はベースの62psのガンマより8psアップした70psの出力がある事になっていた
日本メーカーが2ストロークレプリカバイクの生産を終了してからも、アプリリアはRS250を生産しつづけていたが、環境規制とスズキからのエンジンのデリバリーが終了したことにより2003年に生産終了となり、このオートバイが世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなってしまった。
2009年、原付バイクから大型まで2サイクルエンジンは完全に姿を消した
1次2サイクル時代は(スズキGT750)を除く2サイクルバイクは全て空冷だった記憶が有る
(GT750はその排気量から3気筒と水冷によってエンジンの昇温を抑えたのだろう。兄弟車のGT380やGT550は空冷で有ったがラムエアーシステムにより冷却能力を高めてた)
2次2サイクル時代はRZ250を皮切りに2サイクルエンジンの水冷化が進んだ
最近購入したTF125は77年TS125(ハスラー)そのもので空冷2サイクルエンジンで
4サイクルのトルク感や乗り易さは別として、2サイクルエンジンは馬力や加速に於いて、現在市販されてる125cc4サイクルバイクには無いピーキーな走りが出来る。
(1次2サイクル時代のバイク)その2サイクル125ccバイクの中でも独特な個性が有って面白い

例えば1976年RD125Ⅱ型はTF125よりピーキーで加速感が非常に良い
RD250とハスラー250も全く同じ感覚だ。しかし林道やOFFは断然その特性でハスラーに軍配が上がる(4サイクルには適わないが)
(2次2サイクル時代のバイク)
水冷化となり排気デバイス等が装備され空冷当時の2サイクルバイクより格段に乗り易くなり馬力やトルクも上がった

ヤマハTDR125 EU これは既にヨーロッパの規制があり(1次2サイクル時代)のバイクより馬力は下がり加速も鈍かった
基本は(2次2サイクル)の構造なので、
CDIから出てる配線のフリーになってる(青/黒)をGNDに落とす事とイタリア製ジェネリーのチャンバーを取り付けると
全く別物で(2次2サイクル時代)のバイクに蘇った。
後に実弟の友人に譲ったが、報告として。125ccであるにも関わらず高速道路を走行したらしい・・・・・・(140km/h)で走行したそうだ
そして今あるTF125は個性豊かなバイク時代の空冷2サイクルエンジンで、とても面白い。