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今週末3連休雨・・・・

北関東は影響が無かった台風18号が過ぎ去る。いつもはシーラカンス号で通勤するが、昨日は雨を予期し車で帰宅
今朝は強い日差しが射して来る。バイクで出勤しようと思い立ち、車を自宅に置き
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F700で出勤。


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電気二重層キャパシタ バッテリーレス12V仕様の改造も終わり京都往復1100km長距離test runを待つシーラカンス号(TF125)
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そして相方の銀シド号(K125改)
原付2種2台で長距離ツーリング



あれ・・・・・・・・!

京都天気
連休はAB判定の60~70%の雨判定。
(有力候補は、秋の高気圧と秋雨前線。まずは高気圧が先手をとりそうだが、週末からの3連休になると、秋雨前線がするするっとスキを見つけて、陣取りをしそうな気配。秋雨前線の復活をゆるさないほど高気圧が強ければ、3連休はほぼ雨が降らないが、復活をゆるすと、連休のうち1日~2日間ほどは雨が降りそうだ。)・・・・高気圧頑張れよ・・・・なんか雨っぽい。


ついでに、ニュース見てたら

ヤマハ発、ホンダから50cc二輪調達 ライバル提携

HY提携

唯一残る2サイクルマシン国内生産の行方は?!

日本経済新聞より
2016/9/1 2:00日本経済新聞 電子版
2018年7月に二輪車組み立てなどの生産を終了する予定のスズキの豊川工場(愛知県豊川市)について、同社がイオンモールと跡地の売却交渉を進めていることが31日わかった。スズキ側が豊川市に対し、イオンモールに優先交渉権を与えたことを同日までに伝えた。

 同市によると豊川工場の広さは14万平方メートル弱で、このうち約13万平方メートルが売却交渉の対象となっているもよう。同工場は名鉄豊川線八幡駅近くの好立地だが、都市計画法の工業専用用地となっており、大型商業施設を建設するには用途変更が必要となる。

 スズキは14年、豊川工場の二輪車生産を浜松工場(浜松市)に、船外機の生産を湖西工場(静岡県湖西市)にそれぞれ順次移すことを発表したが、跡地利用については決まっていなかった。


既に排気ガス規制により2サイクルエンジンバイクは、国内で販売されてないが、
スズキ豊川工場で僅かに生産されてるTF125やTF18は、輸出車両として南アフリカ等に

スズキのインド二輪事業の2015年度輸出が6万台(4サイクルマシン)と顕著に伸び、日本国内輸出に対して肩を並べる程となった。
世界的排ガス規制が厳しくなる中
国内生産されてる2サイクルマシンの生産は豊川工場移転に伴い如何になるか?

新車2サイクルマシンは消える運命になるのか・・・・・
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余韻が残った暁(西へ)

54クラブ主催浜松聖地巡礼の旅に無事参加させて頂き・・・・・・何かやり残したかなぁ。。。。
浜松からの帰路は、雨天の行軍なおかつ、漆黒闇峠の洗礼を受けたにも関わらず
走り足りない!心中。
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無事に帰ったTF125
ふと、浜松の宴会で京都の兄貴(軽トラさん)との会話を思い出し創庫(バイクいじりの場)へ行こうと・・・・
相方の銀しどに「10月8.9.10は西に出張いくべぇ」と軽い気持ちで・・・・急な話ですが勇者を募る事に。






一昨年原付2種で京都まで遠征した経験が有り
↓振返る、当初10月初旬の予定が台風の影響で2度足止め断念、3度目は晴れで出発したが・・・・・・
原付2種ロングツーリングエンジンブロー(engine blow-out)
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出発から塩尻市160km付近だろうか?走行不能になったK125改
この時は目的の京都まで辿り着けずトランスポーターを呼び長野で宿泊し、翌日自分はカワサキレオ120で単独ツーリングで帰り。相方の銀シドはトランスポーターで帰る羽目に。そして3度目の京都行も断念した・・・・・

もどかしさと残念な気持ちだったが・・・・泣いてたまるかよぉ~渥美清風に(昭和生まれじゃないと記憶に無いと思いますが・・・)
翌週リベンジ!


2014/10/24
DSC00341_R_20141028170515fef.jpg原2RT1日目
10月24日銀シド号はK125からビラーゴ125で出撃。
レオ120SE&ビラーゴ125ロングツーリング(京へ)part 1

2014/10/25
DSC00361_R.jpg原2RTいっちゃん
彦根から八幡市へ

2014/10/26
DSC00386_R_201410291327550a5.jpg原2RT3日目
京都八幡市から静岡 青葉横町!静岡おでん
レオ120SE&ビラーゴ125ロングツーリング(京へ)part 最終

2014/10/27
DSC00395_R_20141029143645b4c.jpg原2RT4日目
京への旅は3泊4日往復メーター読み1198kmツーリングだった。


今回は2泊3日で距離を稼ぎ1日で京都入りを試み、京都から甲府付近まで行って2泊予定である。
最終日は、もし北関東組の強者が居た場合距離数を詰めて関東に近いルートを選ぶ予定。
また時間的に許すなら同じ八幡市の(いっちゃん)に顔を出そう。

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早速相方の銀シドはK125の整備を始め、前回のリベンジを企んでる。

神話と洗濯バサミ

TF125の12V化を模索し


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これを眺めてた
脳裏には、高校時代、新聞配達で世話になったスーパーカブを思い出す
新聞配達用のスーパーカブだったが、その配達バイクは24時間自由に与えられ、そのバイクで自由に周辺の山々(日光や榛名山)へ・・・まだ未舗装な林道にも通った覚えがよみがえった

本当にタフで頼れるバイク、何処までも連れて行ってもらった

ある日曜の昼、新聞配達バイト同僚3人と日光イロハ坂にスーパーカブで行って見ようと話がまとまった
もちろん50ccだ登りは鈍足この上ない・・・・
しか~し下りのイロハ坂はスーパーカブは小さく取回しの良さで最強(笑)
調子ついて・・・・多分尋常でないオーバーレブ繰り返し帰路についたが・・・・・・・
調子が悪くなってた
悪仲間とエンジンを分解するが知識も何もない
元に戻し新聞屋のオヤジに調子悪いので修理を頼む始末だがオヤジも首をかしげ今までそんな事は無かったなぁ~と・・・

原因は焼きつきだったらしい。。。

バイク屋も驚くほどの重症だったらしいが結局13万キロ超えたバイクだったので新車にしてもらった・・・・
その後自分の新車スーパーカブは高校卒業後に別れることになり新車のカブは4000kmをを表示してた

驚くほどの耐久力があるスーパーカブはまさに、神話であり無頓着な高校生だった自分は新車のカブに洗濯ハサミをプレゼントして乗ってたのだ。効果は解らないが・・・・・・
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↑画像拝借

こんな事が流行した時代だった

思い出の2サイクル時代

1976年前半は、まだ大型自動二輪免許が簡単に取得出来た。後に大型二輪限定解除制度試験の長い冬が訪れる事に
翌年1977年スズキは初の4サイクル750cc(GS750)が登場し4サイクルナナハン時代が到来したが、
若者のへの風当たりは強く既に大型二輪免許は高値の花となり国内では若者の乗る二輪は中型に移行した。
また(高校生バイク三ない運動)が追い打ちをかけて若者のライダーは今に至るまで少なくなった。
我々の高校時代は自分を含め大型二輪に乗るライダーも多く見かけた

当時は、まだ2サイクル大型バイクも数多く存在し、スズキGT750を除き全て空冷2サイクルエンジンだった。
しかし、環境問題などから2ストローク車の生産が縮小され各社とも4サイクルへ移行し、
輸出に於いては、大型化4サイクルエンジンで大排気量を開発し750cc超えバイクの輸出が盛んになり国内ナナハン時代は終焉を迎える。

二十歳代の親父CBX1000に乗る
1980年この当時になると大型バイクも珍しくなり再び代2期2サイクル時代に入る
写真には実弟のRZ250(改350)とRD250空冷が写ってる。

1980年代再び成熟した2サイクル時代へ

実弟が免許を取得しバイクに乗り始め2サイクルマシンに乗る
RZ250。
ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった

2サイクル専門メーカーだったスズキもメーカーの威信をかけRGV-250Γを開発し
ヨーロッパメーカーのアプリリアRS250はスズキ・RGV-ΓをベースとするV型2気筒の250ccエンジンを搭載し、最高馬力は85psの発生も可能とされていた。ガンマのエンジンタイプは、VJ22A型式のヨーロッパ仕様が元になっており、RS250発売開始当初はベースの62psのガンマより8psアップした70psの出力がある事になっていた

日本メーカーが2ストロークレプリカバイクの生産を終了してからも、アプリリアはRS250を生産しつづけていたが、環境規制とスズキからのエンジンのデリバリーが終了したことにより2003年に生産終了となり、このオートバイが世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなってしまった。

2009年、原付バイクから大型まで2サイクルエンジンは完全に姿を消した

1次2サイクル時代は(スズキGT750)を除く2サイクルバイクは全て空冷だった記憶が有る
(GT750はその排気量から3気筒と水冷によってエンジンの昇温を抑えたのだろう。兄弟車のGT380やGT550は空冷で有ったがラムエアーシステムにより冷却能力を高めてた)

2次2サイクル時代はRZ250を皮切りに2サイクルエンジンの水冷化が進んだ

最近購入したTF125は77年TS125(ハスラー)そのもので空冷2サイクルエンジンで
4サイクルのトルク感や乗り易さは別として、2サイクルエンジンは馬力や加速に於いて、現在市販されてる125cc4サイクルバイクには無いピーキーな走りが出来る。

(1次2サイクル時代のバイク)その2サイクル125ccバイクの中でも独特な個性が有って面白い
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例えば1976年RD125Ⅱ型はTF125よりピーキーで加速感が非常に良い
RD250とハスラー250も全く同じ感覚だ。しかし林道やOFFは断然その特性でハスラーに軍配が上がる(4サイクルには適わないが)

(2次2サイクル時代のバイク)
水冷化となり排気デバイス等が装備され空冷当時の2サイクルバイクより格段に乗り易くなり馬力やトルクも上がった
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ヤマハTDR125 EU これは既にヨーロッパの規制があり(1次2サイクル時代)のバイクより馬力は下がり加速も鈍かった
基本は(2次2サイクル)の構造なので、
CDIから出てる配線のフリーになってる(青/黒)をGNDに落とす事とイタリア製ジェネリーのチャンバーを取り付けると
全く別物で(2次2サイクル時代)のバイクに蘇った。
後に実弟の友人に譲ったが、報告として。125ccであるにも関わらず高速道路を走行したらしい・・・・・・(140km/h)で走行したそうだ


そして今あるTF125は個性豊かなバイク時代の空冷2サイクルエンジンで、とても面白い。
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寒い

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おっと!これは冗談で・・・・お許し下さい

何年か前の春先に林道ツーリングに行った写真です(笑)


そろそろバイク通勤も寒くなり今日の帰宅は今シーズン一番寒いと感じた。

流石に最近は雨や寒い日には車通勤ですが、若い頃はもっと元気あったよな~・・・・

雪が降る前に林道に行って見ようかと考えながらの通勤帰宅でした。

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若かったから?

長かった左足の怪我も原因してるのか・・・最近ではバイクの重量や取回しに敏感
CBX1000の文字を見て、ふと20歳の頃を思い出した

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乾燥重量249kg 1979年式
このバイクを都内や箱根の峠を手軽に走らせてた記憶が今も鮮明に残る
1975年免許改正前(16歳)既に大型免許を取得してたので大型二輪に乗れた

1975年より運転免許試験場での技能試験または自動二輪免許(中型限定)からの限定解除審査の合格者のみに交付された(いわゆる「一発試験」)。しかし、その合格者数は概ね全受験者の1%であった
(現在は教習所を卒業し大型二輪を取得出来る)
また、過去5年の二輪事故死亡率を見ると30~40歳代が若年層を上回る状況で50歳代は(若年層25歳以下)を多少下回る程

このCBX1000に乗ってた頃は逆に若年層の二輪死亡事故が非常に多かった
尚CBXと言う代名詞はCBX400が主流で750ccを超えるバイクが非常に少なく現在大型バイクを多数見るがその時代には考えられない光景だった。


二十歳代の親父CBX1000に乗る箱根にて二十歳代
20歳の頃
取回しや重量などものともせずに乗り回してた。。




偏見に満ちたバイク比較

あくまでもこのバイクに乗ってみた個人の主観で比較します

BMW R1200RT
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BMW F700GS
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カワサキ スーパーシェルパ
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高速道路ロングツーリング

R1200RT
申し分無い高速クルージングが可能。
1日で関東から広島まで難なく移動出来る性能はあり、体力的にも余裕が持てる
高速コーナーはそのボクサーエンジン特有の低重心によりシルキーに駆け抜ける
決してSSのような爆発的馬力は無いが楽です。
付属するクルーズコントロールは時速180kmまでキープ出来ますが日本の高速道路事情では使用困難でしょう

F700GS
高速ツーリングは可能だがRTに比べ風防効果が低いので風による体力消耗が考えられ
動力性能もRTより落ちるが、4000rpmで時速120kmのクルージングは可能だろう
クルーズコントロールは無い。

スーパーシェルパ
短距離区間の高速なら問題無いが時速80-100kmの巡航速度。
250ccあるので取り合えず走れる程度
同じ250ccでも息子の乗るVTRなら大型バイクにも付いて行けるが・・・


一般道と高速を含めたロングツーリング

R1200RT
十分にこなせるが、渋滞が苦手である
この重量や車格から考えると意外とすり抜けも可能だが精神的に宜しく無い
舗装されたワイディングなら低重心のお陰で真価が発揮でき驚く程シルキーな走り。
荒れた峠道は走れるが相当な気合と注意が必要

F700GS
万能と言っても過言ではない
重量もRTより70k近く軽く取り回しが楽で渋滞のすり抜けは気にならない
荒れた狭い峠道などは気合無くとも走破可能で気軽に旅が出来て楽しい
日本を旅するなら今の所一番候補。

スーパーシェルパ
高速は苦手だが急ぐ旅で無いならゆっくり一般道中心として走りたい
荒れた道はもちろんの事で酷いガレ場も二輪2足で走破可能
普通に荒れた道を走ってしまうバイク
時間を気にせずゆっくり景色を眺めながらツーリングは最高。


それぞれ特徴がありステージにより活躍場が違う
R1200RTとスーパーシェルパを足して2で割ったバイクがF700GSかな・・・


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プロフィール

kazu親父

Author:kazu親父
★お知らせ★
2008年12月よりFJR1300Aから BMW R1200RTに乗換えました。
ブログタイトルはこのままにします宜しくお願い致します

風と共に FJR VTR




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