時は流れ

ブログを書き始めて9年目
その頃中学生だった娘達二人は、既に成人して羽ばたいて都会へ
今日娘達二人が帰って来てた。久ぶりに外食を共にして親父は心地良い酔っ払い・・・・
娘の運転で帰る田舎道・・・・運転旨くなったなぁ~~~安心して暗い夜道を帰って来た。
一緒にバイク乗れたらもっと幸せかな・・・そんな贅沢を思った

高校生バイク三ない運動で禁じられた走行距離22900kmを経てゴールド免許取得そして就職へ

前出記事より
2012年(免許を取らない)(乗らない)(買わない)三ない運動。終結へ全国高等学校PTA連合会


交通事故や非行の防止を目的に、高校生のバイク利用を原則禁じた「三ない運動」が、三十年にして大きな転換点を迎えた。
全国高等学校PTA連合会は八月下旬に開かれた全国大会で三ない運動の宣言文を出さず、今後は自転車や歩行者を含めたマナーアップ運動に衣替えする方針を決定した。「事実上の運動終結」に、メーカーも協力して交通安全教育に力を入れる考えだ。 (藤川大樹)

 「免許を取らない」「乗らない」「買わない」の三ない運動は、交通事故急増を背景に愛知県教育委員会が一九七五年、「特別な場合を除き、生徒をバイクに乗せないように」と各校に通達したのが発端で全国に広がったとされる。

 その後も暴走族の活動が盛んになるなど、青少年の非行が社会問題化。全高P連は八二年の全国大会で、高校生のバイク利用について「原則として全面禁止とする」との「特別決議」を初めて採択。
五年に一度見直すことが確認された。
 
 一方、保護者からは「規制するのではなく、乗せて指導すべきではないか」などの声も上がり始め、九七年の全国大会では、特別決議よりも拘束力の弱い「宣言」の形が取られ、二〇〇二年、〇七年と踏襲されてきた。
 
 今回の宣言見送りは、高校の統廃合が進み、定期運行バスや鉄道のローカル線廃止など公共交通機関が減る地方の山間部などでは、バイクが通学の足になりつつあるという社会環境の変化もある。
 
 また、近年は高校生らの自転車による事故が目立つようになった。自転車事故でも刑事と民事で重い責任を問われる。全高P連は「バイクに限らず、自転車や歩行者を含めた包括的なマナーアップ運動が必要になった」と運動の衣替えを説明する。

 ただ、スピードの出るバイクは一歩間違えれば、大事故につながりかねない。二輪メーカー四社が加盟する日本自動車工業会も事故防止に向け、教師を対象にした実技講習会や交通安全教育教材の普及などに取り組む方針だ。

ソース 東京新聞


2007年息子が高校在学中自動二輪中型免許を取得させ高校側との対立が始まる
高校側(我が母校)との対立

息子の在学した学校は親父の母校である既に親父の時代(1970年代)とは明らかに違う教育方針だった

1974年バイクはその性能が上がり交通法規もそれに順応せず10代のバイク死亡事故も増え始めた
ノーヘルでも違反にはならず後にヘルメット着用義務と限定解除(大型二輪)の枠組みが出来る
当時自動二輪に乗る10代の若者は多くその事故防止の為、地元警察と協力し学校内まで自己所有のバイクを
持ち込み交通安全教育を実施した覚えがある

おそらく、息子は免許取得し嬉しかったのだろう
級友に免許取得を話しその話が広がり、ついに親父の所に担任の教諭から電話が入り事実の確認。
嘘を通し息子を言いくるめるのも手だが・・・そうはいかない
真実を明らかにし、毅然としなければならぬ考えだった
息子の懲戒は喫煙や恐喝等より重い謹慎2週間(停学では無い停学処分は法律に反する為)
この時から対立が始まりバイクの乗車禁止を唱えたが、親父(俺)は親の教育権を主張し
事実上、息子の在学中は乗車黙認状態となる。

高校在学中のVTR250)の走行距離は2010年卒業まじかで22900kmに及んだ

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教育委員会の三ない運動決議案に於いて多数の高校ではその運動が成され
例外なく息子の通う高校もバイク禁止。その呪縛から卒業により解き放たれた後、2012年全国高等学校PTA連合会で三ない運動は事実上終結となった。

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法律で定められた権利を剥奪する事は許されるだろうか?↓前ログに書いてあるので割愛。
http://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-216.html

このバイクと高校生に関して書く度に様々なコメントを貰ってる
それぞれ立場や考え方によりこの問題は多様し反対論者の方も多いと思う
 戦後日本の教育は知識の教育が優先され、その道徳教育が疎かになり本来の教育が無い事が原因ではなかろうか?
高校の3年間事なかれ主義で生徒を指導する体制。真実は何処に有るか教えられない
そして親の責任と認識せず学校側へ責任転嫁する親達 間違った個人主義が多い。
決してこの親父も完璧ではない、しかしなにが真実なのか見極める事が大事でなかろうか。

2013年現在、高校時代バイクで走り抜けた青春から大学へそして来年就職する息子は普通車免許も取得し21歳でゴールド免許を持ってる。免許講習では最年少のゴールド所有者だった
三ない運動に逆行した安全運転教育は間違いで無かった事を証明したと思って良いだろう。
今尚、VTR250の走行距離は伸びてる。

2008年親子でツーリング高速PAにて(高校在学中)
地図で目的地を探す

無邪気に座りPAで休む少年 バックからお菓子を取りだす少年

├★高校生バイク三ない運動←過去ログ参照



来年就職で名古屋へ・・VTR250は置いて行くだろう。
大型リッターバイクに混じり250ccでも一日600kmを超えるツーリングも共にし
走ったVTR250良いバイク名車とも言える。大事に保管し親父もたまに乗ろう。

VTR250

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VTR250に乗る親父

終戦から

戦後68年大東亜戦争が終わり後にGHQによる「大東亜戦争」使用の禁止で(戦後に太平洋戦争と呼ばれるようになった)軍隊経験の有る自分の親父も「大東亜戦争」と言う言葉を使ってた覚えが有る
大東亜戦争とはアジア解放を目的とした自存自衛の戦争である故の意味で、その為この言葉は消されてしまった。
しかし、悲惨な戦争は起こしてはならぬ事を肝に銘じなければならない
その戦争により日本は世界でも唯一被爆国となり罪の無い国民を大勢巻き添えにした
そして歴史や外交にもその傷を残し明治以降の日本の歩みを「侵略と他民族への犯罪」と意識せざるを得ない形に変えてしまい近隣諸国には侵略国日本に対する「謝罪と賠償」という外交カードを与えることになった。

また大きな損失は国民性豊かな教育の根幹が崩されてしまった事かと思う
戦前の日本の教育は道徳が基本だった

教育勅語

教育ニ関スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト広遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

  御名御爾

以下に訳すと
「朕惟うに、我が皇祖皇宗国を肇むること広遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民、克く忠に克く孝に、億兆の心を一にして、世世厥の美を済せるは、此れ我が国体の精華にして教育の淵源。また実にこれに存ず爾臣民、父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し進し公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じもって、天壌無窮の皇運を扶翼すべし。この如きが、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以ておのれ祖先の遺風を顕彰するに足らん。
斯の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の倶に遵守すべき所、これを古今に通じて謬らず、これを中外に施して悖らず、朕、爾臣民とともに拳拳服膺して、咸其徳を一にせんことを庶幾う。」


教育勅語抜粋訳
  【天皇の歴史観】
 私、天皇が振り返って考えてみるに、神武天皇の建国は大変な偉業であり、歴代の天皇は道徳の確立に励まれていた。
 また国民も公的には忠義であり、私的には孝行であった。そんな皆が、心を合わせて美しい日本の姿をつくってきたのは、
 我が国の最も素晴らしい所である。教育というものも、この部分に由来しているのだ。
  【国民への命令】
 国民達よ。父母を大切にし、兄弟や夫婦と仲良くせよ。友人とは信頼を持って付き合え。自分を謙虚にして、人々とは博愛の心で付き合え。
 学問を習い、技術を身に付けよ。知識を深め、そして道徳を高めるだけでなく、一歩進んで、世の中の役に立ち、世界で活躍するのだ。
 道徳や法律を尊重し、大事が起これば迷う事なく公の為に働け。
 そのようにして、天地の続く限り、永遠に繁栄する日本国をつくってゆくのだ。以上の事を実行する者は、立派な国民となるだけではなく、
 御先祖様が立派であったことをも証明できるのだ。 
 【結びの言葉】
 以上の言葉は、歴代天皇が教え伝えてきた命令である。
 私やその子孫である天皇も国民も、区別なくこれを守らなければならない。
 この教えは、どんな時代に当てはめても間違っておらず、どんな国に見られても恥ずかしくなく、立派な教えである。
 私も国民も常に心掛けて、同じように立派になるよう、切に希望する


↑この教育が有ったからこそ一つのエピソードがある
前出になるが(国境を越えた恋そして・・・・・)より

金貨は明治32年製、直径2センチの10ルーブル金貨で、表面にロシア皇帝ニコライ2世の肖像が描かれている。昭和60年の松山市の調査で出土し、2010年1月に人物名の存在が確認された。 
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2010.2.10 02:17 
 松山城二之丸跡で出土したロシア金貨の裏面にあったロシア人青年将校と日本人名とみられる文字の調査について、松山市は9日、金貨に刻まれた日本人名が「竹場ナヲ」という看護婦だった可能性が高いと発表した。
 当初、金貨に刻まれた2人の人物名を「タチバナカ」「コステンコミハイル」と判読したが、「タチバナ」の「チ」を「ケ」と読み替えることが妥当と判断した。
 市によると日露戦争当時、松山には捕虜収容所があり、二之丸跡の陸軍病院では捕虜の医療が行われいた。当時の新聞には竹場さんが看護婦として勤務したことを示す記録が残っている。また、新聞には竹場さんを「竹場ナカ」と記載した記事もあり、金貨の文字と竹場さんの関連が深いとみている。
 竹場さんについて詳細は不明だが、中村時広市長は「国を越え、許されない恋があったのでは」と思いを巡らせていた。
敵国の関係・・・それでも恋は芽生える。なんとも言えぬロマンがある

「戦争」はやるべきでないですね

日露戦争は1904年(明治37年)に没発した大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と満州南部を主戦場として発生した戦争であるが、戦争の決着をつけたのは日本海戦であった。
ロシアのバルチック艦隊と日本軍連合艦隊が日本海において激突した。日本軍連合艦隊は、東郷平八郎司令長官の指導のもと歴史的大勝利を収めた。
さて、この日本海戦でロシア側は壊滅的打撃を受けるのだが、戦死者は4545人、捕虜は6106人でこの日本軍に捕虜となったロシア軍人が日本でどんな扱いを受けたか?

日本各地に捕虜収容所があったのだが、松山にあった収容所を例に取ると、食事は日本の軍人よりいいものが与えられ、彼らの嗜好に合うようパン、バター、紅茶や肉類が出された。最初は満足していた捕虜が、食事をまずいといい出すと西洋料理のコックの指導を仰いで料理が提供された。中には収容所の食事に満足できず個人でコックを雇い入れて料理を楽しむセレッキー予備海軍中佐のような輩もいた。
さらに、収容所側では、将校には50円、下士官には15円のお小遣いを支給していた。
さらに、さらに、捕虜の外出は自由で、海水浴をするため列車の定期券を買いこんで連日出かけるものも多数いた。また、彼らは冬場には道後温泉に競うように通った。


■ハーバート・G・ポンティング=イギリス人。1910年(明治43年)にスコット大佐の第二次南極探検隊に加わり記録写真を撮った写真家。1901年(明治34年)~1902年(明治35年)来日。日露戦争にも従軍。
「英国人写真家の見た明治日本」より

 プラットホームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が到着した。乗っていた捕虜の全員が戦争から開放された喜びで、大声で叫んだり歌を歌ったりしていた。・・・反対の方向から別の列車が入って来た。それは日本の兵士を満載した列車で、兵士達は前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた。

 ロシア兵と日本兵はお互いの姿を見るや否や、どの窓からも五、六人が頭を突き出して、皆で歓呼の声を上げた。ロシア兵も日本兵と同じように懸命に万歳を叫んだ。列車が止まると日本兵は列車から飛び出して、不運?な捕虜のところへ駆け寄り、煙草や持っていたあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。一方ロシア兵は親切な敵兵の手を固く握り締め、その頬にキスしようとする者さえいた。私が今日まで目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった。

(中略)松山で、ロシア兵(捕虜)たちは優しい日本の看護婦に限りない賞賛を捧げた。寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追うその様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。

 何人かの勇士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。ロシア兵が先頃の戦争で経験したように、過去のすべての歴史において、敵と戦った兵士がこれほど親切で寛大な敵に巡り合ったことは一度もなかったであろう。それと同時に、どこの国の婦人でも、日本の婦人ほど気高く優しい役割を演じたことはなかったのではあるまいか。

このような日本人の態度は教育勅語の道徳教育から成せる事と考えられる

日露戦争時同様、後の第一次大戦時下においては陸海軍とも国際法を厳しく守り、捕らえたドイツ軍俘虜は丁重に扱った。青島で捕獲した俘虜約4,700名は徳島県の板東俘虜収容所、千葉県の習志野俘虜収容所など各地の収容所に送られたが、特に板東収容所での扱いはきわめて丁寧で、ドイツ兵は地元住民との交流も許され、ドイツ料理やビールをはじめ、数多くのドイツ文化が日本人に伝えられた。

ベートーベンの「第9」はこのときドイツ軍俘虜によって演奏され、はじめて日本に伝えられた。ドイツに帰還した元俘虜はこのときの扱いに感謝し、「バンドー会」を結成している

後にヨーロッパの戦勝国は世界の秩序をもとに戻そうとパリで講和会議を開いた。それぞれの国にはそれぞれの思惑があったが、一致していたのは、日本とアメリカからの申し入れには耳を傾けよう、という姿勢だった。

■レジナルド・カーニー=アメリカ人。歴史学者。黒人学専攻。ハンプトン大学助教授。より
 ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための十四カ条を手に、パリに乗り込んだ。彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった十五番目の提案を持って講和会議に出席した。「わが大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する」。これこそが、いわゆる十五番目の提案であった。……人類平等の実現をめざしていた日本と、そうでなかったウィルソン、その差がここに出たといってもよいだろう。

 もし日本のこの十五番目の提案が実現されていれば、アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。……アメリカ黒人がほかの連盟国の人間と同じように、民主的に扱われるためには、アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。……「おそらく世界で最も有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信。日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。それは、たとえ一つでも、有色人種の国家が列強の仲間入りをすれば、あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、強い信念によるものだった。……全米黒人新聞協会は、次のようなコメントを発表した。「われわれ黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を闘わせている日本に、最大の敬意を払うものである」「全米千二百万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」。

(引用者注:日本が提出したこの「人種差別撤廃法案」の投票結果は賛成17、反対11であったが、委員長を務めていたウィルソンが、かような重要案件は全会一致でなければいけないとして、不採択を宣言した)
  
日本が連合国5大国の一国となり、戦後にヴェルサイユ条約により山東省の権益と、アメリカ領フィリピンとハワイの間に位置するパラオやマーシャル諸島の統治権を得たことや、シベリア出兵を続けるなどアジア太平洋地域においてアメリカの利権に影響を与え出したことに対して、アメリカ国内で日本に対する脅威論が支持を受けた他、これに後押しされた人種差別的指向を持つ諸派が「黄禍論」を唱え、その結果日本からアメリカへの移民が禁止されるなど、第一次世界大戦終結後に日本とアメリカの関係は悪化することとなった。

さらにアメリカは、日本を5大国の一国に押し上げる原動力の1つとなった日英同盟を妨害すべく、太平洋における領土と権益の相互尊重と、諸島における非軍事基地化を取り決めた「四カ国条約」を提唱し、1921年には日本、アメリカ、イギリス、フランスの間で同条約の締結に成功し、同時に日英同盟は解消された。この結果日本は国際的に孤立し、その後日本は英米との対決姿勢を取ることを余儀なくされ、混沌とした時代を迎え大東亜戦争と突き進むのであった。

戦後の荒廃から立ち上がった日本
それは、まだ戦前の教育が体に染みた先輩達の努力の賜物と言っても過言でないだろう

時代は我々そして子供達へ・・・日本の文化の伝統と独自性を持つ教育がなくなり個人主義が。
今後の日本はどこへ

最後に教育とはマインドコントロール似たもので戦後一部隣国の教育は日本を敵視した教育が行われ今外交に於いてもその影響が有ると考えられる

しかし日本の占領下に有った国の中でも占領時日本の政策に異を唱えず親日もある事を忘れてはならない。


VTR250禁じられた22900kmを振り返り(高校生バイク三ない運動)

2007年夏休みも終わる頃に自動二輪中型免許を取得した
その息子も今年高校を卒業し大学生に。高校在学中VTR250で走破した距離は22900kmに及んだ

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教育委員会の三ない運動決議案に於いて今も多数の高校ではその運動が成され
例外なく息子の通う高校もバイク禁止。その呪縛から卒業により解き放たれようとしてる
今後下の娘達が自らバイクに乗りたい意思を示さなければ、高校生とバイクに関する記事は遠ざかるであろう

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高校側(我が母校)との対立

息子の在学する学校は親父の母校である既に親父の時代(1970年代)とは明らかに違う教育方針だった

1974年バイクはその性能が上がり交通法規もそれに順応せず10代のバイク死亡事故も増え始めた
ノーヘルでも違反にはならず後にヘルメット着用義務と限定解除(大型二輪)の枠組みが出来る
当時自動二輪に乗る10代の若者は多くその事故防止の為、地元警察と協力し学校内まで自己所有のバイクを
持ち込み交通安全教育を実施した覚えがある

おそらく、息子は免許取得し嬉しかったのだろう
級友に免許取得を話しその話が広がり、ついに親父の所に担任の教諭から電話が入り事実の確認。
嘘を通し息子を言いくるめるのも手だが・・・そうはいかない
真実を明らかにし、毅然としなければならぬ考えが過ぎった
息子の懲戒は喫煙や恐喝等より重い謹慎2週間(停学では無い停学処分は法律に反する為)
この時から対立が始まる

法律で定められた権利を剥奪する事は許されるだろうか?前ログに書いてあるので割愛。

http://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-216.html

このバイクと高校生に関して書く度に様々なコメントを貰ってる
それぞれ立場や考え方によりこの問題は多様し反対論者の方も多いと思う
 戦後日本の教育は知識の教育が優先され、その道徳教育が疎かになり本来の教育が無い事が原因ではなかろうか?
高校の3年間事なかれ主義で生徒を指導する体制。真実は何処に有るか教えられない
そして親の責任と認識せず学校側へ責任転嫁する親達 間違った個人主義が多い。
決してこの親父も完璧ではない、しかしなにが真実なのか見極める事が大事でなかろうか。


謹慎後親父と妹でツーリングクラブの人達とFJR&VTRで(学校で丸刈りにされた息子)

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初めて親父から離れ一人ツーリングへ

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やがて、一人参加でツーリングクラブ宿泊ツーリングへ

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そして雨の日も一人で

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大人達に飛び込み走った道のり

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三ない運動と対立しながら走った距離

22900km

その距離は彼に何を残すだろう?

今月で息子はその呪縛から解放される


ライダーである親達へ
恐れる事は無い責任と勇気が有れば子供達と旅に出かけられる!


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自由と責任において、今後さらなる距離を重ねVTR250と共に安全に走り抜ける事だろう。

バイクと高校生達 教育委員会とバイク乗りの親 そして権利の責任

このブログを始めた切欠は息子が高校生になり普通自動二輪免許取得から『バイク三ない運動』に於いて様々な出来事が有ったからである

ブログの訪問者から偶然にも『バイクに乗る高校生』のブログと埼玉県教育委員会『三ない運動』の意見を綴った方々が訪れてくれた。

まず最初に『バイクに乗る高校生』は神奈川に住む16歳の高校生。
三ない運動から26年余りが過ぎ現在神奈川県はかながわ新運動として すでに『三ない運動』を廃止し新運動展開中である
その運動を廃止したいくつかの学校(徳島 生光学園等々)は『三ない運動』実施中に増してさらにその数倍の研究と努力を図ってバイクを中心にした交通安全教育に真剣に取り組んでる少数派

反面、多数派に属する『三ない運動』推進の埼玉県
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埼玉県教育委員会方針
かながわ新運動
上記異なる方針が有る

一方、親父の甥で今年1年生が通う「独立行政法人国立高等専門学校機構国立群馬工業高等専門学校」を略して「群馬高専」では、高校と同じく中学を卒業し入試を経て入学出来る5年制
この高専のバイクに対する特徴は免許取得に対し自由である
その免許が有れば通学に学校まで乗り入れ出来る国立高校で教育委員会の範疇で無い
(現在その甥は二輪免許取得の為教習所に通ってる)

同じ高校生で普通自動二輪の免許取得の可否が異なる事は矛盾である

前にもこのブログで親父の持論を書いた所を抜粋


親父の理論

「社会あるところ法あり」という法諺があり、とりわけ、その社会が特定の目的を持つ団体である場合、その内部で特別なルールが規定されることは社会経験上当然そのため、各学校はその目的を達成するため必要な事項を定めて、学生を規律することができる。したがって、高校が校則を制定することは許されるが

校則による私生活規律の可否については問題がある

家庭生活の領域は親の教育権の範囲内にあるため、本来は学校の教育権が及ばない


何故、今だにこの古い理不尽な『三ない運動』が改められないのか?
それは私生活指導までを期待する親が増えてる為の産物に過ぎない事等々・・・・学校の苦悩も解らない訳でもない
(学校側は生徒の命を守り大勢の生徒を指導しなければならない為、全国PTA連合の議決『三ない運動』は極めて都合の良い運動である)


しかし、親(保護者)の明確な責任があればバイクは乗せられる  その責任や義務を果たせない親が多いから三ない運動は有る
与えないではなく、教えるということが教育ではなかろうか。


嘘も育て、閉ざされて行った眼『三ない運動』

三ない運動は大半の県で今も行われているが、運動に入った時点で、実はバイク以外のものも、取り上げたり捨ててしまったとも思える
この時捨てられたのは、生徒達に向けるべき、教育や愛情の一部 例えば三ないと言いながら免許取得者も居る こうした公然の事実から目を逸らさない、人間としての勇気や行動等である
運動は誠実さを教師と学校と家庭から取り上げてしまった
奇妙な事だが、生徒とバイクに関する現実を見ない眼は、人間としての生徒の生活部分を見る眼とも関わって来る・・・そして罰則中心へと

三ない運動は教育だろうか?
禁止する事からは何も生まれず、矛盾を生み育ててしまう
取り組む事を忘れてしまう『三ない運動』。


そしてこの『三ない運動』を真っ向から反対してる親父で無い事も上記の文面から窺っていただけるだろうか?

権利とはその責任の上に於いて生まれるもので現代社会の構図から『三ない運動』を推進し利用する事が学校に好都合な事実も認識しなければならない
簡単に言ってしまえば在学中その生徒達がバイクに因る事故に遭遇しなければ良い事で時間が解決してしまう。
卒業後の責任は無いから・・・・・・

例えば埼玉県教育委員会方針に有るバイク事故の責任賠償問題にも触れてるが
責任賠償は高校生だけの問題ではない大人達にも言える訳で、責任として任意保険の加入が望まれる

また『子どもの生命を守るのは、あなたです!』と書かれてるが
実践に勝るものは無く禁止してしまう事によりその命を守れない事もある
どちらが正当かの解答は永遠に無いだろう


今『三ない運動』推進地区に住む親父はバイク乗りの親として高校生の子供にバイクを与え事故もなく高校生活の終盤を送る子供が居る



成人暴走族・旧車「會」(珍走団)
彼ら珍走団は本来バイクの楽しみ方を逸脱した成長と責任の無い青年達である
ましてや子を持つ親までも・・・・・
彼らはあの『三ない運動』の忘れ形見だろうか・・・?

正統なバイク乗りとして、良識有る責任ある人として子供達を育て教育する事によりそんな成人暴走族は生まれない。

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進路

まだ、寒い今年の2月の事
今日の一日(http://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-370.html)
こんな書き出しで始まる

昨日は長女の公立高校前期入試試験だった
様子を女房から聞き大笑い!

息子は親父に似て無頓着な所が有り妹が何処の高校を受けるか知らなかった
期末試験で早帰りの息子は女房と買い物途中に試験を受けた長女を迎えに行く時の会話
息子『何処の高校を受けた?』
女房『桐生女子高』(隣市の公立である)
息子『ふん!!俺はどうせ馬鹿学校だよ・・・』珍しく嫉妬したらしい(笑)

おいおい・・・・・親父の母校じゃないかその馬鹿学校。。。。(母校よごめんなさい)
息子は親父に似たせいかどうも勉強が苦手。
そんな息子に勉強をしろと言った事が無い親父
むしろ職人でもなって人に好かれれば良いと思う無責任な親父
しかし職人ならばお金持ちにはなれないが、食い逸れはないと言う哲学を持つ親父・・・・

兎に角その息子の言動に大笑いをした一日の始まりだった


あれから半年が過ぎ息子も次の人生の岐路(進路)を決めなくてはならない時期に来た
少し変わった哲学を持つ親父は学歴より社会勉強と考えてる

この時期、新卒の就職の氷河期とも言える。ましてや高卒の就職は困難極まり無い

本人(息子)は、就職を考えてた
対する親父もそれが一番良いと・・・・・・・
息子はそれなりに少しの考えと迷いが有った

確かに、親父自身その頃は漠然としてた記憶が有る
漠然とした中に夢も有った(夢も漠然としてた)
仲の良い級友と話をした記憶「同じ就職をするなら何処か遠い場所へ渡航し皿洗いから何でも良い日本を飛び出そう・・・・・」
しかし、結果としてその一歩が踏み出せず東京方面へ就職に発つ
僅か18歳何も解らぬ歳(中には毅然と目標を持つ者も居た)


何日か前、息子が躊躇いながら・・・進学を考え親父に話を。

頑固な親父にとって青天の霹靂

夏休み中に就職か進学を粗決めるらしい今年はこの景気に左右され就職も少ない
翌日、希望就職先の相談で学校へ行く予定の息子に付いて行った

早速息子の担任教師の話を聞くと筋の通った話
勿論、大学の付属高校の為、進学を勧めるのも当然の事

話を聞く中で、図らずも親父のなんたる哲学や意見を押しつけてた気もした次第
『まだ何も解らぬ18歳の息子ましてや、同期と比べれば考えも幼い・・・・・此処は境遇が許せば、自分で選んだ道を歩ませるべきかと・・・・・』

親父はそう考えた

親父となり、子供の事を考える・・・・難しいと思う


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反抗者ヘソ曲がり親父の疑問

今年18歳高校3年になる息子は普通二輪免許を取得し、事故も無く無事2年が過ぎた
バイク乗りの親父は、息子と一緒にバイクライフを送る為に(三ない運動)を無視し免許を取得させバイクまで与えた、世間一般で言うバカな親父だろう・・・・

いや、バカ親父と言われても良い。この親父には自分なりに親の教育権を主張しただけの事で、責任を教えたに過ぎない。

学校との間には息子の謹慎処分に対しての対立等色々有ったが無事3年生に。

そして、息子18歳・・・・・・
今度は普通自動車免許が取得出来る歳になった
これまた学校側のクダラヌ校則が、11月まで普通自動車免許の取得は許可しないらしい
捻くれ親父は思う。『また、学校の責任逃れかよ・・・・・・・・』

まてまて、冷静に考えると学校側ばかりに責任は無い
最近の親達は、私生活の指導まで学校に求める親が多く何事も学校に責任転嫁する親が多いらしい
いわゆる、『責任』を子供に教えられる親が少ないのだろう・・・・・・仕方ないかぁ?

免許を持つ(運転する)以上それなりの責任が伴うから

過去にその三ない運動やバイクの校則などこのブログのカテゴリーに記してある

学校は交通安全教育を行わないが、親父はこの2年間息子に教育した自負が有る
それが教育権。


また無駄な学校とのイザコザは沢山だ、息子も理解しただろう
親父は、また学校を無視しこの夏休みに息子に普通自動車免許を取得させてる

悪い親父だろうか・・・・・・?

去年の夏 捻くれ親父と息子でツーリング
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俺も因業な親父だけど・・・・・

何故に因業なのか
まぁ色々ある中で、息子は高校生で自動二輪免許取得禁止(三ない運動推進)学校であるのも係らず、因業親父は息子と一緒にバイクに乗りたいが為に免許を取得させ、バイクまで与え乗せ、息子が謹慎処分に成るや、親の教育権を主張し学校に喧嘩を売る始末。

去年8月息子と北陸自動車道SAにて

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学校と、そんなイザコザが有り早2年が経つ
今日はたまたま息子が期末試験で早帰り途中親父の会社に寄る
偶然と言うか、携帯電話が鳴り受けると息子の担任教師からだった

先に要点を言わず進路の話から始まる、進路についての3者面談はとりあえず女房に任せてあるが・・

そんな話からやっと本題に

今日学校で他のクラスから息子は普通自動二輪免許を取得してる云々の話が出たらしい
それは、息子が免許を持ってる事を口外したとの事。
担任曰く『絶対に他の生徒に免許取得の件は言わないよう息子に言い聞かせて下さい・・・・・・』
との話。
因業親父は息子から詳細を聞く為、息子が誰に免許やバイクの話をしたか教えて貰いたい旨を担任に話すと・・・・・
名前は出す訳には行かないの事・・・・・・・全くのナンセンス

後から息子に話を聞くと、成り行きや事情で仕方無い事が解る
嘘を言えない息子と要領の悪い息子の葛藤だったに違いない

担任の最後の言葉は『騒ぎを大きくしたくないから・・・・・・』

とにかくその場の因業親父は大人しく『解りました』
因業親父は先生に『配達証明法務局確定日付で校長に送った書面をもう一度良く読んでください』と・・・・一言加えた

三ない運動が有ろうとhttp://kasehikaru.blog121.fc2.com/blog-entry-216.html←過去ログ(書面の内容)


そして、進路の話になり・・・・因業親父はノックアウトパンチを食らう

担任『学校では適正検査をして、就職に適正か判断しました・・・・・・・・・』
どうやら簡単明瞭に言ってしまうと
まだ精神的にも幼く就職はこの時期大変だから、大学の付属高校なので、進学が良いです、昔の大学と違ってその辺は良く面倒を見るとか・・・・・・・・・・

因業親父はノックダウン

そんな出来事だった
因業な親父でも俺は親だ、間違いもあるかも知れんが子供の事は考えてるつもり
就職が出来なければ俺が何とかする。
ただ厳しい他人の飯を食わせないと成長しないと俺は思うから就職を推薦する
間違を経験し育ち大人になるのだから・・・決して机上では学べない



追記・・・・

息子は良く親父と行動するが・・・・・歳頃の娘は大変
外食で釣るしか無く、苦労する

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外食で娘達を釣った酔っ払い親父・・・・・そして娘達。

難しい事は無い正しいと思った事やって見るが良い。



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